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【01】ことのはじまり

「――――――――君は、俺を愛していない」

「はあ…………今日が初対面みたいなものですし、それはそうですね……?」


 大柄な男が寝室に入ってきて開口一番、素っ頓狂なことを言いだした。

 親に決められた結婚においてそれはお互い様だろうと、薄い微笑みで表情を消した女は寝台に腰掛けたまま静かに思う。


 いまは結婚式を終えた夜、寝室で対峙するのは結婚したばかりの夫婦。

 

 寝台に腰掛けた女は、マイロナーテ・クラウデン。生家の名はヨルド子爵家、一八歳。

 寝台の傍らに立つ男は、グレイオット・クラウデン。クラウデン辺境伯家当主、二五歳。


「そうだろう? だから……その…………俺たちは友人からはじめないか?」

「はい、わかりまし…………………………………………………………えっ、友人?」

「ああ。古今東西、男女が健全で安定した関係を築くためには、友人からと決まっている」


 そう断言したグレイオットは、手に持っていた一冊の本を掲げた。

 タイトルは「愛しき妖精姫と秘密の花園」というもので――若い貴族女性の間において、現在流行している恋愛小説である。



 

 ――――――なんで?


 疑問符であふれるマイロナーテの頭は、目の前の光景を解析してくれなかった。

 



 ※


 


 一連の会話について解説するには、勝手に話が進む縁談を嫌がったマイロナーテの姉アイロオーテが、どこかへ逃亡してしまった事情から始める必要がある。

 

 事の始めは、領地が近いだけで特に深い接点のない格上の家から持ちかけられた「ヨルド子爵家の娘を嫁に欲しい」という縁談である。

 特に強みはないが歴史だけは多少ある普通の子爵家が、上から降ってきた有り難い縁談を断る理由もない。

 よって、姉妹の父であるヨルド子爵は、マイロナーテよりふたつ年上のアイロオーテを先方へ差し出すことにした。

 

 よくも悪くも普通の貴族である両親は、王都に恋人がいると拒絶するアイロオーテの話を聞くこともなく、さっさと恋人と別れろとだけ伝えて縁談を進めた。



 

 これが約一年前のことである。


 なお、アイロオーテの恋人は、当時マイロナーテが認識していたものだけでも三人いたのだが、両親に告げ口する義務も義理も何もないので黙っていた。

 ちなみに、過去の恋人には、既婚者も独身者もいれば平民の歌劇俳優――パトロンをしていたのかもしれない――もいた。

 とはいえ、マイロナーテが知る程度のことは、両親も知っていた可能性が高い。おそらく、マイロナーテの報告の有無は、結果に何の影響ももたらさなかったことだろう。


 歌劇をこよなく愛するアイロオーテは、年頃になってからほとんど領地へ戻ることなく、王都に年中滞在していた。そこまでして執着する華やかな王都から絶対に離れたくない彼女の抵抗虚しく、その後も結婚準備は淡々と進んでいく。

 

 しかし、式まであと二ヶ月をきったあたりのこと。

 準備のため領地へ強制的に戻されるタイミングを察知したのか、アイロオーテは書き置きを残して失踪した。いわく「愛に生きることをお許しください」と言うことだった。


 王都に居座ること自体は“より良い相手探し”だのなんだのというお題目の上で見逃されていたが、貴族の娘としての権利を享受してきた者に、結婚の自由だとかそんな自分勝手な振る舞いが許されるわけもない。

 

 それを思えば、アイロオーテは貴族の娘ではなくある程度裕福な平民の娘として生まれたほうが幸せだったのかもしれない。

 当然、その場合は現在のように足繁く歌劇場へ通って観劇や社交三昧のような真似は決してできないのだが……世の中はそう上手くない。


 マイロナーテがふと思い返せば、幼いアイロオーテは屋敷でよく歌っていたのだ。

 

 社交界へ出るようになったアイロオーテは恋愛遊戯に強くのめりこみ、マイロナーテがその歌声を耳にすることはなくなったので、だいぶ記憶が薄れていた。

 姉の失踪を聞いたマイロナーテの頭には、そんな無関係な遠い過去が巡っていた。


 失踪したアイロオーテの捜索は、王都にてひと月近く密かに続けられたものの、その姿はついぞ見つからなかった。

 婚礼の日が眼前に迫り、先方にアイロオーテの不在を隠し続けることが不可能になったため、花嫁はマイロナーテへと急遽差し替えられることになる。

 流石に何かしら揉めるかとおもいきや、クラウデン辺境伯家はヨルド子爵家の娘であればどちらでもよかったらしく、変更の申し出はすぐに受け入れられた。


 ――そう、あっさりと受け入れられてしまった。

 

 更に言うなら、急な変更に多少バタバタとしたものの、式はそのまま予定通りに強行された。


 なお、幸いマイロナーテとアイロオーテの体格差はさほどなく、結婚式用のドレスは多少調整するだけで済んだ。全体シルエットの問題で胸の詰め物はだいぶ増やすことになったが――マイロナーテは気にしないよう心がけた。何故なら、女の価値はそこだけではないので。何も悔しくない。本当に悔しくない。


 結婚式は辺境伯領で行うため、名前や特産が多少知られている程度の知名度しかない子爵家出身の花嫁が変わった珍事など話題になることもなく、全てがつつがなく終わる。

 ちなみに、これはマイロナーテがあとから聞いた話だが、婚礼式の招待状は家名のみで出されていたらしい。

 つまり、花嫁が直前で変わったことすら、ごく一部以外には認識されていなかったのだ。


『――君は、俺を愛していない』

 

 そうして結婚式も無難に済ませ、世話人たちに放り込まれた寝室で待っていたマイロナーテに向けられたのが、こんな謎の言葉である。

 

 愛するも何も、マイロナーテにはグレイオットのことを知る時間も余裕もほとんどなかったのだ。

 そもそもグレイオットの方こそ、マイロナーテのことなど愛していないと断言できる。

 

 土壇場での花嫁変更に大層気分を悪くしていることは申し訳なく思う。

 だからといって、向ける感情を責められても困る。そこに関しては、本当に、本当にお互い様なのだ。

 

 マイロナーテは、姉の逃亡という負い目を背負わされ、大人しく従順に応対してきたというのに。そんなどうしようもない箇所を責められても困るのだ。こんな状況で、愛が育まれるわけないだろう。


 粛々と義務を果たすだけだと思っていたマイロナーテの結婚生活は、不可思議な発言によって幕を開けた。

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