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「アルダ会長、どうして俺だけこんな目にあわなきゃならないんだ!」
商館の護衛二人に腕を後ろ手にして膝をつかされている男は、薄汚れた衣服に饐えた体臭が鼻についた。荒んだ生活を送っていたのがすぐに見て取れる。拘束されながらもギラギラとした狂気じみた視線でアルダを睨みつけていた。
だがそんな男の視線を虫に刺されたほどにも気にせず、アルダ会長は感情のない目で見下ろしていた。
アミーリアと商談を交わしている時の、つぶらな瞳を好奇心旺盛に輝かせた愛嬌溢れる商人アルダは、いま存在していない。
ここにいるのは、ファーニヴァル最大の商人ギルドの長として権勢を揮い、ファーニヴァルとギルドの為ならいくらでも冷徹になると恐れられる、ギルド会長アルダであった。
「お前がギルドの約定を破ったからだ。ブレット」
視線と同様に、アルダの言葉は冷淡だった。男——ブレットは余計にいきり立った。
「俺以外にもゲートスケルの商人に売った奴らはいるじゃねぇか! なんで俺だけが破門になるんだ! 納得いかねえよ! おかげで誰からも相手にされねぇっ!」
「だからといって、こんな風に商館へ押し入るなど……。全てはお前の自業自得ではないか。私を脅したとて破門が取り消されるわけでもあるまいに。馬鹿なことを」
ブレットは、先ほど商談から戻って来たばかりのアルダ会長に刃物で脅しつけて商館へ押し入ってきた。だが瞬く間に入り口で見張りをしていた護衛に拘束されたのだ。
「うるせぇっ! 俺だけが割り食って損するなんて我慢ならねぇ! アンナまで唆して連れ出しやがって、アイツに何させるつもりだ! 会長、お前もギルドも誰も彼も、俺よりもっとヒデェ目に遭わせてやるからな!」
興奮し激高する男をアルダは一瞥するとわずかに眉を顰め「……警吏に引き渡しておけ」と護衛に向かって言うと、もう用はないとばかりに商館の自らの部屋へと踵を返した。
「くそぉっ、おぼえてろッ! 俺を陥れた奴ら全員復讐してやる‼ いまにみてろよ!」
ブレットは護衛に引きずられながら、いつまでもアルダの去っていく背中に向けて、己の不幸を嘆き、自分以外の人間を口汚く罵っていた。
その様子を影からみていた商会副会頭のレーダがアルダに近寄って耳打ちをする。
「……せいぜい鞭打ち程度ですぐに解放されるでしょう。放っておいてよいのですか?」
「構わん。ギルド破門となった信用のない者にファーニヴァルではいかなる商取引もできない。妻子からも見切りを付けられ、あの様子では金も持ってはいまい。……なにも出来はしないさ。これ以上追い詰めてやるな」
苦々しい表情を浮かべ、大きくため息をついた。まだ未来ある若い商人が道を踏み外したことを一番悔しくやりきれない気持ちでいるのは、アルダであった。
「自分の妻子がギルドに保護されていると云うのに……。感謝どころか会長にあのような……」
「保護ではなく借金のカタにされたとでも思っているのだろう。できれば反省し、地道な仕事をみつけて迎えにきて欲しいものだが……」
「そう、ですね……」
冷徹と評判の会長が実は人情派なのをレーダ以外知るものはあまりいない。アミーリアの助言に従い、多くのものが窮地を救われたが、どうしても取りこぼしてしまう者もいた。ブレッドはそのひとりだった。
人知れず心を痛めている会長を慮り、レーダもひそかにため息をついた。
ブレッドの恨みの深さを目の当たりにして、これ以上会長の心労が増えることなど起きなければいいが……と、レーダは心配せずにいられなかった。
※※※
ファーニヴァルはゲートスケル皇国との終戦後、アーカート王国の一部となった。終戦条件として、向こう十年間のファーニヴァルへのゲートスケル皇国人の往来の許可、取引の非課税もしくは免税、等々が定められた。
終戦直後速やかにギディオン・クルサード侯爵がファーニヴァルに入って常駐し、治安維持と戦後復興に尽力しているものの、亡国となった事実は民の心に深い傷をつけ、その戸惑いと混乱はなかなか収まらなかった。
そこをゲートスケル皇国の商人に付け込まれた。
アーカート王国とゲートスケル皇国の終戦協定を盾に、取引という名で強奪まがいに商品を買い取られる、無理難題とも云える納期や数量で注文される、新規の顧客なのに掛取引をされて結局支払われない……等々、大小関わらずファーニヴァル商人はゲートスケル商人に対して問題を抱え、困り果てていた。
いままで守護してくれていたファーニヴァル公家はもはやなく、問題が起きてもどこに訴え出ればよいのかもわからない。かといって取引を断っては、終戦協定が破られたと抗議されて戦が再開するのではないかと誰もが恐れ、何もできず手を拱いていた。
ちょうどそんな折に、アミーリアの元にアルダ会長が招かれた。
もちろん苦境を悟らせるようなアルダではなかったが、持ってきた品物の品質や量があまりにも良くないことにアミーリアが不信を抱き、さらには強力な圧のあるアミーリアの追及によって、いつの間にか街の様子や商人たちの苦境を言わされていたのである。
すべてを聞いて、まずアミーリアがしたことは謝罪であった。
「ファーニヴァル大公家が不甲斐なかったばかりに、国民に負担をかけて本当に申し訳ないことをしたわ。ごめんなさい……」
「そんな……! これはアミーリア様のせいではございません」
アルダは酷く驚いた。幼い頃に大国アーカート王国王太子の婚約者に選ばれ、ファーニヴァルから長い間離れていたアミーリアがファーニヴァルの国民のことをこんなにも気にかけているとは、正直思っていなかった。
「いいえ。大公と大公子が何をして殺されたのかは、知っています。もちろんアルダ会長も御存知なのでしょう?」
それは、知っていた。
だが、アルダに何が言えようか。それもまたある意味、国を救う手立てだったのかもしれない。一介の商人に口出しできるものではない。しかし、国民として納得できるかどうかは、また別の話であるが。
アルダが何も言えずに黙っていると、アミーリアは察したように話を続けた。
「私は残されたファーニヴァル大公家の者として、父と兄が犯した罪を償わねばなりません。そして、ファーニヴァルに住まう全ての民と、それを受け継ぐキアラの為に、元のファーニヴァルに……いえ、それ以上のファーニヴァルにしてみせましょう。私の全てをかけて、やり遂げてみせるわ!」
「…………!」
アミーリアの宣言に、アルダは震えた。
わずか十九歳の、いままで何の苦労もしたことのないであろう女性がここまでの気概をみせてくれたのだ。アルダも自分の持つ全ての知識と人脈をかけて、アミーリアと共にファーニヴァルの復興に尽くそうと心に決めた。
そんなアルダの感動冷めやらぬうちに、アミーリアは畳みかけるようにどんどん喋り続ける。
「まず、取り急ぎの問題はゲートスケル皇国の商人ね。でもそれは簡単に解決できるわ」
「え⁉」
「そもそもファーニヴァルでは初めての取引や大きな商取引をする場合は、関連するギルドを通さなければいけなかったはずよ」
「は、はい。その通りですが……、ですが、皇国と王国の取り決めは……」
「ああ。そういう認識だったのね。王国はなんでもかんでも許可した訳ではないわよ? あくまで、ゲートスケル皇国人の往来許可と関税の免除、もしくは減税をすると約束しただけ。ゲートスケル皇国商人にやりたい放題していいなんて誰も言ってないわ」
「あ、アミーリア様は、ゲートスケル皇国とアーカート王国で結んだ休戦協定の詳細をご覧になられたのですか?」
あまりにもきっぱりと言い切るアミーリアに驚き、アルダは目を白黒させて確認した。
「当たり前じゃない。そんなことも知らずにファーニヴァルに戻って来られないわ。でも、肝心のあなたたちに詳細がきちんと伝わっていなかったのね……」
考え込むようにアミーリアの眉間がぎゅっと寄った。
「いい? これからの取引は、従来通りギルドの監視の下で行って頂戴。ゲートスケル皇国商人にも毅然と対応なさい。ギルドの約定に違反した者には容赦なく制裁を課して構わない。もちろんそれは、ゲートスケル皇国商人、ファーニヴァル商人どちらにも分け隔てなく平等に。何かあったら、申し立てはクルサード侯爵へ直接訴えなさい」
「はい……。あの、アミーリア様はギルドの約定まで、ご、御存知なのです、か?」
「当然よ。ギルドは『扱う商品の品質の維持、売却数、価格の取決め、その全てを監視し互いに不利益を起こさない』ことを約定としているのでしょ? 他国の商人だろうと、それは守ってもらわないと困るわ」
「そ、その通りです! ですが、まさかアミーリア様がそんなことまで……」
どうして貴族の令嬢がそんなことまで知っているのかとアルダには信じられなかった。お妃教育にはそんなことまで含まれているのだろうか?
「馬鹿にしないで。ギルドの売上は領地の税収入に直結する大事なことよ。仮にも侯爵家の家政を任される奥方として、税収入に関わることを知らないで済むはずがないでしょう?」
いや、税収は奥方ではなく領主の仕事では……とアルダは思ったが、懸命にも口を噤んだ。
「それじゃあ、アルダ会長には面倒をお掛けするけれど、取引の件は周知徹底をよろしく頼むわね。しばらくは揉めるかもしれないけれど、その為に侯爵がファーニヴァルに常駐しているのだから遠慮なく頼りなさい」
「は、はい……」
そしてその後、ゲートスケル皇国商人との取引にはギルドが対応し、揉めることは(かなり)あったが、アミーリアの助言通りにクルサード侯爵に申し立てるとすぐさま代理人を派遣して間に入り、調停もしくは注意を促し、ファーニヴァルの商取引は徐々に正常な状態へと戻りつつあった。
だが、その過程でゲートスケル皇国商人と結託して商品の斡旋や買い叩きを率先して行い、賄賂や過剰な接待を受けていたファーニヴァル商人が数人みつかった。そのうちの一人がアルダの運営するギルドに加入していたブレッドだった。アルダは約定を破ったブレッドを即刻ギルドから破門した。
次に城を訪問した時に、感謝と共に経緯を報告すると、アミーリアはまたもやアルダを驚かせた。
「ゲートスケル商人に協力した者たちにも家族がいるでしょう? 本人が代償を払うのは当然だとしても、家族に罪はないわ。どうか、これで残された者たちの面倒を見てやってもらえないかしら」
クルサードの財産はこんなことに使えないからと、自らの宝飾品を数点差し出して、申し訳なさそうにアミーリアはアルダに頼んだ。
すでに残された家族をギルドで保護していたアルダは受け取れませんと断るつもりだった。……が、アミーリアの暗く辛そうな表情を見て、黙って受け取ることにした。受け取らないと、アミーリアの気持ちが収まらないと思ったのだ。これは彼女なりの贖罪なのだろうとアルダは理解した。
(これはキアラ様がファーニヴァル領主とお成りあそばした時に、献上すればよい)
それまで自分が預かっていると思えばいいのだ。
そう考えながらアルダが顔を上げると、アミーリアはさっきまで浮かべていた暗い表情など影も形も無く、打って変わってにんまり笑っていた。
「と、こ、ろ、で! アルダ会長、私にいい考えがあるのよ! 是非聞いて欲しいの。で、良ければ私の計画にひと口乗って貰えないかと思って!」
そう言って切り出したアミーリアの計画に、アルダは忽ち舌を巻いた。
(お妃教育を受けるとこんなことまで考えられるようになるのだろうか⁉)
アミーリアのせいで、アルダはお妃教育に対して間違った認識を持ってしまっていた。
だが、アルダ会長はアミーリアの計画を聞いて、不覚にも久しぶりに胸がワクワクした。
ゲートスケル皇国が攻め込んできてから、常に心が沈み、何を見ても聞いても面倒に感じていた。心に重い鎖が巻き付いているように苦しく辛かった。それが、一瞬で解放されてしまった気がしたのだ。
こうして、アルダはアミーリアの計画に巻き込まれ——もとい、協力することになったのだった。
※※※
「親父、同じものをもう一杯」
カウンターにマグカップを叩きつけて酒のおかわりを要求する常連客を、酒場のマスターはじろりと睨んだ。常連客はすでに酔いがかなり回り目が据わっていた。常連客——ブレッドは、最近ギルドを破門になり荒んだ生活を送っていると他の客から聞いていた。懐事情の悪いヤツにこれ以上飲ませて、酒代を踏み倒されてはたまらない。
「やめときな、ブレッド。それで何杯目だ? ウチではツケはきかねぇからな。これ以上飲むんだったら、先に飲んだ分を支払ってくれ」
「…ンだと? バカにしてンのかぁ?」
マグカップを今度は床に叩きつけ、椅子を蹴り倒す。大きな音が店内に響き、客が一斉にブレッドを見る。
「ブレッド、いい加減にしな。支払わねぇならもうウチの店は出禁だし、暴れるなら騎士団を呼ぶぜ」
「おいおい、ファーニヴァルを滅ぼしたアーカートのハイエナに頼るのかよ? プライドも何もなくしちまったな、親父!」
嘲るように怒鳴るブレッドに、他の客が「そこまでにしとけ」「もう帰れ」など呆れたように声を掛ける。
終戦後、ファーニヴァルには他国の商人が我が物顔で跋扈し、すっかり治安が悪くなった。だが、新しく領主となったクルサード侯爵はわざわざ自らファーニヴァルに常駐し、治安維持に腐心してくれている。クルサード騎士団の夜回りもその一環だった。それに感謝こそすれ、ハイエナなどと罵るブレッドの気がしれない。商売柄何度も騎士団には助けてもらった。マスターは少々かちんときていた。
「ゲートスケルの奴らとつるんで、ずいぶん汚ねぇ商売したらしいじゃねぇか? ブレッド。そんな奴にプライドなんざ語って欲しくねぇな」
「なんだと‼ もういっぺん言ってみやがれ!」
ブレッドは腕を振り払い、カウンターの上にあった食器や酒瓶を次々に落した。陶器の割れる音と強い酒精の匂いで店内は一気に騒然とした。誰かが「おい、騎士団呼んで来い」と叫ぶ。
「待った待った! ブレッドさん、ダメですよ」
客の中から帽子を目深に被った男が一人躍り出て、ブレッドを落ち着かせようとばんばんと背中を叩いた。
「うあぁっ!」
叩かれた瞬間、ブレッドは悲鳴をあげて蹲った。背中に血が滲んでいる。背中を叩いた男は驚き「そんなに力を入れたわけじゃないのに」と青い顔でブレッドに謝罪を繰り返す。だがブレッドは痛みのせいか、呻くだけで答えることができない様子だった。
「俺、ブレッドさんを医者に連れて行きます」
と、帽子の男は壊した食器の分も合わせてとカウンターに銀貨二枚を置き、ブレッドに肩を貸して店を出て行った。
店を出ると、ブレッドは痛みに耐えながらも男の肩を振り払った。
「お、お前、誰だ」
「そんな無理しないで。鞭打ち刑の傷が悪化します」
「お前っ! わ、わかってて、叩いたのかっ」
帽子の男はきれいな紅い唇の両端を引き上げた。鼻から下しか見えないのに端正な顔立ちなのが分かる。やはりブレッドの知らない男だ。
「ブレッドさん、ギルドを破門になったのでしょう? 俺ね、それを指示したひとを知ってますよ」
「な……、誰だ!」
しっと帽子の男は指をたてた。
「こんな往来で話せることじゃありませんから。それとね、軟禁されている奥さんと子供をギルドから救い出したくありませんか?」
「お前いったい……?」
「俺についてくれば、なんでも教えてあげますよ」
その日から、ブレッドの姿を見る者はいなくなった。
※※※