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第7話 おいでませゾンビ村

 見知らぬ少女は、坂道をテンポよく降りてきた。足を踏み出すたびに「ホッ、ホッ」と声をあげては、一歩一歩を狙いすましてから飛ぶ。確認は大事だと思う。


 ぼんやりと突っ立ったままの僕は、その軽やかなるステップをジッと眺めていた。そして無事、彼女が河原に着地したところで、僕は小さな拍手で称えた。ちゃんと降りられてエライ。


 

「さてと。ところでアナタ、この辺の子じゃないよね? どこから来たの?」


「この辺がどこかなんて、よく分からないけど……。僕はエデンからやって来て、そしたらゾンビに襲われて、川に流されてきてここに」


「えっ、そうなの? もしかしてゾンビになったばかり?」


「うん、そういう事になる……のかな?」


「大変。これを飲んだほうが良いよ。飲みかけで悪いけど」そこで差し出されたのは青い水筒だ。ところどころ塗装は剥げていて、だいぶ使い込まれた感がある。だが僕は受け取らなかった。 


「飲みかけって、もしかして君が?」


「そうだよ。でも大丈夫。半分以上残ってるから」


「え、いや、待って。ちょっと心の準備が」



 これが噂に聞く『間接キス』か。年の近い女性と回し飲みだなんて、経験どころか想像した試しもない。


 このまま言葉に甘えるべきか。それとも飲み口を拭うべきか。正直なところ、直でいきたいとは思う。しかし、この女性を前に醜態をさらす事だけは我慢ならなかった。ならば紳士的に拭うべきである、いやしかし!


 強烈な葛藤に悩まされていると、グイと水筒を突きつけられた。四の五の言うなと告げるように。



「わ、分かったから。飲ませてもらうよ」



 蓋は既に開いていた。僕は押し付けられた勢いで、そのまま口をつけて飲み始めた。するとどうだ。全身にしびれにも似た快感が駆け巡り、得も言われぬ充足感が込み上げてきた。


 もはや間接キスはささいな問題だった。今は飲水の正体の方がよほど気がかりになる。



「ありがとう、なんか凄く楽になったよ。ちなみにコレは……」


「うん。湧き水に、新鮮な生き血を混ぜたものだよ」



 ゴフッ。思わずむせた。なんて物を飲ませるのかと思って見返していると、相手はニッコリ微笑んだ。肌の欠けた部分の筋肉がグニャリと歪んだ。皮膚の下ではこんな動きをしているのかと感心させられる。



「そっか、アナタはまだ知らないんだよね。私達ゾンビは、体内で血液をつくれないの。だからこうして定期的に血を飲む必要があるんだよ」


「そういうものなの……?」


「ゾンビになりたてだと知らないからさ。喉が渇いた感じになって、水ばっかり飲んじゃうんだよね。逆効果なのに」


「それはそう。すんごい飲みまくった」


「ちなみに気分はどう?」



 僕のコンディションは快調だ。例えるなら、風呂上がりの直後に、よく冷えた水を飲み干した感覚と似ていた。



「凄くいいよ、怖いくらいに」


「じゃあひと安心だね」



 相手はそう言うと、小首を傾げて微笑んだ。柔らかな髪が揺れて、あらわになった側頭部には、突き刺したような穴が開いていた。


 思わずそこを眺めていると、望海は目を伏せながら手のひらで覆い隠した。



「あ、ごめんね。見苦しいでしょ。死因の刺創しそうが結構深くてさ。なかなか消えないんだよねぇ」


「見苦しいだなんて、そんな!」



 僕も反射的に目をそらした。まじまじと見つめるのはきっとマナー違反だ、さして親しくもない女性の穴を覗くだなんて。


 僕は気まずさから逃れるようにして、自己紹介を強行した。



「まだ名乗ってなかったよね。さっき死んだばかりの根須麟太郎ねずりんたろうです、よろしく」


「私は、近くの村に済んでる陵望海おかのぞみっていうの」


「いい名前だね。ところで村っていうのは、陵さんのような――」


「望海でいいよ」



 その言葉に、僕の心臓がピタッと物理的に止まる。それから思い出したかのように鼓動が再開された。脈が胸を打つほどに激しくなる。さらに鼻息までも荒くしてしまい、自分の浅ましさが感じられて嫌になる。


 

「じゃあ、僕もその、リンタローで……」


「ありがと。リンタローくんはゾンビの知り合いとか、ツテはあるの?」


「そんなものないよ。考えたこともない」


「それはピンチだよね。それもかなりの」


「あ、そっか。こんな姿じゃエデンやエターナルには帰れないね。どこかで野宿するしかないのかな……」


「そんなの大変だって。うちの村に来なよ、きっと歓迎してくれるから」


「でも……」



 僕の心に暗いものが差した。ゾンビの巣窟、屍人が大量にウロつく場所。ジメッとして不快な匂いが立ち込める、澱んだ沼が広がるとか、そんな破滅的な光景を想像してしまった。


 素直に「行きたい」とは思えなかった。



「僕は、その、馴染めないかもなぁ……なんて」



 やんわりと拒絶しようとしたところ、僕の手がギュッと握られる。そして望海が強く引きながら言った。「いいから行こうよ!」


 僕は何も抵抗できず、ただ導かれるまま小走りになった。するとなぜか、心に清涼な風が吹き込んできた。どこまでも行ける。そんな気にさせてくれる心地に、少しだけ戸惑いを覚えた。



(女の子と手をつなぐなんて、生まれて初めてだよ)


 

 繋いだ手は温かで、柔らかい。まるで干し柿を握っているかのようだった。その感触が、僕のささくれた心にじわりとした安らぎを与えてくれた。


 

「そんなに遠くないから。向こうの森を1つ越えた先にあるよ」


 

 彼女のうなじからも濃厚な香りがただよう。それは、路地裏のゴミ捨て場で野垂れ死んだネズミを彷彿とさせ、少しクラクラした。どこか理性を直撃する臭いだ。


 やがて僕たちは駆け足をやめて、歩調を落とした。並んで歩くようになったころに、そっと手を離した。彼女は何も言わず、態度も変えなかった。



「森は結構深いんだよ。でも道から外れなきゃ平気なんだ」


「へぇ。確かに、たくさん木が生えてるね」

 

「ここにはたくさんの動物や植物が暮らしてる。そのうちの1つに私達ゾンビも含まれてるわ。この森に生かされてるの」

 


 確かに辺りは生命の息吹で満ちていた。小動物が遠くで僕たちを眺めては、顔を下げてドングリに食らいつく。水辺では、数匹のたぬきが喉を潤していた。チョロチョロという水の音も聞こえる。目と耳のどちらも心地よいものばかりだった。


 水辺だけでなく、見渡す限り草地や花畑が見えて、さながら楽園のように思えた。



「いいところだね」


「村もね、何もないけど悪くないところだよ。きっと気に入ってもらえると思う」


「そうなんだ。期待してるよ」

   

「ところでリンタローくん。小腹は減ってない?」


「うん、言われてみれば」


「ちょうど良いところにご飯があるよ。ちょっと寄っていこう」


「ご飯が『ある』って何?」



 望海は鼻先を探知機のように向けては、小刻みに息を吸った。そして茂みをかき分けて進むと、草地に横たわるトンビと出くわした。



「えっ、なにこの鳥は?」


「老衰かな。命の手触りが消えてるもの」



 望海は膝をおって両手を合わせた。僕もその姿勢を真似た。しばらく沈黙が過ぎたあと、望海は言った。



「巡り合わせに感謝を。それじゃあ、いただきます」


「いただきます!?」



 僕は思わず声をひっくり返したのだが、望海は顔色を変えなかった。それどころか、おもむろにトンビの亡骸に手を伸ばし、その腹に食らいついた。



「えっ、そのままいくの!? せめて下ごしらえとか!」


「私たちは生き血が必要だからね。こうしないと身体がもたないんだよ」



 そう語る望海の口元は真っ赤だ。その血液も、舌なめずりをして、拭っていく。



「驚かせちゃったかな? ごめん、前もって話しておくべきだったよね」



 物理的に頬を真っ赤に染めた望海が言う。その表情には不思議と吸い込まれそうになる。僕の胸はズキリと痛みを覚えた後に、脈を大きくさせた。

  

 僕はもう大混乱だ。このおぞましく、グロテスクな光景を目の当たりにしても、胸の高鳴りを覚えてしまう。望海の振る舞いが果たして適切なものか分からない。何せ女に不慣れだし、しかもゾンビに成り果てた直後だ。使える物差しなんて持ち合わせていなかった。これまでの価値観も存在意義も全てが崩壊して、ガレキまみれの廃墟に押し込まれた気分になった。


 あぁもう、いっそのこと、僕の心を壊して欲しい。生者と死者のはざまに居ることが、なんてもどかしいんだ。



「リンタローくんもお腹減ってるよね。それじゃあ一番美味しいところを」



 望海がトンビの腹をまさぐって、引きずり出した。グロい、グロ過ぎるそれは、考えるまでもなく内臓だった。赤々とヌメる塊を直視できない僕は、木漏れ日の方に視線を逃がした。



「あ、その、僕は、宗派の都合でそういうのは……」


「何言ってるの。新鮮なうちに食べちゃいなよ」


「待って。せめてカウントダウンを――モガモガッ」



 無理やり口の中に突っ込まれた。生臭い鉄の味。それは僕に電撃をもたらした。美味い、いや身体が求めていると確信した。


 それからはもう虜だった。望海から肉塊を奪い取るようにして鷲掴みにして、全力で食らいついた。



「なにこれウマッ! えっ、どこまでもウマッ!」


「そうでしょ〜〜。美味しいよね」



 それからも血まみれの食事は続いた。可食部はあまさずいただき、骨やクチバシは噛み砕けないので、穴を掘って埋めた。


 僕は手についた血を舐めるほどに、食事の名残を惜しんだ。



「どうだった? ゾンビ流のお食事は」


「ビックリするくらい最高だった。次が待ち遠しいよ」


「いいね。順応力が素晴らしいよ。これなら村にもすぐ馴染めると思うよ」


「そうだと良いな」



 もう腹をくくるしかない。僕は完全にゾンビと化しているのだ。身体は正直、だなんてセリフがまさにピッタリだと思う。


 こうなれば立派なゾンビとして生き抜いてみせる。そんな決意を胸に森の道を歩いていった。

 

   

「さぁいらっしゃい。ここが私の村だよ」


「えっ、これは思ったより……」


「そうなの。ありきたりな寒村だよね」



 それは小高い丘に広がる村落で、何もかもが新しかった。草の束で青々とした屋根の木造家屋が10棟ほど。家の間には金色の稲穂が頭を垂れては、そよぐ風にサラサラと歌った。


 しかしそんな風光明媚な光景の中で、ゾンビたちがうろついていた。農作業の傍らで脇が破けて腸をこぼしたり、ころんだ拍子に落ちた眼球を水洗いするだとか、そんな末期的な光景が広がっていた。



「望海ちゃんがいうほど、ありきたりじゃないと思うよ」



 僕は若干トーンダウンしていた。ゾンビ界隈に馴染むには、もう少し時間が必要かもしれない。



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