第6話 朝日が照らす美少女
凶弾に撃ち抜かれた僕は、ただじっと前を見ていた。サーチライトの向こう、今も人の姿はろくに見えない。声だけは聞こえる。それだけで表情は想像できた。
明らかに奴らは嘲笑っていると確信していた。
「何故だって顔してるな、お前。アァ?」
赤髪のリーダーが言うと、周りも一斉に笑い出した。愉快でたまらないといった気配がある。
「お前たちは囚人はな、囮として集められたんだよ。戻りゾンビってのがいてな、そいつらを誘き寄せるエサが必要だったから、手配したってわけ」
「囮……? じゃあ僕たちは、始めから、死ぬために集められた……?」
「そらそうよ。お前らみてぇな犯罪者に恩赦などくれてやるもんか。安心してくたばれ。お前たちの命は、人類の役にたったぞ」
僕の命は弄ばれた。この土壇場でやっと気付かされた。腹の奥から強烈な何かが込み上げてくる。それは怒りか絶望か、あるいは生命や魂の具現化か、僕には分からない
それよりも、奴らに目にものをみせてやりたい。理不尽な仕打ちの仕返しをしてやりたい。その意識は憤りとなって猛り狂い、腹が煮えた。それと同時に、全身から温かな血が吹き出しては流れていく。募る恨みと反比例して、活力は失われるばかりだった。
「ちくしょう、僕に力があれば……一矢報いるだけの力が残されていたら……!」
その時だ。膝をついたままの僕の背後から、誰かが覆いかぶさった。強烈な腐臭。背後のゾンビたちが追いついて、僕に襲いかかっているようだった。その数はみるみるうちに増えて、瞬く間に6体のゾンビを集まっていた。
「やめろ。僕じゃない。アームズを、あいつらを襲えよ……」
ゾンビたちは、僕の腕や足にかじりついた。不思議と痛みはない。ただ単純に、襲う相手を間違えていることに腹がたった。
6体もいれば仕返しができるかもしれないのに。どうにかして連中にけしかける事はできないか。薄れゆく意識の中、策謀を巡らそうとする。だがその目論見も、号令の1つであっさりかき消されてしまった。
「ゾンビどもが集まったぞ、焼き尽くせ!」
すると、ビンの割れる音が鳴るとともに、辺りに火の手があがった。火勢はみるみるうちに強くなる。天をも焦がす赤黒い火柱。全てを焼いた。ゾンビだけでなく僕の身体までも、一切が分け隔てなく。
「ワーーッハッハッハ! 燃えろ、燃え尽きてしまえ!」
アームズたちは高らかに叫び、そして笑った。見世物も同然だった。
周囲のゾンビたちも炎に焼かれていく。腐敗した肉は嫌な臭いを撒き散らしながら燃えて、やがて炭化して動かなくなる。その末路は僕も同じだ。燃え移った炎が全身を容赦なく焼き焦がしていった。
熱い。息ができない。全身の至るところで泡の弾ける音が響いた。炎から逃れたくても、立ち上がる力さえ残されていない。その場でのたうちまわり、やがて指先すら動かせなくなった。
最後に視界は暗く閉ざされた。闇が僕を包みこんだ。
「隊長、敵の殲滅を確認しました!」
「いいだろう。処分を忘れるなよ」
「ハッ!」
不思議と声だけは聞こえたままだ。視界はくらく、そして肌に触れる感触もない。そんな中で物音だけは聞こえた。錆びついた車輪の軋む音、重たいものを投げ込む様子。布の擦れる気配は、何か大きな物を包んだせいだろうか。
耳だけでは、分からないことが多すぎた。
「こちらガンマチーム、牽引車の接続確認! 炭化したゾンビの詰め込みも完了!」
「こちら司令部。了解した。焼き殺したゾンビからでも感染する危険性は少なからず存在する。マニュアル通り、作業時の手袋等は焼却処分するように」
「了解、これより次のフェーズに移行する」
そんなやり取りの後、エンジン音とともに、車の走る音がした。僕は揺さぶられている感覚を感じた。もしかすると、どこかへ運ばれているのかもしれない。
「こちらガンマチーム。ポイントに到着。これよりゾンビを投棄する」
「こちら司令部。作戦を継続せよ。野良ゾンビの襲撃には注意しろ」
「了解」
会話が聞こえたのはそれまでだった。僕は宙に放り投げられると、全身が水で濡れた。そしていずこかへと流されていく。身体にかかる負荷から、急流だと思った。
「い、息が……!」
僕は懸命に手を伸ばそうとした。水面はどこだ。陸地はどっちだ。指の1本も動かせないのは拘束されているからだ。僕を縛るのは縄でも紐でもない、布だ。大きな布に全身が包まれているようだった。
それが分かった所で脱出はできなかった。ただ息苦しさに堪えながら、延々と急流にもてあそばれた。そしてついに、音さえも聞こえなくなる。本格的に死んだと思った。
「いっそ楽にしてくれよ。もうお終いなんだから……」
五感の全てを失った今、ただ暗闇だけがある。これが死後の世界か。苦しみと屈辱の果てに出会った闇は、僕の想定とは違った。すべてを許し、すべてを安んじてくれるものと信じていたが、僕の胸には今も何かしらの脈動が感じられた。
――ドクン、ドクン。
はじめは気のせいだと思った。僕はもう死んだ。だから何も残されていないはずと、決めつけようとした。
――ドクン、ドクン、ドクン。
脈は徐々に強くなる。何か焦げるような熱まで感じられ、僕は戸惑った。終わったはず、死んだはずだ。自分をそう言い聞かせようとしたが、反発して脈打つ鼓動が否定する。
――まだ終わりじゃない。むしろ始まりかもしれない。
そう予感した途端、胸が熱くなった。その衝動は凄まじく、内側から肉が燃やすかのようで、ジッとしている事を許さない。
その欲求は「渇き」だった。
「あぁ……渇く……!」
声が出た。手足に力を込めると、触れる感覚もある。目を開けば、暗闇の中に1つの光を見た。山の稜線が見える。川のせせらぎも絶え間なく聞こえた。
どうやら僕は河原に流れ着いたらしい。肌にずぶ濡れの布を巻き付けながら、砂利を枕に寝転がっていた。
でも今はそんな事どうでもいい。あまりにも渇く。その衝動は耐え難いほどで、今にも気が狂いそうになった。
「うう……。水を……」
川の水面に顔をつけて、そのまま飲んだ。口の中に多量の水を含んで、懸命に喉を動かした。
だがそうまでしても欲求はおさまらない。むしろ悪化したようで、爪先から頭の天辺まで、未知なる怪物に支配された気分になった。
「グァァァ! 渇く渇く渇く渇く!!」
喉が張り裂けんばかりに叫び、岩に頭を打ち付けても、欲求に治まらない。辛い。苦しい。このままだとどうにかなってしまいそうだ。
「なんなんだ! いったい僕はどうしちまったんだ!?」
はだけた布の隙間から両手足をみる。青白い肌の一部はふやけて、赤々とした筋肉の筋が剥き出しだ。痛くはない。皮膚がごっそり落ちたのに、痛覚は消え失せていた。
左腕は青白いのに、右腕は赤黒い。炭化した肌が残っているのか。無性にかゆい。ひっかくと、日焼け跡のように肌がボロボロと落ちた。やぶけた皮膚の下には、青白い肌が露出した。そこを引っ掻くと肌が破けて赤い肉が見えた。
「なんだよこれ!! いったい何が起きてるんだよぉ!!」
なぜ、どうして、僕はどうなった。渇く。誰か助けて。僕は今生きているのか、それとも死んでしまったのか。それよりもかゆい。皮膚が破ける。それでも掻く以外にない。
もはや狂乱状態。すさまじい欲求に苛まれ、奇声をあげていると、不意に背後で足音が鳴った。
「誰だ、そこにいるのは!」
振り向くと、短い坂の上に人影が見えた。
「あの、大丈夫ですか?」
声をかけたのは見知らぬ女性だった。ショートボブの黒髪が風でそよぐ。瞳は白濁、左頬は筋肉が剥き出しで、唇の端は溢れ出た体液でテラテラと光っていた。
服装は裾の長いワンピースにカーディガンという装い。袖から覗く腕や足は青白くて、透き通るように見えた。
それらはおおよそゾンビの特徴と一致した。しかし僕は恐れるどころか、むしろ彼女の端正な顔立ちに見とれていた。頬肉が唾液で濡れる様など、思わずドキリとしてしまう。
「あの、ええと、たぶん大丈夫……かも」
僕はそう返事するのがやっとだった。視界が徐々に明るくなる。まばゆい太陽が東の空を照らし、その日差しは僕たちのもとへ降り注いだ。
朝焼けのカーテンが優しくひるがえる。その光を浴びた少女は、全身が真っ赤に輝いたように見えた。
その立ち姿はあまりにも美しかった。思わずまばたきを忘れるほどに。