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「アミーリア様、お許しいただけるならば言い訳をさせて下さい」
乳母が神妙な顔で、そう言った。
話し合いが滅茶苦茶な状態で終わり、ギディオンと共に子供部屋を出て行った乳母が、数時間経ってからお茶を持って舞い戻ってきたのだ。
「『誤解を解く』ではなく『言い訳』ねぇ……。で、そのお茶は賄賂?」
「賄賂、というよりは、ゴマすりですね」
と、乳母は不敵な笑みを浮かべて肩をすくめた。
いままで見たこともないあけすけな態度である。アミーリアと云い乳母と云い、なにかが吹っ切れたのだろうか。
普段飲んでいるものより若干ランクが上らしい香り高いお茶に、お茶請けの菓子が三種類ほども用意されてカートの上に載っていた。アミーリアはそれらを一瞥すると、皮肉気ににやりとした。
「ふん……。いいわ。聞きましょう」
「ありがとうございます」
乳母は礼を言うと、おもむろにお茶と菓子をテーブルの上に並べた。アミーリアが向かいのソファに座るよう視線で促し、乳母——アナベルは姿勢よく腰を下ろし、アミーリアと向かい合った。
アミーリアの膝の上に座っていたキアラも、乳母の視線を真正面で受け止める。
(なんかこう……うまく言えないんだけど、乳母って貴族女性っぽくないというか……なんとなく違和感があるんだよね。妙な迫力があるっていうの……?)
その違和感をアミーリアも感じていたに違いない。もしかすると、ギディオンとアナベルが親密だと思ったのもそのせいかもしれない。二人は何か同じ匂いのようなものがするのだ。
「それで?」
アミーリアがお茶には口もつけず単刀直入に切り出すと、アナベルは悔し気に顔を歪めて、頭を下げた。
「……申し訳ございません。今日このような結果になるとは、予想もしなかったのです」
「その謝罪は、昨日レヤードのことをギディオンに告げ口したことについて?」
「……はい。そうです」
「悪かったとでも思っているの? あなたにとって、この結果は喜ばしいものではなくって?」
「アミーリア様、先程『言い訳』と言いましたが、それに関しては『誤解を解かせて』ください」
アナベルはアミーリアをしっかと見据えて、強い口調で言った。
「はっ? ずいぶん調子がいいのね。ま、もうどっちでもいいわ。聞いてハッキリさせましょうか」
若干自暴自棄というか、投げやりな言い方に、キアラは心配ではらはらしていた。もし乳母が愛人だと確定したら、この場は一体どうなるのか。もしかして修羅場になるんだろうか……。
「アミーリア様は私とギディオン様の間に何かあると誤解されていますよね?」
アミーリアはカッとしたようにすぐさま言い返した。
「誤解じゃないでしょう⁈ さっきだって二人して目配せで会話しているし、愛称で呼んでたじゃない! それで何もないなんて誰も信じやしないわ!」
「……ああ。やっぱり、アミーリア様は何も聞いていないのですね」
困ったようにアナベルはため息をついた。それは愛されているものの余裕にも見えて、アミーリアを激高させた。
「もう結構よ! 愛人だと云うことはよーくわかりましたッ! 言い訳もなにも必要ないわ! さっさと出て行って!」
「ち、違います! 聞いていないと言ったのは、そんな意味ではなく……」
「もういいと言ったでしょう! 出てお行き!」
「聞いてください! お願いします!」
アナベルは執拗に食い下がった。ここで引いたらたぶん一生話を聞いてもらえないと思ったのだろう。
「うるさいっ! あなたが出て行かないなら私が出て行きます!」
言うなりアミーリアはキアラを抱きかかえて立ち上がった。
「ご、護衛ですっ! 私はアミーリア様の護衛なのです‼」
「は?」
(え?)
アナベルの予想外の宣言に、アミーリアとキアラはぴたりと動きが止まった。
「護衛……ですって? あなたは乳母でしょ?」
「はい、乳母でもあるのですが、本当の役目は護衛です」
アナベルは必死な形相でそう言うと、すっくと立ちあがり突然チュニックドレスの裾を捲り上げた。
「ちょっと、あなた何して……え、えぇ……?」
それを見て、アミーリアは唖然とした。
ドレスの下には動きやすいようにブレー(ズボンのような下履き)を身に付け、太もも辺りには短剣がベルトで固定されている。履いている靴はゲートルで固定された、ドレス姿にあるまじき実用性重視の長靴だ。確かに護衛というのは嘘ではなさそうだった。
アミーリアはすとんと気が抜けたようにソファに沈み込んだ。
「私はギディオン様の愛人などでは絶対にありません。私は夫を心から愛しておりますから」
「え? お、夫?」
「もちろんです。子供がいるのですから、夫もいるに決まってるじゃないですか」
ちょっとムッとしたようにアナベルが抗議した。
「え? え? 私、てっきり先の紛争で未亡人になったのだとばかり……」
「えっ?」
アナベルとアミーリアは一緒になって、目をぱちくりさせた。
どうやら全く話が噛み合っていないことだけは、お互い理解した。
「あぁ、もう……。アナベル、あなたの『言い訳』も『誤解を解く』のも、洗いざらい言って頂戴……黙って聞くから」
疲れたようにアミーリアはため息をつきながら、そう言った。
アナベルの『言い訳』と『誤解』とは、ざっとこんな説明だった。
クルサード侯爵家の重臣であり護衛騎士団団長を父に持つアナベルは、幼い頃より父の跡を継ぐべく騎士としての訓練を受けて育った。これまで護衛騎士団の副団長を拝命していたが、三年程前から出産と育児の為、騎士団の仕事は休んでいた。
長い産休と育休を取っていたのは、最初の子を産んだ後に一度流産して体を壊した為、夫がひどく心配したからだという。
「しばらく次の子ができなかったものですから、娘を妊娠した途端すぐに休養しろと物凄い剣幕で怒られまして……」
怒られたとは言いつつも、頬を染めてアナベルは嬉しそうに言っている。よほどその心配性の夫のことが好きなのだろう。
そして、産休育休を取っている間にギディオンが結婚し、妻であるアミーリアがキアラを出産した。アミーリアよりも半年ほど早く娘を出産していたアナベルは、ギディオンのたっての依頼を受けて、騎士としては復職せずにアミーリアの護衛兼乳母として側に就くこととなった。
ちなみにギディオンとアナベル、アナベルの夫の三人は同い年の幼馴染であり、アナベルの夫はクルサード侯爵家の文官で、現在ギディオンがクルサード侯爵領を不在にしているので、領主代行として領地に残っているとのことだった。
「私はてっきり、アミーリア様は知っていると思っていたんです」
「……全然聞いてないわ。あなたも知っての通り『君の乳母だ』と紹介されただけよ。さっきも言ったけれど、あなたのことは紛争の未亡人だと思っていたから、私からいろいろ事情を聞くのはためらわれて……」
紛争とは、ファーニヴァル公国がゲートスケル皇国に侵攻され、ファーニヴァル公国が亡国となった戦である。その時に、援軍で駆け付けたクルサード侯爵と侯爵家の騎士たちが多数亡くなっている。それはアミーリアの父と兄の失策のせいであったので、アミーリアとしては自分からは話題にし難かった、ということなのだろう。
アナベルは苦虫を噛み潰したような顔をした後、盛大にため息をついた。キアラの耳に「あのバカが……」と云う呟きが聞こえたような聞こえなかったような……。
「では、『誤解』の方は解けたでしょうか」
伺うようにアナベルに問われ、アミーリアは申し訳なさそうに頷いた。
聞けばギディオンも、爵位を継ぐまではアナベルと共に護衛騎士団の副団長を務めていたそうである。つまり、ギディオンとアナベルが親密そうに見えたのは当然なのだ。幼馴染なうえに同僚だったのだから。ならば愛称で呼んでいたのも、色めいた理由ではない。
キアラの感じた同じ様な“匂い”の正体は、騎士という職業のせいだったのだ。よくよく見れば、きびきびとした立ち居振る舞いや動作が二人はよく似ていた。
「ありがとうございます。では次に『言い訳』の方をさせてもらいます」
さて、アナベルはレヤードの件を告げ口したことをどう『言い訳』するつもりだろうか?