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「ママ……? どうかしたのぼーっとして」

「あ、ううん。なんでもないの。ちょっとムナクソな記憶がよみがえってきただけ」

 ソレなんでもなくない? とキアラは思ったが、あまりにもアミーリアが荒んだ表情をしているので追求するのは控えた。

「ついでに思い出したわ。王太子妃選定のあたりから、咲の記憶が少しずつはっきりしてきたのよ。でも、ずっと抑圧されて作り込まれた“アミーリア”という殻が硬すぎて、ちょっとやそっとでは壊れなかった。咲の記憶と時々頭の中で響く自分の本音はずっと無視されて、その殻の中に留まっていたの」

「えー。じゃあ、やっぱりママは私が生まれるまで“有馬咲”であるという自覚はほとんどなかったのね」

「うーん。それがね、自覚はなかったけど、記憶の方はちょっと違っていて八割方は思い出していたというか……。“作り込まれたアミーリア”と云うかったい殻が壊れる事態が、実はそれよりも前にあったのよ……」

 何故かアミーリアは照れたようにもじもじして、顔をかぁっと真っ赤にした。こんなママの様子は、前世今世合わせて初めて見たので、キアラは驚きで目を瞠った。

「その、ね。紛争終結の宴でね……、初めてまともに見た、のよね……」

 なんだかごにょごにょ言ってるが、それって小説『風は虎に従う』の前日譚にも出てくる、アミーリアが王子に婚約破棄されて、ギディオンとの婚約が発表された、問題の“宴”だよね?

 アミーリアにとっては、そんなテレ要素など欠片もない宴だったと思うんですけど……。

「? なにを見たの?」

「……ぎ、ギディオンを……」

「パパ? パパがどうかした?」

「め、めっちゃカッコ良かったんだってー‼ もうもう、ママひと目見ただけで、脳みそ焼き切れるんじゃないかと思ったくらい! 会場に遅れて入って来たギディオンに誰もが道を譲ってね、花道になったところを悠然とマントをひらめかせて歩いてきて……。上質で豪奢なチュニックでも彼の素晴らしい筋肉は隠せてなかった……! 足を運ぶたびに、布の下にある弾けんばかりの盛り上がった筋肉が躍動するのが判るのッ。そして、あの鋭くも凛々しい眼差しで、私を……っきゃー‼」

 奇声を上げて悶えるアミーリアを前にして、キアラの目から光が消えた。

(うん。わかってた。わかってたよ。ママが前世から無類の筋肉好きだってコトはね。だから、絶対にパパが好みドンピシャだってコトもね、わかってた!)

 やっぱりこの二人、両片思いを拗らせてたな……と、キアラは改めて思った。

「じゃあ、ママはパパに、その宴でひとめ惚れしたってことだ」

「え? ……ぅん。そ、そうだ、ね……。だって、彼ほど素敵な男性になんて今まで出会ったことなかったもの。きっと王国でも一番人気があったに違いないわッ!」

(いや。それはナイ)

 力強く拳を握って主張するアミーリアには悪いが、キアラは心の中で全否定した。

 残念ながら、小説『風は虎に従う』にも書いてあったのだ。ゲートスケル皇国の台頭が始まるまで戦のない時代がしばらく続いたせいか、昨今はギディオンのようなコワモテの逞しい男性はどちらかというと疎まれ、シルヴェスター王子みたいな中性的な美形の男性が好まれているのだ、と。

 むしろギディオンは畏怖され、何を考えているか分からない、いつも怒っているみたいで怖いと、貴族女性にはかなり不評だった。

 だがアミーリアにとってギディオンは最高スペックの男性なのだろう。耳まで真っ赤にして、両手で顔を覆って照れている。

 こんなにアミーリアの気持ちはダダ洩れで分かりやすいのに、どうして誤解が生じるのか。キアラが生まれる前にナニゴトかが起こったのだろうか?

(順を追って聞いてくしかないか)

「で、ママはその宴でパパと出会って、ちゃんとお話したの?」

「うっ……。ううん。それがね、ギディオンを見た途端に、私失神しちゃって……」

「へっ? 失神? 顔見てぶっ倒れたってコト⁉ なんで? それじゃパパのこと嫌がってるって言ってるようなもんじゃん⁉」

 なんてことだ……! ナニゴトどころか、初っ端からオオゴトが起こっていた……!

「キラちゃん、違うの! 聞いて! あの日ママね、ギディオンにひとめ惚れした衝撃で、“アミーリアの殻”が壊れたの! 婚約破棄されている最中から、なんか変な心の声が頭の中に浮かぶなーとは思っていたのよ。でもギディオンを見た瞬間、もうね、頭の中でグワッシャーンて言うの? バリバリバリィって言うの? ものすっごい音がしてね、“咲”の記憶と感情が表に出てきたの!」

 語彙はひっどいことになっているが、言わんとしていることは大方把握できた。

 本当にママは恋愛面に関してポンコツだ。頭はスッゴクいいはずなのに、恋愛経験が皆無なので、ことパパが絡むと途端に馬鹿になる。

 きっと、こう言いたいのだ。

 幼い頃からアミーリアは大公と大公子に、シルヴェスター王子に好意を持たなくてはならないと執拗に教え込まれていた。恐らく本人も思い込みでシルヴェスター王子のことが好きだと、そう思っていたのかもしれない。

 だが、本当の気持ちを偽って作られたアミーリアの心の殻は、シルヴェスター王子との婚約によって亀裂ができ始めていた。たぶんシルヴェスター王子のことを本当は嫌いだったと思われる。(ママの好みの対極っぽいし)

 それが、咲——本来の人格——の好みドンピシャ男性ギディオンが目の前に現れて恋に落ちたことで、本来の感情が大きく揺すぶられ、作られた心の殻——疑似人格アミーリア——は粉々に崩れ去った……。

「……うん。まぁ、大体わかったよ」

「ほんとに~?」

 さすがキラちゃんスゴーイ、と目をきらきらさせている。

「それで、その倒れた後は? ちゃんとパパとお話できたの?」

「うっ……。ううん。それがね……」

 あれ、このくだりさっきもなかったか? 嫌な予感しかしないのだが。

「ママね、前世の記憶をいっぱい思い出したせいか、どっちが現実かよくわかんなくなって数日ぼんやりしてて……。ずっと夢の中にいるみたいな心持ちで、気が付いたら結婚式あげて、初夜も終わった後だった……」

「…………‼」

 いや、まだ何も言うまい。耐えろ! 私! 最後までちゃんと聞かなくては!

「う、うん。両親の初夜のことなんて、あんまり聞きたくないけど、敢えて聞くね。その時に、何も変なことはしなかったよね⁉ 起きなかったよね⁉」

 起きなかったといってくれ! と、願うように聞いた。

 思わずキアラの目はクワッと大きくなった。ちょっと血走っていたかもしれない。

「…………たぶん……?」

 ちらっと上目遣いになるところが、コワいくらいにアヤシイ。“たぶん”も、最後の“?”も全部全部アヤシイ。

「……なにがあった」

 ちょっとばかり、やさぐれた言い方になったかもしれない。

「え……」

「なにがあった」

 再びキアラの目はクワッと大きくなった。今度こそ完全に血走っていたかもしれない。

「……ちょっと泣いちゃっただけ、よ」

 少し唇を突き出して、拗ねたように言うアミーリア(ママ)がなんだか憎たらしくなってきた。

「泣いたって、なんで‼」

「だって、だってね、あんなに完璧で素敵な肉体がハッと気づいたら目の前に、それも手の届く距離にあったのよ! もう、感動で滂沱の涙が流れちゃって……」

 だんだん興奮して顔を紅く染めるアミーリアに反し、キアラの顔はみるみる青白く血の気がなくなった。

「その後、パパはどうしたの……?」

「え? ……『すまない』と言って部屋から出て行って、御存知の通りそれからほとんど顔を合わせていません……」

 だんだんとアミーリアの声は尻すぼみに小さくなっていく。

 キアラはしばらくぶるぶると堪えるように震えていたが、耐えかねてとうとう口火を切った。

「ママッ‼ もう、もうね、全てが有り得ないんですけど‼ 記憶を思い出したタイミングが悪かったのは百歩譲って仕方がないとしても! さすがに結婚式も、しょ、初夜さえウロ覚えでボンヤリして、そのうえ最後に泣くなんて、それはナイでしょ!」

「覚えてないわけじゃないわ。ぼうっとしててちょっと口数が少なかったかもしれないけど、泣いたのだって嫌で泣いたんじゃ……」

 キアラの烈火の如き怒りに押されて、アミーリアの口答えは弱々しい。

「ねぇ、パパの気持ちを考えてもみて! 宴で顔を合わせた途端倒れた婚約者が、結婚式でも無表情で口数が少ない、初夜の後に滂沱の涙を流す、って『あなたなんて嫌い』って思われてるとパパが勘違いするにきまってるじゃん‼ 涙の意味なんてパパ分かんないよ!」

 しかも、『すまない』って謝って初夜の床から出て行くって、ママの涙を見て『ひどいことをしてしまった』とか思って後悔したのかも。パパが自分のことを強姦魔だと責めていたらどうしよう⁉ きっとパパ滅茶苦茶傷ついてるよ……!

 しかし、アミーリアはキアラの怒りに、スッと表情を硬くした。

「……違うわよ。キラちゃん、嫌われているのはママの方よ」

「えっ?」

「キラちゃんに変な罪の意識を持って欲しくないから詳細は言えないけれど、ファーニヴァル大公家……私の父と兄が、クルサード侯爵家に対して取り返しのつかないことをしたの。だから、ママはギディオンに嫌われて……いえ憎まれて当然で、好かれることなんてそれこそ有り得ないの。『すまない』もね、きっと『やっぱり好きになれない。すまない』ってことだと思うわ」

「そんな……。違うよ。ちゃんとパパに聞いてみたの?」

「わかりきっていることを、わざわざ確認するはずないじゃない。……ママだって、傷つきたくないもの」

 泣きそうな顔で微笑むアミーリアに、キアラはこれ以上何も言えなくなってしまった。

 お互い一歩踏み出せば、誤解していたと分かり合えるはずなのに、その一歩をお互いが躊躇し合っている。もどかしい。でも、それが分かっていてどうにもできない自分自身が一番もどかしかった。

 しゅんとしてしまったキアラの頭をアミーリアはポンポンと撫で、気持ちを切り替えるように言った。

「先にママの聞きたいことを聞いちゃったから、キラちゃんの『言いたいこと』をまだ聞いてなかったよね。ほら、話して話して!」

 そうだった、とキアラはハッとした。

 アミーリアとギディオンの二人が仲良くなれば、“前日譚”の内容からかなり逸れることになり安全だと思っていたが、すぐにどうにかするのは難しそうな状況だ。

 宝石商レヤードの誘惑は回避できたかもしれないが、依然アミーリアとギディオンの不仲は改善されていない。となるとレヤードとは別件で、原作通りに二人が死亡する方向へ話が流れる可能性があるかもしれない。

 アミーリアには、ここが小説の世界だと云うことやそれがどういう結末を迎えるのかをきちんと教えて、危機回避に自ら務めてもらった方がいいのだろうか。でも自分が死亡すると書かれているなどショックを受けるかもしれない……。いいや、ママがそんなヤワなはずがないではないか、とキアラはすぐに頭を切り替えて、打ち明けることに決めた。


 だがキアラは、後でひどく悔やむことになるのだ。二人の誤解をここでしっかり解いておけば、これから起きる事件やさらなるすれ違いの大半を回避できたはずなのに————と。


 ※※※


 その日もメイドから報告を受けた。ただいつもとは違い、急いで駆けつけたらしくかなり息が上がっている。

「ぎ、ギディ…オン、か、閣下。……アミ、リア、様が……中庭へ、お、散歩に、向かいまし、たっ」

「この時間に……?」

 ふと時計に目を向けた。

 いつもはキアラのお昼寝の時間にしているのに、今日はまだ午前中だ。

「はっはい。アルダ会長との、め、面会後に突然、キアラ様と中庭へと、仰いまして。今日は応接室から向かわれましたので、もう到着されているかと……!」

 だから急いで来たのかと、得心がいった。

 応接室から中庭まではすぐに到着するが、この執務室までは棟も階も違うので来るのに時間がかかる。

「ありがとう。……ブランドン、少し抜けてもいいだろうか」

 メイドを下がらせて、側近へと振り返り、一応(形だけは)許可を取る。側近のブランドンは、諦めたような顔で肩を竦めた。

「いつもすまん」

 一応(形だけは)謝り、いつものように執務室にある、中庭の四阿近くへ繋がる隠し通路を急いで駆け下りた。

(キアラも連れて散歩とは、今日はどうしたのだろう)

 通路を急ぎながら、ふと気になった。

 知らせに来たメイドから、何かアミーリアの様子がいつもと違っていたとの報告もあった。

 キアラを連れてアルダ会長と面会するのも、今日が初めてだったはず。そんなにキアラと離れず一緒にいるのは何か理由があるのか。キアラに何かあったのだろうか、と胸騒ぎがした。

 四阿近くの出口に到着し、そっと顔を覗かせれば、アナベルがきょろきょろしながら心配顔でこちらを見ていた。合図を送り、下がって良いと許可をだす。アナベルがアミーリアに一礼して、ギディオンの方へ視線をちらりと流してから、中庭を去っていった。

 この隠し通路の出口は建物と植栽によって四阿の方からは見えないようになっている。出口があると分かっていなければ絶対にバレないはずだ。

 アミーリアが散歩を日課にするようになってから、ギディオンも同じ時間にここへ来るのが日課になった。少しばかり距離はあるが、護衛を兼ねながらアミーリアを好きなだけ眺めていられる至福の時間だ。

 いつもはひとりの時間をゆったりと楽しむように過ごすのに、今日はキアラを相手にお喋り(・・・)をしてはしゃいでいる。微笑ましい光景に、ギディオンの表情も緩み、デフォルトの眉間のシワも二本ばかり少なくなった——が、

(…………お喋りだと?)

 思わず自分でツッコんだ。一歳そこそこの子供相手にお喋り?

 じっと目を凝らして見ていると、アミーリアだけが一方的に話し掛けている訳ではないことが判る。キアラもかなり話している。途中でアミーリアが何故か真っ赤になったり、キアラが四阿のベンチの上で怒ったように立ち上がったりと、声は聞こえなくとも異常なほどの盛り上がりで話し合っているのが見て取れた。

(キアラと、本当に話が通じているのか……?)

 普通なら信じがたいが、もしかしたらと思う自分もいた。

 キアラが生まれてから、就寝前に子供部屋を覗くのがギディオンの習慣になっていた。夜中でもわりとキアラは起きていることが多かった。起きているとつい嬉しくて、調子に乗ってキアラ相手に問わず語りをしていた。

 一方的に話しているつもりだったが、ちょうどよいタイミングでキアラが返事をするように声を上げることがよくあった。

(本当に話を理解していたとしたら……)

 キアラの前で、自分は酷く恥ずかしいことばかりを口走っていなかっただろうか⁉

 いまさらではあるが急に嫌な汗が流れ、動悸が激しくなった。こうなると二人の会話が気になって仕方がない。

 本当にキアラが分かっていたのか、二人がどんな風に、なにを話しているのか、確かめたいという衝動にかられた。

 お喋りしているように見えるだけの、ただの遊戯ならばそれでよい。だが、真実二人が話し合いをしているとしたら……。

 いままで自分がキアラに向けて話していたことを思い出すと、羞恥で気が狂いそうになった。もう、確かめずにはいられなかった。考えるよりも先に、体が動いた。

 気配を消して、少しずつ四阿まで慎重に近づいた。四阿のある場所よりも少し高い位置に植えられている植栽の陰に身を潜ませた。二人の声もちゃんと聞こえ、尚且つ四阿からは死角になっているので自分の姿は視認できないはずだ。

 すでに、いけないことをしているなどという認識はギディオンの頭の中から消え失せていた。

 ギディオンは四阿をそっと覗き込み、耳を澄ませた。

「先にママの聞きたいことを聞いちゃったから、キラちゃんの『言いたいこと』をまだ聞いてなかったよね。ほら、話して話して!」

 丁度良くアミーリアがキアラに話すことを促している。

(本当に会話が成り立っているのか、これで分かる……)

 思わずこくりと唾を飲み込んだ。

 キアラは少しの間逡巡するように黙っていたが、決意漲る強い目でアミーリアを見据えると、おもむろに口を開いた。

「ママ、あたちたちがちぬまえにさんかちたイベントのことはおぼえていりゅ?」

「勿論よ。キラちゃんがずっと愛読していた作家さんの追悼イベントだったわよね」

 こくん、とキアラが頷いた。

 ギディオンは声が漏れ出ない様に一生懸命自分の口を両手で押えた。

(舌足らずだが、まるで大人が話しているようだ……!)

 そして、このあと続くキアラの話は、ギディオンの理解の範疇を越えた、恐るべきものであった。




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