第3話 エデンを離れて
牢獄には窓も時計もない。時間の感覚なんてすぐに失ってしまった。そんな中で、ごくたまにブロックレーションと水入りの革袋が、牢内に投げ込まれる。それだけが唯一の時報だった。
裁判のあとに食事があり、やがて寝た。目が覚めてからもう一度食事を貰った。だから今は2日目の午前中かと思うけど、あまり自信はなかった。
「おい、新入り。気分はどうだい?」
通路に声が響いた。正面の牢屋は無人だ。となると、隣の囚人が話しかけているのだと思えた。反響からして左側か。
僕が無言を貫くと、相手は更に続けた。
「無視すんなよボウズ。同じ犯罪者どうし仲良くしようぜ? お前は何をやったんだよ、バラシか? それともタタキ?」
うるさい。話しかけるな。僕は言葉には出さず、無言の返答に不機嫌さを匂わせた。ふらふらと揺れる白色灯。その光が左右に振れる様を飽きもせず見つめていた。
するとそこへ、何人かの保安官が現れた。彼らは牢屋に挟まれる位置の通路を、脇目もふらずに進んていく。数人がかりで運ぶのは、全身に赤いミミズ腫れを刻まれた男だった。運ばれる男に意識はなく、手足もダラリとさがっていた。
「おっ。いまのは服務規程違反だろう。トンズラかまそうとしてミスッたかな。あの様子だと死んじまったかもしれねぇな」
隣人はねちっこい声で笑った。やはり不快だった。僕は相槌すら打たずに、男たちが去った方に顔を向けた。この牢獄は奥行きがあるらしく、通路の先は闇が広がるばかりだ。
あそこまで行けたら楽になる。さらに濃い闇が僕を迎えてくれると思えば、自然と手が伸びそうになった。
「なぁボウズ。お前はどこに配属されたんだよ?」
隣の男はとにかく饒舌だ。少しくらいは相手をしないと黙らないかもしれない。僕はしかたなく口を開いた。乾燥した舌が口中にはりついていた。
「場所なら決まってない」喉の奥が無性にかゆくなり、しばらく空咳を繰り返した。
「ふぅん、そうか。ブチこまれたばっかだもんな。まぁ、どこ行っても変わんねぇけどな。だいたいはイビリ殺される。刑務官とか古株の囚人になぁ」
男は汚らしく笑った。僕をビビらせたいのかもしれないが、見込み違いだ。殺されるならそれで良く、むしろ楽になれる事に期待している。痛みのないやり方なら歓迎したいくらいだ。
それからも男は喋り倒したが、全て無視した。不快になるだけで暇つぶしにもならない。存在するだけ無駄な男。僕と同じだ。まとめて消えてしまう方が良いと思う。
しばらく無視すると、辺りに足音が響いた。それは僕の近くで止まった。
「立て、根須麟太郎、出房だ」
通路から保安官が言った。どうやら「出ろ」という事らしい。鉄格子が開けられると、僕は後ろ手に縛られた後、牢屋から連れ出された。
「保安官様。オレもオレも! 外の空気を吸わせてくだせぇ。ここはカビくせぇし陰気だしでロクなもんじゃねぇぜ」
隣の囚人がねだったが、鉄格子に蹴りを浴びせられて終いだった。
いよいよ労役が始まるのか。ボンヤリと考えていたら予想が外れた。連れられたのは建物の地上階で、小部屋だった。ロクジョーマほどのスペースの中央に書き物机と、それを挟んで2脚の椅子が置かれていた。
「そこにかけたまえ」
そう声をかけた初老の男も青腕章をつけている。しかし荒っぽさは感じられない。髪も油で後ろに撫でつけていて乱れがない。いわゆる内勤タイプだろうか。
「さて、本来であれば君はこれから労役を強いられる事になる。作業内容は様々だ。工場での生産なり、土木工事なり、農作業なりと、その時の空き状況によって異なる」
それがどうした。回りくどい。早くしてくれ。脳裏を駆け巡るのはそんな言葉ばかりだ。
「君は無期限の労役刑なので、原則、死ぬまで働くことになる。牢屋と作業場の往復だけが許される人生だ。君は若さを謳歌する機会もなく老いてゆき、そして死を迎えることになる」
「そうですか」
「そんな君に私から提案。取引だ。これはお互いにとって有益な話になると思う。聞いてみないか?」
「早くして」
「ん? 何かね?」
「どうでも良いから早くしてください。前置きが長い」発した自分でも驚くくらい冷たい声だった。それでも謝る気は起きなかった。
「ふ、ふふっ。では単刀直入にいこう。エターナル事業に参加しないか?」
「エターナル事業……?」
僕は思わず前のめりになった。聞き慣れない単語に、ほんの少しだけ興味を感じたからだ。
「拡大政策の一貫だよ。アームズがゾンビどもを駆逐した話は聞き及んでいるだろう?」
「はい」
「つまりは領土を広げたということだ。これを機に、我らが住まうエデンとは別に拠点を築こうとしている。第二都市エターナル。今は廃墟でしかないが、完成すれば人類の発展に寄与する事は確実だ。やりがいの感じられる役目だと思わないか?」
「僕は何をさせられるんですか」
「当面は有用な残置物の収集や、外壁の建築が主になるだろう。ゆくゆくはインフラを整備して、人が住めるように整えるが、それは先の話だ」
「この牢屋から毎日通う?」
「いや違う。現地で寝泊まりする事になるはずだ。車で半日ほどの距離で、いささか遠い」
「なるほど」
エデンから離れる事ができるのは魅力的だ。この街には思い出が多すぎた。
「君のメリットは恩赦だ。事業を完遂した暁には、晴れて自由の身になれる。望むならエターナルへの優先的な居住権も与えよう」
「そうですか」
「デメリットは、やはり危険という点だろう。先程も言ったように、防壁の類はない。近辺のゾンビは駆逐したのだが、安全を完璧に保証することは難しい」
「やります」僕の言葉に、向かいに座る男は「ほぉ」と言った。
「恐ろしくないのかね? エデン暮らしに慣れていると忘れがちだが、外は危険にあふれているぞ。それでも構わないかね?」
「あなたは僕を説得したいんですか。それとも、辞退させたいんですか?」
「ふふっ、失礼。電気技師が欲しかったからね。君に快諾してもらえたのは僥倖というものだよ」
対面の男が外に声をかけた。別の保安官が入室したところ「参加希望だ」と告げた。
僕はいまだに縛られたままだが、行先が変わった。出口から外に出されて、車の後部座席に乗せられた。それはワゴン車で、窓は鉄板で補強されている。アームズが使う装甲車だった。
「他にも参加希望者を募る。くれぐれも逃げようと思うな」
保安官は、そう言い残して立ち去っていった。僕に逃げる意思はない。そうでなくても、車外には自動小銃を携える男たちがたむろしている。彼らは赤い腕章をつけていた。つまりはアームズ。最強の軍隊だった。
彼らにはきっと造作も無いことだ。逃げようとする僕を捉えることも、そして撃ち殺すことも。
「まぁ別に、どうでもいいけどね……」
僕は後部座席から、フロントガラス越しの光景を眺めていた。あの牢屋は、エデンの中でも最高級と呼ばれる北嶺区にあったようで、周囲の光景は楽園も同然だった。
周辺のビルは改装されており、外壁は真新しい。細やかに舗装された道路を、上等なスーツを来た男や毛皮のコートに身を包む女が行き交っている。身なりや優雅な仕草から豊かさが感じられた。
他人、他人、他人。全て無縁な人たちだ。僕とは接点もなければ共通項もなかった。
「どうしてこうも差がついたんだろう」
僕のようなボロ服ボロ帽子なんて姿は1人として見かけない。いるとすれば、今しがた連れてこられた囚人たちくらいのものだ。
新たに5人が後部座席に押し込まれて、続けて運転席と助手席にも誰か乗り込んだ。その2人は赤腕章だった。
「これから出発するぞ、到着まで大人しくしてろ」
助手席の男が命じた。削げた頬に無数の浅傷をもつ男だった。車は間もなく走り出した。
エデンの内側では徐行だった車も、東地区のゲートを過ぎると途端に加速した。そこはもはや防壁の外だ。身体が後ろに追いやられるほどの加速が、胃に不快感をもたらした。
「げっ……。とんでもねぇ道を走るよな」
囚人の誰かが呟いた。フロントガラスから道の様子は見て取れる。アスファルトの道路は、かつて僕たち人類が覇権を握っていた頃の名残らしい。つまりは30年以上も昔に造ったもので、コンディションは劣悪だった。
あちこちでひび割れ、ぽっかりと穴も空いている。そこを猛スピードで走るので、僕たちの身体は頻繁にバウンドした。
「しばらく悪路を走るが、吐くなよお前ら。汚したら首をへし折ってやるからな」
助手席の男が睨み、それを揶揄するように運転手が口笛を吹いた。後部座席の囚人たちは全員が青ざめた。今の脅しは逆効果じゃないかと思うが、他人事でしかなかった。
僕は今、車酔いどころではない。胸の中も、腹の中も、感じるものがないのだ。まるで内臓を失ったようだ。仮に魂のようなものがあったとして、それを力づくで2つに引き裂かれたような感覚もあった。
だから、だいたいの事は関心の外だ。それはきっと、命の危機を迎えても変わらないだろう。
「よしお前ら、ついたぞ。サッサと降りろ」
車は辺鄙な所で止まった。木々の生い茂る森の中で、遠くからドゥドゥという水の流れる音も聞こえる。
囚人たちは端から順に降りていった。彼らは「助かった」と、無事にたどり着いた事を喜んでいた。
「よしお前ら、並べ!」
2人のアームズが怒鳴ると、僕たちは何となく一列に並んだ。浅傷まみれの方のアームズが、乱れてるぞと言っては、足で囚人たちの腹を蹴った。
「お前らには、ここエターナルで拠点造りを命じる」
「あのう、見たところ森の中なんですが、ここを開拓するんですか?」
質問した囚人の腹に、自動小銃のストックが食い込んだ。樹脂製のそれは、見た目通りに痛いと思った。
「オレが喋ってんだろうがゴミカス! 黙ってろ!」
「う、うぅ、すんません……」
「エターナル予定地は森を抜けた先にある。車で行こうとするとスゲェ面倒なんだが、徒歩なら問題ない」
話の途中で、アームズの片割れが僕らの前に立った。そして、囚人の一人ひとりを縛る縄をナイフで切った。それで自由になった訳ではなく、新たな枷に取り替えられただけだった。
僕らは1人ずつ、腕に重たいものをつけられた。それは鉄製のブレスレット。中心に赤い玉のようなものが埋め込まれているが、何を意味するかは分からなかった。
「外すなよ。発信機を埋め込んである。これで逃走するだとか無理に外したりすれば、たちまちオレ達にバレるからな。下手な事考えるんじゃねぇぞ」
そんな恫喝のあとに、僕たちは森の中を歩いた。説明にあった通り、森はすぐに切れて、崖の下に大きな街が見えた。
「それじゃあせいぜい頑張れよ。そのうち見回りに来るからな」
僕たちは尻を蹴られた。身体は虚空を泳ぎ、そのまま崖下に落下していった。「ギャアア」という短い悲鳴の後、僕たちの身体は地面に叩きつけられたが、大事にはならなかった。「痛い」と不満を漏らすだけで済んだ。
「ちくしょう、あの野郎……。好き放題やりやがって!」
誰かが文句をいう中、僕は仰向けに空を見上げていた。あいにくの曇天で、今にも雨が降り出しそうなだ。ただよう空気もどこか湿っている。
「これがエデンの外なのか……」
壁も黒煙もない光景は、人生で初めて見かけるものだ。果たしてそれが心地よいかは、よく分からなかった。
ただ思うのは、ここには浦城がいないという現実だけだった。