第8話 無鉄砲の代償
水田の間にある道を望海とともに行く。その途中で、痩せこけた老婆やら、脇腹を押さえた男やらがフランクに話しかけてきた。
「おや望海ちゃん、戻ったのかえ?」
「ただいま! 身体に良い薬草がいっぱいあったから、あとで配るね」
望海は腰の袋を叩きながらいった。その拍子に土と、青臭い匂いが漂った。
道の先は村長宅に続いていた。この村で一番偉い人だと聞いていたが、家はあまり広くない。傾いた木のドアを開くと土間があり、望海は「ただいま〜〜」と言っては、囲炉裏の傍に座った。
僕も手招きされたので、端っこに腰を降ろした。熾火はじんわりと温かく、肌に心地よかった。
「おやおや、来訪者とは珍しいのう」奥から腰の曲がったお爺さんがやって来た。彼は村長で、ヨチヨチと歩いては草履を脱ぎ、板間にあがった。
「ただいま村長。帰り道で出会った根須麟太郎くんだよ。行く宛がないっていうから連れてきちゃった」
「さようか。大変な目にあわれたようですなぁ。難儀、難儀」
村長は僕の左腕をみつめては、繰り返し頷いた。
僕もそちらに目をやると、その肌の半分は赤黒いままだった。日焼け跡のようなもので、炭化した部分をこすると痛みもなく剥けた。新しく見えた肌は、少しだけ赤みがかっていた。
「ほっほっほ。随分と若々しい身体だ。節制に気をつければ、長らくゾンビとして活動できましょう。私なんぞはもう、この通りでして」
村長は囲炉裏にかざした手を振ってみせた。やたら細い指先だ。骨に皮だけが乗っているように思えて、僕はしげしげと見つめてしまった。
村長はもう片方の手でそっと隠した。そちらも同じ様に細かった。
「やはり老いたくはないものです。ここ数年はどんどん肉が縮んでいって、今では骨と皮のようなものです」
「ようなというか、そのまんまな気が……」
「私は始めから老人でしたが、あなたは違う。実に若々しいゾンビだ。節制につとめれば長く活動できましょう」
それは世にいう長生きでは、と言いかけてやめた。ゾンビを生者と呼ぶべきかは、判断の分かれるところだろう。
実のところ、僕自身はまだ生きている気がした。下手すると人間時代よりイキイキしてるかもしれない。
若い女性が人数分の湯呑みを持ってきた。差し出されたのは白湯で、飲み込むと体内をじんわり温めてくれた。そう感じられるのも、生きてるからじゃないだろうか。
「根須さんといったかな。よろしければ、村に留まっていきなさい」
「良いんですか? よそ者の僕が」
「なぁに、困った時はお互い様。我々としても、若いゾンビが増えることは大歓迎です。ただ……」
村長が少し眉間にシワを寄せた。
「空いてる小屋があったかな。申し訳ない、歳を取ると物忘れが……」そこで望海が声をあげた。「空き家がないならウチに泊めますよ」
僕はおもわず白湯をふいた。鼻の後ろが焼けたように熱くなる。
「そうかね。まぁ若い者同士、気が合うだろう。根須さんが嫌でなければ好きになさい」
話がまとまりかけた所で、僕は早口でまくし立てた。
「あの、大丈夫です! 村のお世話になるとは思いますが、寝るところくらい何とかしますよ!」
村長や望海が引き留めようとする中、僕は逃げるようにして外へ飛び出した。そして気づけば、村外れの森の中にいた。
「ふぅ。さすがにね、同じ屋根の下で暮らすだなんて、ダメでしょ……」
僕は望海が微笑む姿を思い浮かべては、顔が焼ける心地がした。なぜだろう。彼女といると調子が狂うというか、冷静さを失いそうになる。胸から沸き起こる活火山のような熱気が、今は怖くて仕方ない。
「今度こそうまくやらなきゃ。追い出される事のないように」
あの魅力は危ない。誰かに夢中になる事の危険性は、浦城の一件で骨身にしみている。ともかくトラブル厳禁、皆に迷惑をかけない。そう胸に誓うのだった。
「それにしても、すごいな。これが外の世界か……」
改めて森の様子を眺めてみる。木々の生い茂る深い森だが、暗い印象は受けなかった。木漏れ日は温かで、鳥のさえずりも耳に心地よい。草地には花が咲き乱れて、花びらの端からリスが顔を覗かせては、遠くへ逃げていった。
豊か、という言葉が似合う光景に、僕は深呼吸した。
「初めてじゃないかな、こんな晴れやかな気持ちは」
もはやゾンビに怯える必要はない。だから外壁も武器も警戒心すらも不要だった。それが嬉しくて、目に付くもの全てを弄り倒した。
「あぁ、これが自由の香りかぁ」見慣れない花に顔を寄せて深呼吸した。
「あぁ、これが自由の手触りかぁ」謎のキノコを木の枝でつついてみる。傘がミョンと揺れて緑っぽい胞子が飛んだ。
「あぁ、これが自由とのふれあいかぁ! あっ、待っておくれよウフフフ」草むらに隠れたスズムシを捕まえようとして、上手く行かず取り逃す。跳ねて逃げるさまが愛らしく思えて、しばらくその後を追った。
「いいな、これが自由かぁ! こんなことならサッサとゾンビになっておけば良かったよ!」
警戒心を置き去りにしたまま、心ゆくまで緑地を愉しんだ。目に付く物すべてに反応し、触ったり追いかけたり。
しばらくして。僕は調子に乗りすぎた事を痛感するようになる。
「あれっ。さっきから同じところをグルグル回ってないか?」
道を見失った。付近には立て看板も道路もなく、ただ豊かな森だけが広がっていた。うかつすぎた。土地勘のない森に1人で散策するだなんて、さすがにどうかしてた。
「やめてよね……。ゾンビになったばかりで行き倒れなんて!」
僕は半分パニックになりながら、滅茶苦茶に駆け回った。もう方向感覚などない。太陽の位置から方角を判断するだけの理性も失っていた。今は体力の許す限り、道なき道をさまようばかりだ。
やがて太陽が山の向こうに沈んだ頃。辺りは完全な闇に包まれた。見上げれば、たまに星あかりが見えるけど、周りを照らす程の力はなかった。
「仕方ない。夜を乗り切って、また明日探索しよう」
足に枯れ葉を踏む感触があった。それをかき集めると一抱えほどになった。身体を埋めるには十分な量だった。
あとは寝るだけ。大地の匂いに包まれながら就寝。夜の鳥がさえずる。まるで子守唄のようだった。
「一時はどうなるかと思ったけど、何とかなりそう。こんな暮らしも悪くないかな……」
腹の底から息を吸って、吐いた。発電所の煙もない、焼けたゴムの臭いもない、そして視界を塞ぐ防壁もない。
指先には湿った土の感触、甘くて芳醇な落ち葉の香り、そして虫や鳥の歌声。もちろんすぐに気に入った。闇夜の音楽会。僕は夜更かししたくて仕方なかった。それでもいつの間にか眠ってしまった。
明くる朝。僕は顔にかかる落ち葉を払いのけようとして、気づく。曲がらない。腕が、指が、肩関節が思うように動かせなかった。
「な、な、なんだこれ!?」
僕の身体はガチガチに硬直していた。体中に強烈なバネでも仕込まれたかのようで、関節を曲げるだけでも脂汗が滲むほどに重たかった。
立ち上がり、走った。ロクに膝は曲がらず、両手を前に突き出しながらと、ひどくぎこちない。それでも可能な限り全力疾走した。
「望海ちゃん! 村長さん! たすけて――うわぁっ!?」
いきなり足元が消えた。足の裏が虚空を踏んで、重力に任せて落下。急峻な坂道を跳ねて転がってという大惨事になってしまった。
そうして最後に背中から着地すると、近くで豚がフゴッと鳴いた。ここは木造の家屋の裏口付近。勝手口にほど近い窓からおばさんゾンビが顔を覗かせた。
「あらま。どうしたのよアンタ? 大丈夫け?」
「あの、すみません。お騒がせしてしまい……アフン」
「ちょっとしっかりしなよ!? 誰か来とくれ! 知らない子が倒れてるよぉ!?」
それからは老いも若きも集まるという騒ぎにまで発展してしまった。早い段階で望海が回収してくれたので、それ以上大事にはならなかった。
さっそく迷惑をかけた、すぐに挽回しなきゃ。薄れゆく意識の中、誰かに背負われる感覚を覚えつつも、そんな事を考えていた。