第9話 家なきゾンビ
パキパキと焚き木から小気味良い音が鳴る。囲炉裏の傍に座らされた僕は、有無を言わさずマッサージを受けることに。
僕を村長宅まで連れてきてのは望海で、実際に診てくれるのは見知らぬお婆さんだった。
「おタネさん。リンタローくんは治せるかなぁ?」
「シッ。黙って。今診てっからよ」
おタネさんの眼光がいやに鋭い。背丈は小さく背中も丸く、さながらダルマみたいなフォルムなのに、放つ気配は凄まじかった。ギラリと光る瞳は獰猛で、僕は視線に堪えるのがやっとだった。
「ここだ! キェェーーっ!!」
「あいたッ!?」僕は肩に衝撃を覚えて、咄嗟に叫んでしまった。そしてすかさず文句を言った。「何をするんですか、痛いでしょうが!」
「これで腕が動くべよ。右肩の方だ」
「えっ、あ……。ほんとだ。楽に回る……!」
「わかったら大人しくしてんべ。あと3回やっからな」
「え、いや、待って! ゾンビって痛覚ないはずでしょ!? どうしてこんなに痛いの!」
「んなもん気持ちの問題だべ。痛ぇ痛ぇと思ってっからだ」
「そうかなぁ……。なんか違う気が」
「見えた! キェェーー!!」
「痛ッ! やっぱり痛いじゃないか!!」
僕は老婆に突かれた。両腕と両足の付け根を。電気ショックでも食らったように痛かったけど、関節はスムーズに動くようになった。
おタネさんは去り際に「身体あっためとけ」とだけ言い残した。
「はぁ……すごい事された気分」
「ダメだよリンタローくん。私たちは身体を冷やしちゃ危ないんだから。ちゃんと暖をとるように気をつけてね。特に眠ってる時ね」
「そうなんだ。昨日寝る時は一応、落ち葉を使ったんだけどね。いててて」
「それじゃ足りないよ。ちゃんと火起こしして、その熱を集められるように工夫しないと」
「野宿だと限界あるよ」
「そもそも野宿しないでって話。昨日は帰ってこなくて心配したんだから」
望海が口を尖らせながら、小さく溜息を吐いた。吐息の臭いから何かを思い出しそうになる。そうだ、雨上がりでぬかるんだドブと同じだ。
それが分かった所で何にもならない。機嫌を損ねた女性の扱い方とは何か。まったくもって分からず、意味もなく指先をわきわきと彷徨わせた。それでも僕は結論が見いだせなかったので、「今後は気をつけるよ」と言ってようやく許された。
「村長さんがね、空き地に資材を用意したって言ってた。そこなら好きにしていいよって。ちなみに家を建てた経験はあるの?」
「一度きりかな。人間の時に、掘っ立て小屋を建てるのを手伝ったよ。道具や資材が整ったうえでね」
「なるほど……まぁ、ともかく行ってみよっか」
表に出てから、改めて村の造りを眺めた。村の北端には、階段にして一段ほど高い丘がある。そこが村長宅だ。長い一本道が村を貫き、途中で左右に交差する道がある。道沿いには水田や畑があり、それらに寄り添うようにして家屋が立ち並んでいる。
南と東方向の道は森に通じていて、僕が初めてやって来たのは東方向からだ。西側はというと、道はあるものの途中で途切れている。その先は渓谷と切り立った崖があると、教えてくれた。
「私の家はね、西側にあるんだ。向かって右から2番目の建物」
「へぇ。結構新しいんだね」
「それでリンタローくんの場所だけど……東側だね」
望海が先導についていくと、家屋のひしめく中に空き地を見つけた。足元は、集落の外に向かう緩やかな上り坂となっており、平地とはいいがたい地形だった。
「よりにもよって、ここなんだ。建てづらいとこじゃん。ちょっと村長さんに抗議しようかなぁ!?」
望海が眼尻をあげたので、僕はなだめた。
「いやいいよ。住まわせてくれるだけで有り難いから、本当に」
「うん……リンタローくんがそう言うなら、別に」
思うのは、自分がそれほど歓迎されてないことだ。さほど寂しくはない。急にやって来たよそ者が、全幅の信頼を寄せられる方が、よっぽどおかしいだろう。
今はやはり信頼を勝ち取る時期なんだろう。村に貢献するうちに、いつか皆に認めてもらえると信じよう。だから今は文句をいうべきじゃないし、そもそも不満なんて感じていなかった。
「ともかく建ててみようかな。ここの資材は使って良いんだよね?」
「うん、もちろんだよ」
僕らの足元には、木材がある。どれも3メートルはありそうな木の幹で、枝は落とされているが、加工はそれだけだ。傍らに錆びついたノコギリと、木製のハンマーも添えられている。これだけでどうにかしろ、という意味だろう。
「じゃあそうすると、一番太そうなのを柱にして、梁は……」
僕が木材を前に呟いていると、不意に頭にぶつかるのを感じた。大した痛みじゃない。左右を見渡した拍子に、足元に何かか落ちた。
「ん? これってもしかして、竹とんぼ?」
素材は竹ではなかったけど、形状はそのままだった。通りの方で誰かが僕を見つめている。そう感じた時、隣の望海が相手をたしなめた。
「ちょっと康太、それに縁里も、どこか広い所で遊びなさい」
通りに立ち尽くすのは2人の子供だ。どちらも10歳を越えない男女で、浴衣のような一枚布を身体に巻き付けている。白濁した瞳と、青白い肌がなければ、人間の子供としても通用しそうだ。
「望海ねぇちゃん遊ぼうよ。暇なんだってば」
「今はちょっと無理。大事なお手伝いがあるからね」
「ちえっ。姉ちゃんってば、何かあるとリンタローリンタローって。昨日も村中をずっと探し回ったりさ」
「こ、こら! そういう事言わないの!」
望海が追いかけると、2人の子たちはキャアキャアと笑いながら逃げ回った。なかなか本格的な追いかけっこで、簡単には終わりそうになかった。
「ごめんリンタローくん! 私は子供の相手してるから、家造りはがんばってね!」
「う、うん。分かったよ〜〜!」
白熱する子守りをよそに、僕は家造りを開始した。はっきり言って素人なので、凝ったものは作れない。家というよりも、雨風しのげて、温まれる場所と考えることにした。
ハードルを下げるだけで、難問もわりと着手しやすくなる。初手で完璧なものと欲張ったら、大抵はロクな結果にならないことを、経験から知っていた。
「まずは一番立派な木材を柱に……っと」
柱を1本たてる場所に穴を深く掘った。手頃な石を地面に置いて、それをハンマーで叩きまくる。地面に湿り気があるので大きな亀裂が入る事もなく、細かなヒビ割れも地ならしするだけで良かった。
今叩いた石を取り出すと、手首まで埋まる程の穴ができていた。そこに柱をたててみる。穴が少し大きめだと分かった所で、いったん柱は寝かせた。
「梁は斜めに立てるしかないな。それを柱に乗っけるようにして」
続いて梁となる木材を手に取った。片端は地面に刺し、もう片方は人ひとりが立てるだけの高さにまで持ち上げた。それだけで、完成時の奥行きが推察できた。
「うう〜〜ん。ちょっと狭そうだな。もう少し低くしたら広くできるかな」
試行錯誤をしていると、膝の裏に何かが当たった。竹とんぼだった。クスクスと笑う声をたどると、さっきの少年と目があった。
「康太くんだっけ。ごめんね、僕はちょっと仕事をしなきゃならなくてさ。だから遊べないんだ」
僕が竹とんぼを手渡してやったところ、少年は何も語らず、どこかへと立ち去っていった。
すかさず家造りの続きだ。柱の先に四角い穴を空けて、梁の方には出っ張りができるように先端を削る。ふたつを合わせると上手く噛み合う――ようにしたかった。
「ううん、ちょっと難しいな。もう少し梁の方を削れば……」
するとそこへ、背中に当たるものがあった。ひとつは竹とんぼ。もう1つは、枝と布で作られたフリスビーのようだった。
視線を巡らせると、建物の陰がにぎやかだ。そこには康太だけでなく、縁里という女の子までいた。2人ともニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべていた。
「あのね、さっきも言ったけど、僕は遊べないんだよ」
「だってつまんないもん」
「ええと、望海ちゃんはどうしたのかな?」
「ねぇちゃんならアッチ。井戸のとこ」
康太の指差す方を見ると、道の辻に立派な井戸があった。その縁で突っ伏して息を荒くするのは、間違いなく望海だった。
「ええと……。ともかくね、子どもたちだけで遊んでてよ。あと望海ちゃんには優しくしてあげて」
僕が竹とんぼとフリスビーを手渡すと、またもや何も言わずに駆け去っていった。激しく息をつく望海の脇を抜けて、金色の稲穂の方へと消えた。
「やれやれ、子供って元気だな。薄着でも全然寒そうじゃないし」
気を取り直して建築だ。それからは試行錯誤を重ねて、梁と柱を格闘させた。何度も繰り返し合わせて、削り、また合わせる。そのうちどうにか合致するようになった。それでも2つの木材は、優しく寄り添うだけで、何かの拍子でバラけてしまいそうだ。
「ええと、そしたら縛るか。ツタとか雑草の茎で」
幸いにも森は近い。しなやかな雑草を手当たり次第に集めた。その茎で梁と柱をきつく縛ったところ、安定感がグンと増した。
「よしよし。これでオッケーかな。あとはできる限り多くを結べるように……」
僕は集めたばかりの雑草を手に取ると、異変に気づいた。雑草は不規則に結ばれていて、解かなくては使えなかった。自然に出来た形じゃない。なにせご丁寧にも、キレイなキレイなリボン結びだったからだ。
「君たち、やったな……?」
僕が呟くと、物陰から笑い声が聞こえてきた。あの2人かと思うと、やはりその通りで、悪戯心たっぷりの笑みを向けてきた。
「そこまで邪魔するならね、いいよ。いたずらっ子は捕まえちゃうから!」
僕は子どもたちを追いかけた。しかし相手は早い。若さに任せた走り方だ。でもこっちも負けてはいない。追いついては、康太を小脇に抱えて捕らえてやった。
すると縁里の方にポカポカと殴られたので、痛いふりをして解放。すると2人が逃げるから追いかける。その繰り返しだった。
どれだけ続けたのだろう。やがて井戸の方から望海が歩み寄ってきた。
「ありがとう、リンタローくん。子供の相手までしてくれて」
「僕は平気だよ。望海ちゃんは大丈夫? すごくグッタリしてたけど」
「うん、それはまぁ、なんとか。半年分は走った気分かな」
「あはは。なにそれ」
「ところでリンタローくん。お家は出来たのかな? そろそろ日が暮れるけど」
「えっ……」
楽しいひとときで忘れていたが、そうだった。僕は家を建てる必要があり、夜に間に合わせなくてはならない。
しかし諸行無常。中天で輝いていたはずの太陽は、いつの間にやら西に傾いて、山の稜線を赤く染めていた。
「まぁね、1日で家を建てるなんて無理だよね。なんとなく察してたよ」望海が深々と頷いては、こう言った。「それじゃあ家が出来るまで、私のお家においでよ」
「えっ、でもそれは……」
「まさかとは思うけど、2日連続で野宿とか言わないよね? ね?」
望海は愛らしく微笑んでいる。しかし不思議と、気のせいだろうか、有無を言わさぬ圧が感じられた。
僕は黙って頷くしかなかった。
「それじゃあ決まりね。何もないけどゆっくりしていってよ」
女子とお泊り。ひとつ屋根の下で夜を明かす。そう思うだけで、腹の中であらゆる臓器が燃えて弾けそうなくらい、脈が激しくなった。
――おちつけ。迷惑かけないように。決して嫌われないように上手くやり過ごそう。
僕は念仏のように繰り返した。村から追い出される事もそうだが、何より望海から失望されることが怖かった。溢れる激情よ鎮まれ。無難に終わりますように。祈りの言葉は絶えない。
そんな悲壮感とは打って変わって、望海の足取りは軽やかだ。鼻歌を口ずさむあたり、心のありようが別物だと思った。