12
「そうね。許せないわ」
その低く硬質な声は、アミーリアの底知れぬ怒りを感じさせた。
アナベルはびくりと体を震わせた。下げていた頭がさらに下がり、体を硬直させる。
「この城に居る人間、全員許さない。私のことを認めようともしない、私を蔑ろにしたって心も痛まない人間ばかりだって————」
一気に部屋の中には冷たい空気が吹きすさび、キンと冷えて静まり返る。
(ママっ……! 乳母は悪くないじゃん。話聞いたでしょ?)
二人の間に流れる緊迫した空気に、キアラは青褪めながら二人を交互に見た。
「乳母……いえ、アナベルの話を聞かなかったら、ずっとそう思っていたわね」
ふいにいつもの声音に戻り、アナベルははっと視線だけアミーリアへ戻した。
アナベルと視線が合うと、アミーリアはにやりと微笑んだ。
「顔を上げて。アナベル……これからは乳母じゃなく名前で呼ぶわ。いいでしょ?」
突然友好的な態度になったアミーリアに、アナベルは顔を上げて目をぱちぱちさせた。
「私はね、使える者を私怨で捨て置くような人間じゃないの。確かに、いままでの行動は愉快とはいえないけれど、そんな背景があったなんて、あなたは私に少しも悟らせなかった……。いいじゃない。そういう有能な人材がずっと欲しかったのよ! アナベル、あなたをクルサードに返すわけないでしょ。そんな勿体ない! いままで通り、側に居てちょうだい」
じわじわとアミーリアの言っている意味がアナベルに伝わってくる。だが、単純に許された訳ではないらしいと、眉を顰めた微妙な顔になる。
「は、はい……」
「丁度、護衛が欲しかったところなのよ。いいタイミングだったわ!」
にっこりとアミーリアは満面の笑みを浮かべ、アナベルとキアラは揃って目をしばたたかせた。
※※※
数日後————別の商人がアミーリアの元を訪れていた。
頭からつま先まで、ものすごく福々しいほどお肉盛り盛りで恰幅がよく、色白で乙女のようにくりっとした目が印象的なおじさんだった。
「アミーリア様、今日はご希望の品に近いものを何点かお持ちできましたよ」
「ありがとう! 専門外なのに、ずいぶん早くみつけてくれたのね。あ、アルダ会長。娘のキアラよ。キアラ、初めましてはできる?」
「ぁじめまして。あるだかいちょう」
「おおぅ。キアラ様、お初にお目に掛かります。この方がファーニヴァルの次期様なのですね。なんと愛らしく賢そうな姫様でしょう……」
ふくよかな頬を揺らし、アルダ会長は感極まったようにキアラをみつめた。
アルダは主に雑貨や絹織物を扱っているファーニヴァルで一番大きな商会の会頭で、商人ギルドの会長でもある。すでに数回訪ねてきていたが、キアラが同席するのは今回初めてだ。
「じゃあ、早速みせてもらうわ」
「はい」
アミーリアに急かすように促されて、アルダ会長は鞄から同じような布地を何枚もテーブルに並べた。その並べる手は、手首や指の節がまるで浮き輪を重ねた感じにくびれて、赤ちゃんのようにぷくぷくとして可愛らしい。
(このヒト、なんかどこかで見たことある……?)
思い出せそうでなかなか思い出せない。
(もどかしいな……。なんだっけ、白くて全体にぽよんぽよんしたアレ……。こう、喉元まで出かかってるのにな)
キアラが必死に思い出そうと頭をひねっている間に、アルダ会長とアミーリアの間で話がだいぶ盛り上がっていた。
「この生地、いいわね。特に柔らかくて手触りがいいわ」
「はい。さすがお目が高い。“肌触りよく柔らかいリネン”を厳選してお持ちしましたが、特にその生地は亜麻を使い、織り方とその後の処理にもひと手間かけている最高級品です。まぁ、お値段も最高級ですが」
「なるほど。……じゃあ、キアラモデルはこれに決まりね」
(キアラモデル? なんのこと?)
「はい」
アルダ会長は嬉しそうに大きく頷いている。なにやらちゃんと通じている。
「あと、もうひとつ……。値段抑えめのオススメはどれなの?」
「それでしたら、こちらです。ヘンプですが後処理で手触り良く仕上げてあります。丈夫ですから何度洗っても傷みにくいうえ、むしろ洗うたびに柔らかくなっていきます」
「まッ、いいじゃない! ……で、どのくらいなの?」
アミーリアは親指と人差し指の先をくっつけて、Oの字をつくる。アルダはアミーリアに顔を近づけてひそひそと耳打ちをし、二人同時にニヤリとした。まるで悪徳商人同士の密談だ。
「……卸の方に無理は言ってないでしょうね?」
「いえいえ! こちらは糸の品質が若干落ちるので元々安いのです。が、色にバラツキがあってなかなか売れません。それでどうにか出来ないかと手触りを良くする工夫を重ねたのです」
「まぁ……、この生地は企業努力が結集したものなのねぇ。余計に気に入ったわ」
生地を何度も撫でながら、アミーリアはうっとりしたように目を細めた。
「? きぎょうどりょく、ですか?」
アルダは聞きなれない言葉に首を捻った。
「色にバラツキも却って結構。同じデザインでも違ってみえるじゃない!」
アルダはハッとしたように目を見開き、つぶらな瞳の輝きが増した。
「確かに! アミーリア様のおっしゃる通りですな!」
ふふふ……、とアミーリアとアルダは分かり合ったように頷き合う。
「それじゃ、すぐにでも試作に入りたいわ。最初の生地はキアラモデルで、取りあえずパターン①でこの子が着るサイズのワンピース。もうひとつの方は、パターン②の簡易なデザインのものと、生後一年未満までの子が着られるような肌着。取りあえずこの三つを大至急で。初夏から売り出すのは、もう決まりよ。とにかく全てをスピーディに進めなくてはね」
アルダは大変だといいたげに、酸欠の金魚の如く口をぱくぱくさせた。初夏まで半年もない。
「しょ、承知致しました。ですが、一度アミーリア様に仕立の者や小売の者とも会って頂きたいと思っております。特に仕立の方は、細かい打ち合わせが今後必要になるかと思いますので……、大丈夫でしょうか?」
城でアミーリアに面会できるのは、ギディオンの了承を得た者のみである。何人も面会を希望するとなると、申請して許可が下りるまでに時間が掛かる。なんといっても承認するギディオンが、戦後復興や街の治安維持にと駆け回っていて多忙だからだ。
「うふふ。それなら私に考えがあるわ」
「全員こちらに連れてきても……?」
恐る恐る尋ねるアルダにアミーリアはにっこりと笑いかけ、次に側に控えていたアナベルへ顔を向けた。
「あなたが護衛してくれれば、私が街へ出ても大丈夫よね?」
「えぇ?」
「えっ?」
アルダとアナベルは驚き、揃ってアミーリアを見た。
「私が商館へ行くのが一番手っ取り早いでしょ。もちろん、アナベルは協力してくれるわよね」
言葉は頼んでいるが、口調は強制だった。アナベルはうっと口を引き結び、脂汗が瞬時に吹き出した。
「……ギ、ギディオン様に伺っておきます……」
にっこりしながらアミーリアは頷き、アルダへ向き直る。
「という訳で、来週にはアルダ会長の商館へ伺うわ。追って日程を連絡するから、申し訳ないけれどその日に全員揃うようにしておいて欲しいわ」
「は、はいっ! では急いで戻り、皆の予定を確認しておきますっ」
「頼むわね」
「はいっ! ギルドの者全員が、一度はアミーリア様にお会いしお礼を申し上げたいと願っておりました。ゲートスケル商人の件では皆本当に感謝しておりますから。きっとアミーリア様がお越しになると聞いたら喜ぶに違いありません」
「あれは……、感謝されるようなことではないわ。真っ先に対処しなければいけなかったのを怠ったのはこちらなんですから」
ふと睫毛を伏せてアミーリアは悔しげな表情を一瞬浮かべた。が、払拭するように口元を引き上げ「じゃあ、お手数だけれど、日程や人員の手配をお願いするわね」と軽く頭を下げる。
「はい、承知いたしました。それでは失礼いたします!」
アミーリアとアルダは共にソファから立ち上がり、アルダは喜色満面で一礼すると、跳ねるように応接室から飛び出ていった。
その風船がぽよんと弾むような後ろ姿を見た途端、キアラにひらめきが下りてきた。
(あ、あれだー! あの、某タイヤメーカーのキャラクター! 白くてぽよついた、アレアレ!)
あははははは。あぁ、スッキリしたぁ————
そのキャラを発端に、次々と連想で似ているものが頭に浮かんできて、キアラの顔のニヤつきは止まらなくなる。
(あのおじさん、あのキャラにも似てるけど、顔がねぇ、アレよ。またアレにそっくり……)
白くてもったりと柔らかそうで、茶色のつぶらな目がちょうど豆みたいに見えて、おいしそうだった……
「……はぁ……。まめだいふく……たべたい……」
もう味わうことのできない懐かしいあの甘味。
甘味といえば、あれにも似てるのよ。笑っちゃいけないけど、モヒカンじみた頭頂部にしかない茶色のチョロ毛が、はみ出たあんこみたいで、まるで……
「……せっぷくまんじゅ……ぷふ……」
ママも私も和菓子が大好きで、よくお店をハシゴしたっけなぁ……、などとキアラは前世の(おいしい)思い出に耽っていた。
だが、アミーリアの鋭い声がキアラの意識を瞬時に現在へと引き戻した。
「キラちゃん! もう一度言ってみなさい‼」
「へぁッ? ……ママ?」
キアラが顔を上げると、アミーリアは鬼のような形相でキアラを睨んでいた。
(な、なんでそんなに怒ってるのぉ————⁉)