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(やはり俺は嫌われ、疎まれているのだ……)

 体を震わせるアミーリアを前にして、とても居続けることができずに部屋を飛び出してきてしまった。


 アミーリアの「やだっ……」と自分から嫌そうに顔を背けて震える光景が目に焼き付いて離れない。

 そんなにも嫌われていたのかと、愕然として体が冷えた。だが、体が冷えるのとは逆に、頭は羞恥と後悔でぐらぐらと煮え滾るように熱くなってくる。

 ギディオンは執務室の机の上で頭を抱え、何度も頭を掻きむしり、焼けつくような吐息を幾度も吐いた。

 ひどく気分が落ち込んで、何も手に付かない。目の前には決済を待つ書類、読まなければいけない報告書——やらなければいけない仕事が山積みになっているのに、少しもやる気がおきない。

 自分が本当に情けなくて、嫌気がさした。

 アミーリアから預かった書付が目の端に映り、胸にものがつかえたように苦しくなって書付を乱暴に引き出しの中にしまった。

 逃げるように子供部屋を出てから自分の執務室に戻ってくるまでの記憶が、ほとんどなかった。とにかく一人になりたくて闇雲に足を動かし、気付けば自分の執務室の前にいた。執務室に入るなり側近のブランドンを「考え事がある」と追い出して引き籠った。

 考え事があるとは言ったが、本当はなんにも考えたくない。なんにも考えたくないのに、次々とアミーリアとのことばかりが頭に浮かび、ギディオンを苛み続けた。


 あの“蝕”のあった日、中庭でアミーリアとキアラの会話を盗み聞きしてから、ギディオンは自分にも少しは希望があるかもしれないと勘違いしてしまった。

 そんなものは最初からなかったのに。

 期待すること自体が烏滸がましいことだったのに————


 ※※※


 ギディオンがアミーリアを初めて見たのは、六年以上前。シルヴェスター王子の妃選定の折だった。

 当時、ギディオンは王室の近衛騎士団に所属しており、妃候補として集まった各国の姫たちが住まう屋敷や離宮の警護を担っていた。

 その日、ファーニヴァル公国の大公と姫が到着すると聞いていたので、一家が滞在する予定のアラーナ離宮を最終確認で見回っていた。離宮の方を見終わり、中庭のチェックを終えたらそのまま王宮へ戻ろうと思っていたところ、思っていたより早く到着していた大公一家が着いた早々なぜか中庭へやってきて大声で揉め始めた。ギディオンはなんとなく出て行きにくくなり身をひそめ、聞くともなしに大公一家の会話を耳にしてしまっていた。

 その内容は、大公家の行く末と責任をわずか十三歳の少女に全て負わせるかのようなもので、誰も聞いていないと思っているせいか、ファーニヴァル大公の舌鋒は激しく容赦がなかった。

 自分たちの命運はお前が全て担っているのだからしっかりやれと、蔑みながら口汚く命じる姿は醜悪で、虫唾が走った。まだ涙ながらにすまないが頼むと懇願していれば、ギディオンも大公に対してそこまでの嫌悪は感じなかっただろう。

 言いたいことを言い終えた大公と大公子がその場を去ると、アミーリアだけが残された。彼女は無表情のまま、静かに涙を流し続けていた。

(可哀想に……。見知らぬ場所に連れてこられ、父親と兄から会ったこともない王子を娼婦のように篭絡しろなどと言われるなんて……。あんなにもか弱そうな少女に無体なことを)

 確かにギディオンはこの時そう思って同情はしたが、これだけだったなら、恐らく妃候補を差し出してきたどこの国でも結局は同じようなことを言い含められているだろうと、アミーリアのこともただの妃候補のひとりとしか見なかったはずだ。

 だが、王宮に戻ろうとしたギディオンが去り際に少女を再び見た時、少女はそのか弱くはかなげな容姿に似つかわしくない鋭い視線で、大公の去った方を涙を拭うこと無く睨みつけていた。

 そして力強くしたたかにも見える表情を浮かべ「この状況に屈してなるものですか……」と呟き、その場を立ち去った。

 ギディオンは、その少女の強さに目を奪われた。

 少女の強い光を放つような眼差しは、ギディオンの心に鮮やかに刻み付けられ、しばらく陶然とその場に立ち尽くしていた。

 この時はまだ意識していなかったが、これはギディオンの遅い初恋となった。

 その後、アミーリアは可憐な美貌と突出した知性、優雅な立ち居振る舞いで妃候補として集まった各国の姫たちの中で頭一つ抜きんでた存在となった。

 王子とも仲睦まじくなるよう努力しているのが見受けられ、周囲からもアミーリアの献身が健気だと噂になっていた。そのうえ、王子だけではなく妃候補の他の姫たちやゲートスケル皇国に接する王国貴族とも交流を積極的に持ち、婚姻だけに頼らず故国の生き残りを懸命に模索していることを伺わせた。

 そんなアミーリアに、心を強く惹きつけられているのをギディオンは自覚していた。だが、彼女は恐らく王太子妃、そうでなくとも側妃となるのは確実だった。ギディオンの想いが成就することはないし、伝えることもないだろう。

 ならば、影ながらでも彼女の一助となりたいと思い、ファーニヴァル公国を含むゲートスケル皇国に脅かされる小国の多い西方地域への士官を願い出た。志願する者のほとんどない騎士団の為、すぐに希望通りギディオンは西方騎士団に異動となった。

 ゲートスケル皇国の脅威を防ぐことは、隣接する小国の安寧を生みアーカート王国の平和に繋がる。即ち、将来妃になるであろうアミーリアの平穏となるのだ————そんな思いを抱き、ギディオンは辺境へと旅立った。

 そして二年も経った頃、アミーリアは大方の予想通りシルヴェスター王子の婚約者に選ばれた。

 ギディオンは辺境にて数々の戦功を上げ、西方騎士団に移って五年の後に歴代最年少の二十八歳という若さで西方将軍に就任した。

 将軍に就任してからギディオンは報告の為に王宮へ赴くことが増えた。その際に、アミーリアを遠くから見かけることがよくあった。アミーリアはこの五年の間にすっかり大人の女性となり、しっとりとした落ち着きや気品をさらに身に付けながらも可憐な容姿はそのままに、変わらずギディオンの心を惹きつけてやまなかった。

 シルヴェスター王子と仲睦まじく過ごしているアミーリアを見て、少し胸は痛むが彼女が平穏でいられることを喜びとした。

 そんな想いを抱えていながらも、アミーリアに近付きたい、話してみたいなどとギディオンは思ったことはなかった。何故なら、自分の容姿が皆から恐れられていることを自覚していたからだ。

 西方騎士団に移ってから実戦と鍛錬が積み重なった結果、元々筋肉が付きやすかったのか、ギディオンは貴族男性としては珍しい程の筋骨隆々な体格となっていた。王宮にくると女性の視線が冷ややかで恐怖の色まで滲ませているのが感じられた。中性的な美貌で知られるシルヴェスター王子を好いているアミーリアには、尚更自分は恐ろしく見えるだろうと思われたのだ。

 それでも、ギディオンのアミーリアへの密やかな傾慕はこのまま何事もなければ、いずれは王妃への忠誠心へと穏やかに変わっていったに違いない。

 だが、ゲートスケル皇国のファーニヴァル公国への侵攻によって状況は一変した。

 ファーニヴァル公国は大公と大公子が殺害されて亡国となってしまったのだ。

 その結果、アミーリアは王太子との婚約を破棄され————紛争を終結に導いた英雄ギディオンの婚約者となった。

 この青天の霹靂とも云える話は“紛争終結を祝う宴”の前日に、ギディオンに知らされた。


 宴の前日、ギディオンはゲートスケル皇国との交渉を終え、アーカート王の御前にて形ばかりの報告(すでに文官が先んじて報告書を出しているので)をする為に王宮に戻ったばかりであった。

 謁見の間には、ギディオンの他にはアーカート王とシルヴェスター王子、宰相の三人しかおらず、なにか非公式めいた雰囲気で内心戸惑いを覚えた。

 終戦の報告を終えるとアーカート王は気さくにギディオンに話し掛けた。

「クルサード将軍、父親の弔い合戦とも云える戦に勝利し、無事帰還したこと嬉しく思うぞ」

「恐悦至極にございます」

「相変わらず、固いのう。ここには見知った者しかいないのだ。そんな堅苦しくしなくてよい。アーノルドの息子ならば余の息子も同然なのだ。ここからは気楽に話そうではないか」

 アーノルドとは前クルサード侯爵、つまりはギディオンの父親だ。前クルサード侯爵はアーカート王より少し年上で若い頃は剣の指南役でもあり、王の信頼篤いと言われていた人物であった。

「勿体ないことでございます」

 変わらない態度のギディオンに苦笑するも、アーカート王は嬉しさを隠し切れない様子で声を上げた。

「将軍のおかげでファーニヴァルが五百年ぶりにアーカートの元に戻った! 重畳だ。よくやったぞ、ギディオン」

 ぴくり、とギディオンは一瞬身動ぎしたが「は。」と恭しく頭を下げた。

「そこで、最後までその身を尽くして献身してくれたアーノルドと余に望外の喜びを与えてくれたギディオンに、褒美を取らせようと思っておる」

「ありがたいことでございます」

「此度の戦の戦功として、ファーニヴァルをクルサード侯爵、貴公に下賜する。貴公の領地と隣接している故、治めやすかろう。戦後の復興は苦労も多いだろうが、頼んだぞ」

「…………! ありがたき幸せ。身に余る光栄でございます」

 ファーニヴァル公国は小国とはいえ国だ。丸ごと一国を与えられるのは破格の褒美といえた。ギディオンは膝をつき、深く頭を下げた。

 ここで、ずっと黙っていたシルヴェスター王子が口を開いた。

「ファーニヴァルが亡国となってしまった為、アミーリアとの婚約は残念ながら破棄することになった。ファーニヴァルがアーカート王国の一部となっては公女と婚姻することに、もはやなんのメリットも見出せないからな」

「えっ……」

 ギディオンは驚愕で思わず顔を上げ、シルヴェスター王子の顔を見た。残念と言いつつ、王子は淡々としていてその美しい顔に何の感情も伺わせない。二人は相思相愛ではなかったのかとギディオンの方が怒りを感じ、アミーリアはどうなるのかと心配で思わずぎゅっと眉根を寄せた。

 そしてその心中を察したかのように、アーカート王が引き継いだ。

「そこでな、ギディオンに頼みがあるのだ。婚約破棄された元ファーニヴァル公女アミーリアを領地と共に貴公に引き取ってもらいたいのだ」

 一瞬、何を言われているのかすぐに理解できなかった。だが、じわじわと王の言葉が頭に沁み込んでくる。これは自分に都合の良い夢なのかと、ギディオンは黙ってアーカート王の顔を見続けた。

 それをギディオンが怒っていると思ったのか、アーカート王は慌てて言い訳を始めた。

「さすがに国も父親も失った娘をそのまま放り出せないではないか。余とて憐みの感情はある。ギディオンには丁度良く、と言っては語弊があるが婚約者もおらぬし、ファーニヴァルを治めるにも元公女が妻であれば何かと都合がよいだろう?」

 なぁ、と阿るようにアーカート王はギディオンに笑んだ。

「……はい」

「おお、承知してくれるか!」

 アーカート王はあからさまにホッとした表情を浮かべ喜んだ。

 ギディオンの顔はいつも通り厳しいままだったが、心の中は歓喜の嵐が吹き荒れていた。しかし、シルヴェスター王子の次の言葉で、ぴたりとその嵐は静まった。

「不本意なのは理解している。だから、数年侯爵には我慢してもらえればそれでよい。二・三年後に離縁してアミーリアを王宮に戻してくれ。私の愛妾として引き取ろう」

「はい?」

 何を言われているのか、今度こそよく分からなかった。呆けたようにシルヴェスター王子を見つめていると、皮肉気に王子は口の端を上げた。

「婚約破棄したばかりの令嬢を別の女性との結婚と同時に愛妾に迎えるのはさすがに体裁が悪いだろう? だが、二年後くらいに離縁した元クルサード侯爵夫人を私の愛妾とするのは問題なかろう。アミーリアは私を好いていることだしな」

 そうか。王子はアミーリアを手放すつもりはないのだ、とギディオンはやっと理解した。

 王子には妃候補として集まった姫たち全てを側妃として迎えることが決まっていた。だが、他の妃候補たちと同じ様に婚約破棄したばかりのアミーリアを側妃として迎えることはできない。だから、ワンクッション必要なのだ。なにもかもを失ったアミーリアが元侯爵夫人と云う肩書を手に入れれば、王子の元に侍ることに何の支障もなくなる————

 ギディオンは悔しさにぎりっと唇を噛んだ。

 王子のやり口は酷すぎる。本当にアミーリアのことを想っているならば、利用価値など考えずにそのまま婚姻すればよいではないか。どうしてそれができないのか。彼女の意志や気持ちはどうなるのだ。彼女には、自分がどうしたいか言うことも、選ぶ権利もないというのか⁉

 そこまで考えて、ギディオンはふと思った。もし、アミーリア自身が自分を選んでくれたなら————

 ギディオンと婚姻することはもう変えられないだろう。王命なのだから。だが、その先は……。

「もし、公女が私を……私と共にいることを選び、離縁しないと言ったならば、お許しいただけるのでしょうか」

 王と王子にしっかと視線を合わせて、ギディオンは訴えた。

 王はおや、という顔をし、王子は口を歪めた嫌な笑い方をした。

「大公と大公子が殺害されたのは、彼らがゲートスケル皇国と通じ、我が王国を裏切った為だとアミーリアには伝えてある。クルサード侯爵はそのせいで犠牲になったのだともな」

「な……!」

 王子は楽し気に美しい顔を歪めて話を続ける。

「罪悪感を抱いたアミーリアが、果たして侯爵の元に居続けたいと思うだろうか? 重ねて言うが、アミーリアは私のことをずっと好いているのだぞ? まぁ、数年後に確認するのは一向に構わないが」

 その可能性はないだろうと、王子は言外に言っていた。

 そのようなことを言われていては、アミーリアがギディオンを見ることは決してないだろう。悔しさにギディオンは拳を握りしめた。王子はどんな汚い手を使っても最終的にアミーリアを手に入れるつもりなのだ。

「それに侯爵の方とて、アミーリアに対して罪悪感を抱いているのではないか? お互いそんな感情を持っている者同士を娶せるのは、一時的なものとはいえ申し訳なく思うが……」

「罪悪感? 私が?」

 入れ知恵をされたアミーリアはともかく、自分はファーニヴァルとアーカート王国の為に命を懸けて戦ったのだ。どうしてそんな感情を持つ必要があると云うのだ?

 ギディオンの本当にわからないと云った顔を見て、王子は心底愉快そうに顔を歪めた。

「なんと! 侯爵は、前侯爵が何をしたか聞いてないのか?」

「どういう、ことでしょう」

 アーカート王は気まずそうな顔をして、言い難そうに口を開いた。

「実はな————」

 王の話を聞いて、ギディオンは青褪め、アミーリアとのことを……諦めた。



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