第33話 最期の一服
硝煙の臭いが辺りに立ち込める。射撃は猛烈だ。道に立つもの全てを撃ち抜くかのようで、通りを埋め尽くしたゾンビたちも瞬く間に数を減らしていった。
――撃ち方やめ。やつらはもう路地裏に逃げたぞ。
――チッ。めんどくせぇ知恵つけやがって。どうすんの隊長?
――戦況が変わるまで絶対死守。動くなよステフ。腹が痛くなっても便所にいくんじゃねぇ。
――まだ言ってんのかコラ。ケツをぶち抜いて穴増やすぞ。
塀を盾に潜む僕らは、たあいもない軽口を聞いていた。その間も連中はバリケードから離れようとしない。
「どうするロッソ。強行突破すべき?」
「さすがに無茶だろ。敵さんは最大火力でお出迎えだ。命が百あっても足りねぇだろ」
「でも、このまま隠れてても埒があかないよ」
「間違えんな。オレたちの目的は薬であって、戦争じゃねぇ。奴らを倒しても相打ちじゃダメだ。それは負けと同じなんだよ」
ロッソは正しい。僕に反論の余地はない。しかし、待てば待つほど不利になる事も忘れてはならない。
その「不利」は、アイザックの無線によって知ることになる。
――こちら本部。戦況を報告しろ。
――アイザックだ。最終ラインはどうにか確保した。だいたいのお偉方は、研究棟に逃げ込んだし。
――外壁のミュータントも撃退できた。兵の一部を北嶺区に回す。アームズも掃討を開始しろ。
――あいよ。さっさと終わらして風呂に入りてぇわ。
僕は外壁の方に目を向けた。すると、東の森に向かって逃走するパイソンの姿が見えた。
陽動が終わる。つまりは、守備隊も兵力を割く余裕ができたということだ。
「ロッソ、これはかなりヤバいんじゃないか……?」
「挟み撃ちだろうな。あのデカブツめ、逃げてんじゃねぇよ」
「パイソンは責められない。むしろ1人でよく持ちこたえてくれたよ」
「結果、袋のネズミだがな」
バリケードの傍で、アイザックが短く指示を出した。すると3人のアームズが、静かに前進した。歩調を揃え、自動小銃を構えた臨戦態勢だ。
2人、見覚えがある。ゾンビ村を襲った精鋭だ。ステフという名の女兵士と、もう1人は狙撃手だった。
「やべぇ、こっちに来る……!」
「家の中に隠れよう」
僕たちは塀を乗り越えて、豪邸の中に逃げ込もうとした。開け放たれた玄関からリビングに潜り込む。
しかし、にわかに騒がしくなった。鳥かごから、オウムがけたたましい悲鳴を響かせたのだ。この家で飼っているペットのようだ。
「クソッ。これじゃあ居場所を教えてるようなもんだ!」
ロッソの懸念は的中した。アームズ達3人が、庭先に足を踏み入れた。そしてハンドサインを交わしては、玄関から侵入した。
「ロッソ、ばらばらに隠れよう。どこかで不意をついて襲いかかるんだ」
「もう間に合わない。ここはオレが囮になるから、リンタローがぶちのめしてくれ」
「そんな。それだったら僕が代わりに」
「いいから!」
ロッソはむしろ自分から突撃を仕掛けた。アームズたちとは、玄関付近で出会い頭に接敵した。
互いに銃口を突きつけ合う。すぐに銃撃戦になるかと思えば、なぜか膠着した。異様なほどに静かだった。
――おい、このゾンビってもしかして、ロッソじゃねぇか?
ステフが言うと、他の2人も怪訝な顔を見せた。
真正面に立つロッソには、その会話が聞こえているはずなのに、何も答えない。その代わりに息を荒くする。手元も激しく震えており、まともに狙いがつけられていなかった。
――ロッソ? 誰だそりゃ。
――ほら、保安官の。泣き虫ロッソだよ。家が貧乏すぎて、誕生日には泥団子しか貰えなかったっていう。
――あ、思い出した! そんなヤツいたなぁ。だから、兵役検査が受かった時、泥を食わせてやったんだっけ。
――あれマジで笑った。そんなロッソがゾンビに成り果てたのか。可哀想すぎだろ。楽にしてやらねぇとな。
ロッソは構えたままで震えていた。銃は、撃てない。狙いは今も定まらないのだろう。
そこへステフが発砲した。弾はロッソの左手を精密に当てては、銃を弾き飛ばす。
――まさかとは思うが、銃を使おうとしたのか? 知能が残ってる? いやいや、さすがにねぇわ……。
ステフがロッソに銃を構え直した。狙うは眉間か。
今だ。僕は物陰から飛び出すと、アームズたちに襲いかかった。
「お前たちの相手は僕だ!」
1人の腹を拳で貫く。続けてステフに殴りかかるが、避けられ、同時に腹を蹴り飛ばされた。
アームズたちと数歩の距離があく。そこで、すかさず射撃を食らわされた。
――今度はブッ殺してやるぞ変異種め、くたばれ!
射撃は確かに強烈だった。前よりも弾が重たい。気を抜くと身体を持っていかれそうだ。踏ん張って耐え忍び、弾が尽きるのを待った。
――この化物が。くらえ!
ステフが大口径の銃に持ち替えて、撃った。その1発だけで吹き飛ばされた僕は、背後の壁に激突した。
弾丸の衝撃は目眩をともなった。地面と天井は歪み、端の方がくっつきそうだ。
――そろそろくたばれ!
冷たい音。ステフがさらに発砲しようと構える。
僕は破れかぶれに飛んだ。グニャリとした視界で、ステフの姿が大きくなる。腕を振る。当たれ。しかし避けられた。
空振りの攻撃は、その後ろに立つ狙撃手を掠めた。男のたわんだ迷彩服の袖を掴み、力任せに引き寄せた。
――えっ、うわ! やめて!
狙撃手は僕に首を食われたことで倒れ、痙攣しはじめた。あと1人。ステフを倒しさえすれば態勢を整えられる。
――チッ。どいつもこいつも。
ステフは腰からナイフを引き抜くと、それを逆手持ちにして構えた。低い姿勢。見ているだけで怖気を感じるが、僕も引く理由にはいかない。
「観念しろ! お前だって村を襲った1人だ、許さないからな!」
僕は両腕を突き出して飛びかかる。
ステフは僕の腕に、腹にと、無数の斬撃を浴びせてきた。それらは浅傷にもならない。しかし、流れる動作で放たれた回し蹴りは強烈で、僕は部屋の隅まで転がされてしまった。
そこへ大口径の銃による射撃がきた。痛みはない。失血もない。しかしあまりの威力に、僕は前に進むどころか、その場で磔にされてしまう。
耐えるしか無い。しかし、いつまで保つのか。焦れた心がヒリついてゆく。
――とっととクタバレよ! いくら使わせる気だよゾンビ野郎!
その時だ。辺りに轟音が鳴り響くとともに、凄まじい振動が伝わった。爆弾でも落ちたのか。その場に倒れながら、辛うじて見えた外の光景は、目を疑いたくなるものだった。
「岩が……どうして?」
乗用車ほどはある巨大な岩が、北嶺区に落ちた。それは家屋やビルを破壊しては、坂道を転がり落ちてゆく。
やがて、耳馴染みのある声も聞いた。
「どうだニンゲンども! 遠距離攻撃はテメェらの専売特許じゃねぇんだよ! くらいやがれ!」
巨岩は繰り返し投げ込まれた。その度に豪華絢爛なる街並みを打ち砕き、廃墟へと変えてゆく。
その破壊は、僕らの付近にまで押し寄せてきた。
「うわっ! 天井が!」
僕はとっさに声が出た。巨岩が掠めたのか、建物が激しく揺さぶられ、屋根の一部が降ってきた。落下地点で身構えるのはステフだった。
埃も濃く立ち込めており、相手は激しく咳き込んでいた。
「今がチャンスだ!」
僕は再び攻めた。拳を振り上げ、背中を丸めた影に殴りかかる。しかし、またしても空を切った。ステフには視えている。僕の一挙手一投足を把握しているようだった。
――そろそろウゼェわ。くたばりな!
ステフが構える銃。至近距離、狙われた眉間。僕は今さら寒気に襲われた。避けろ。ダメだ。身体の反応が鈍い。やられる。
黒光りする銃は、もう一丁あった。
「同感だな。いい加減ウザくて仕方ねぇ」
ロッソだ。床に転がった銃を拾い上げ、ステフを背後から狙った。
その気配にステフも気づく。そして振り向きざまに発砲。同時にロッソも撃った。
ステフの弾丸はロッソの肩に大きな穴を空けた。
「ロッソ! しっかりしろ!」
階段の手すりでずり下がる身体に、僕は飛びついた。カーテンを引きちぎって肩に巻く。布は瞬く間に赤黒く染まった。
「へ、へへっ。やってやったぜ。屈辱を晴らせた……」
「えっ?」
ロッソの震える指が僕の背後を指した。そちらを見れば、ゆらゆらと立ち尽くすステフが居る。
彼女の喉には、ぽっかりと風穴が空いていた。
――ふ、ふざけんな……。このアタシが……。
声になったのはそれまでだ。迷彩服を真っ赤に染めては、膝から崩れて倒れた。起き上がる気配はない。
「ようやく借りを返せた。アームズの奴ら、メチャクチャやるからよ」
「ロッソ、だめだ安静にしろ。出血が激しい」
「頼みがある。そいつらの死体から、タバコを探してくれねぇか?」
「タバコ?」
「頼む。今すぐに」
僕は釈然としないものの、言われたとおりにした。すると射撃手のポケットに、数本の紙巻きタバコを見つけた。オイルライターもある。
それを手渡すと、ロッソは右手だけでタバコを口に加えた。
「上等なタバコだ。闇市のじゃない、正規品だ」
ロッソはタバコのフィルターを噛み締めながら笑ってみせた。そしてライターに火を灯し、頬をすぼめた。タバコの先からチリチリとした音が鳴る。
「最期の一服。兵士としちゃ、これがなきゃな」
「待って。縁起でもないこというなよ!」
「オレはたぶんダメだ。なんとなく分かる。だからリンタロー、あとはお前1人でいけ」
「やめてくれ! ここまで来て、あとちょっとじゃないか!」
「悪くない気分なんだ。積年の恨みを晴らせるだなんて、人間のころは考えもしなかった。ゾンビになって正解だな」
ロッソは深く息を吸い込んだ。
「リンタロー、ありがとうよ。お前のお陰で、最期に良い想いができたぜ。これで心置きなく死ねるってもんだ――ゲッホゲホ!!」
「ロッソ……?」
「あれ? なんだこれ! 全然美味くねぇし、つうか身体が煙を受けつけないんだが!?」
「あは、は……。もしかすると、ゾンビとタバコは相性が悪い?」
「勘弁しろよ、なんで人間時代より健康になってんだ! どう考えても逆だろ!?」
「楽に禁煙できてよかったじゃないか」
「そういう事じゃねぇよ、華がねぇな……」
ロッソはつまらなそうにタバコをもみ消すと、吸い殻を庭先に向けて投げ捨てた。
「ねぇロッソ。顔色が良くなってるけど」
「そうかい? 言われてみれば、血が止まったかもな。少し休めば動けるかも」
「いや、いいよ。僕一人で行く。ロッソはどこかに避難してて」
そこでまた、ドンと揺れた。守備隊らしき男たちが騒いでいる。
「そうさせてもらうわ。リンタロー、あとは任せたぞ」
僕は右手を差し出した。ロッソも、血に汚れた手を出して、お互いに強く握った。
「任せて。エデンから出る時は、みんな揃ってだ」
その場にロッソを残した僕は、1人で家を飛び出した。北嶺区はもはや半壊状態だ。道に空洞があき、少なくない家屋やビルは倒壊していた。
「アームズたちは、逃げたのか……?」
バリケードは無人だった。その向こうには、数名の赤腕章が逃げ去ろうとしていた。
その中にアイザックの背中もある。
「研究棟は、あっちか!」
僕は逃げる敵の背中を追いかけた。バリケードの装甲車を乗り越え、道の先に行く。
間もなく研究所が見えた。およそ3階建ての、縦と横に広い建物。いよいよ着いたらしい。胸の締め付けられる感覚を堪えつつ、敷地に足を踏み入れた。
侵入を阻むものは、今のところ何もなかった。




