遂にこの時がきてしまった。
遂にこの時がきてしまった。
視界が狭まり目の奥でバチバチと火花が散る。耳鳴りが前頭葉で鳴り響き、歯がガチガチと音をたてる。手足から血の気が引いているのが分かる位冷えきっている。
私の震え、強ばりが簪を伝いしゃらりしゃらりと音をたてる。
衆人観衆の中私一人がぽつねんと立っていた。
「リリー・ムーン・アゼライン公爵令嬢。」
彼が。殿下が私の名を口にする。忌々しいあの子の腰を抱きながら。
「異界からの神子。私の愛しいヒマリにこの学園で何をしたか、」
幼い頃、私を一等愛おしいと、大切にすると、好きだと言ってくださった舌で他の女を愛おしいという。
「証拠、証言。全て私の手の内にある。」
手足が震えて一歩も動けやしない。もうまともに殿下を見る事も出来ない。
「貴女がヒマリにした行い。一つ残らず、今、ここで、喋ってくれ。」
嗚呼、私をここに送りやがってくだすった女神殿。
「お前もこれ以上惨めな目には合いたくないだろう?」
私は一発や二発。いえそれ以上に女神殿、貴女を殴らなければ気がすみません。
顔を下げ深く息を吐き笑顔を貼り付ける。これ以上ここに居てはいけない。今すぐに濡れ羽色のあの人に会いたい。
「ベル様、いえ…リベルアッシュ・アルベルト殿下。わ…私は何もしておりません。」
「…そうか。残念だ、正直に話せばヒマリは寛大な心で許してやったというに。…本当につまらない奴。」
「リベル・アッシュ殿下。簡潔に申します。私を隣に据える気はございますか?」
「はっ。そんなことある訳ないだろう。僕は可愛いヒマリを妻に迎える。お前みたいな表情が動かない、魔力量だけが取り柄な奴と結婚なんてごめんだな。」
「…っ!!そっそれは国王様と王妃様はご存知なのですか?!」
「はっ。そんな事聞くまでもなく賛成してくださるだろう。ひまりは異界からの神子だぞ。」
「左様で。ではこの場を持ちまして婚約を破棄すると?」
「あぁそのつもりだ。」
「かしこまりました。ではこれにて御破算にいたしましょう。」
先程まで私たちの声以外物音ひとつ無かった会場が一気に騒がしくなった。この瞬間に令嬢たちの口元には扇状の花が広がる。
あぁ私はこの光景をしばらく夢に見るだろうなと思い困った顔で少し笑ってしまった。
髪を結い上げていた古代紫の蜻蛉玉の簪をするりと抜き取り軸を捻り細長く白い紙を抜き取る。
背筋をぴんっと伸ばし、烏玉の髪をしゃらりと背中に流し、抜いた簪を杖代わりに会場全体に全員の服を黒く染める魔法を使った。
会場からまたもどよめきが起こる。ある人はワイングラスを床に落としたり、いち早くここから出ようと出口に飛び出そうとしたり様々である。
それは当たり前のことでこのパーティーには各貴族や国の重鎮も参加している。もしもの事があってはならないと魔法封じの印を会場全体に貼っている。国の魔法師団が全員でも使用不可な状況でさらりと魔法を使ったからなのである。そりゃ驚嘆もする。
指をぱちりとならし簪を煙管に変え白檀の香りの紫煙を燻らす。
先程殿下の前で手足を震わせ見るからに無理に問答していた令嬢とはとても思えなかった。会場は又もシンと静まり返る。皆青ざめ固唾を飲み黙っている。
「まぁ皆様先程までのお喋りはどう致しましたの?もっと賑やかになすってくださいまし。」
「少し私のお話を皆様聞いてくださる?あぁ御返事は結構よ。少し私にもお喋りさせて下さいまし。」
そこに居ない誰かの手をとり歩き始めた。
コツ。コツ。コツ。コツ。ヒールが大理石を叩く音が聞こえる。
カカ。コロン。カカ。コロン。何者かの足音が聞こえる。
喋りながら出入口にゆったりと近づくリリーに皆道を空ける。
「私、たった今この国の第一王子に婚約破棄をされましたの。んふふ。王妃教育もあらかた住んでおりまして王妃様のお隣で公務も手伝っておりましてよ。そんな私が婚約破棄?きっと私、殺されるでしょうね。国の暗部を少しでも知っているのですから。他人に殺されるくらいでしたら私自死を致しますわ。他人に不要物と言われ辱めを受け野に放置されるくらいなら自分からと望むのも不思議では無いでしょう?」
「そういえば此方の宗教観では儚くなれば神の元へゆくのでしたね。今から神のもとへゆくの。ヘレン様のお膝元など拷問されても嫌ですけれど。私は私の神の元へ逝きたいですわ。神のお傍に侍るには、ねぇ?お分かりになるでしょう?その服で皆私を見送って下さいましね。」
コツコツ。カカ。コロン。ゆったりとサーキュラー階段を登ってゆく。
「嗚呼そうだリベル・アッシュ・アルベルト殿下。この婚約は貴方からの破棄。間違いなく国王と王妃にお伝えくださいまし。貴方の言葉の責任でしてよ。ヒマリ様も、あらそんなに冷や汗垂らしてどう致しましたの?可愛い顔が台無しになってしまうわ。貴方もヘレン・リア・アグライア様に間違えて殺したからお詫びに異世界転移か転生をしてチート使って自由に無双でもスローライフでも好きなようにと進められた人でしょう?」
出入口前の柵に手を掛け話しかける。もう会場全体がリリーの燻らす白檀の香りが鼻腔をくすぐる。もう誰一人としても声を上げるものはおらずメイドから殿下に至るまで全ての人がリリーの一挙手一投足を見逃すまいと眺めていた。
「あの女神はもうダメね。私達わ公園の蟻くらいの感覚で眺めていらしてるもの。そのうちにでも資格剥奪からのクビでしょうね。業務違反に書類偽造。来世は塵かしら。そんな駄女神から貴女の選んだチートはなぁに?喋らなくて良いわよ。ふぅん。聖魔法と原作知識。…後魅了?」
リリーはぽかんとしか顔を浮かべた直後盛大に笑い始めた。
見えない何かに撓垂れ掛かって何とか笑いを抑えようとするが、肩はガクガク揺れているし笑い声も漏れている。
「ふっふふふふ魅了って。ふふふ。あははははは。聖魔法は教会にいれば魔力消費なんて気にせず使えるから分かるけど。あはは。魅了ふふふ。寄りにもよってこの殿下に?あっはははは。貴女、顔と家柄しか見ていないのね。あはは、ふふふふ。」
深く深呼吸し呼吸を落ち着かせる。
「それでは皆様、私あの方のお膝元に行ってまいりますわ。私の話を聞いていただき、ありがとうございました。またお会いできる日を心より楽しみにしておりますわ。ではこれにて失礼致しますわ。私を捨てたリベル・アッシュ・アルベルト殿下に!この国に!私の両親に!私の神からの祝福があらんことを。」
扉の向こうにいる神様に会えるのが待ち遠しく、まるで時を止めたような緻密な彫刻のされ荘厳な雰囲気を溢れさす重厚な扉に、簪から抜き取った細長く白い紙を貼り、紙が扉に溶けるのを確認し、何かにエスコートされながら、真っ暗な空間へとリリーは溶けていった。
異様な雰囲気とリリーが燻らせた白檀の香りが充満した会場でドレスの色が元に戻るまでヒマリ以外誰1人ぴくりとも動けやしなかった。