第27話 たとえ夢物語でも
暗闇を照らす炎が風に揺れた。広場は今、10箇所の焚き火によって囲まれている。もちろん暖をとるためだ。
焚き火の炎が揺れる度、闇が蠢くように見えた。実際、僕らにとって夜闇は魔物だ。底冷えなどは魔王と呼んでも差し支えない。
「やれることはやった。後は祈るしかない……」
僕たちは変わらず野外の広場に陣取っている。諸事情のためだ。
これだけ大勢の負傷者を運べる家屋など存在しない。家と家の距離が離れているので、治療場所を分散させると、暖をとるだけの燃料が足りなくなってしまう。苦肉の策だった。
天候次第では雨ざらしで、その時はたちまち窮地に陥るだろう。それでも見上げた空は穏やかだ。満天の星空。煌々と輝く満月は眩しいほどだ。
「今夜は穏やかだと思うよ、望海……」
今も眠り続ける望海の枕元に腰を降ろした僕は、彼女の頬をなでた。冷えてはいない、と信じた。
「ごめんよ。僕がもっと強ければ、君を守ってあげられたのに……」
指先が、望海の刺創に触れた。かつて実の父に刻まれた穴だ。撫でようとして指が止まる。怪我らしい怪我のない部位だった。
「おう、ここにいたのか。村の英雄」
「皮肉ならやめてくれ、ロッソ」僕は顔を向けずに言った。ロッソは気に留めたようでもなく、隣に腰をおろした。
「そうでもねぇ。まさかあんだけ強いとは思わなかったぜ。見かけによらねぇもんだな」
「僕自身驚いてるよ」
ゾンビからかけ離れた容貌に変異した赤黒い身体は、今も変わらない。もしかすると、エターナルで焼き殺された時と、同じ状態かもしれないと思う。
腕に目を向けて、気づく。右の手のひらだけが以前と変わらない青白い肌だ。理由に心当たりはないが、それは些細な事だった。
「リンタロー。あんたが味方で良かったよ。敵に回したくねぇ化物だ」
「僕は望海と、そして、この村の仲間であり続けるよ。そのメンツに君も含まれている。まぁ、村のみんなに危害を加えない限りはね」
「そうかい。それじゃ、せいぜい良い子でいようかねぇ」
ロッソが湯呑みをあおって喉を潤した。そこはかとなく血の臭いがする。
「飲むか?」と聞かれたので、僕も1杯だけもらった。一気に飲み干すと、喉から胃にかけて焼けたような感覚を覚えた。渇いた身体に染み渡るようだった。
「しかし惨憺たる状況。これ、大丈夫かよ?」
「皆にはたくさん血を飲ませた。火も焚いた。これで上手くいくはずだ」
「はぁ……。だいぶ辛気臭くなっちまったな。酒でも飲めりゃマシなのに。いや、この身体だと酔わねぇかもな?」
「知らないよ。それより、ロッソも他のみんなを気遣ってあげて。震えてる人、渇いてる人が居ないか。見て分かる範囲でいいよ」
「やれやれ。せっかくの大勝利だってのに、また働かされんのか。つうかさ、あのデカブツたちにもやらせろよ」
ロッソが焚き火の向こう側をアゴでしゃくった。そこにはパイソンと、1人のミュータントが項垂れていた。
付かず離れずの距離に、何か恣意的なものが感じられた。
「彼らはいいよ。とにかく動ける人たちで何とかしよう」
僕はそっと望海から離れて、広場の中を見回った。重症者はゴザに寝かせられたままだ。目の錯覚だろうか、彼らの身体の一部が、土気色をしているように見えた。
「なんでだろ……焚き火の色のせいかな」
忙しそうに駆け回る村人たちも、万全な者はほとんどいない。腕や足に銃創があり、彼らも怪我人なのだが、貴重な労働力だった。
「根須様。家畜の血を集めてまいりました。皆に飲ませましょう」
「わかったよ。手分けしようか」
血の準備は、今だに目覚めない重症者たちの為だ。順番などない。端から手当たり次第でやる。
彼らの唇をこじ開けて、ゆっくりと口に含ませた。喉が動くのを見て安心する。まだ命がある証拠だった。
「望海。たくさん飲んで、元気になってくれ」
今だ目覚めない望海の身体を、抱き起こして、血を飲ませる。少しずつ、一口ずつ、時間をかけて。
治れ、目覚めろ、元気になれ。器を傾けては念を込める。そんなものが役に立つかは知らないが、祈らずにはいられなかった。
「リンタロー兄ちゃん……」
「康太。まだ起きてたのか。そろそろ寝たら良いよ」
「ごめんなさい。僕が、転ばなきゃ、望海姉ちゃんは……ねえちゃんは……!」
「康太のせいじゃないよ」
僕が手招きすると、康太は泥まみれの袖で両目を拭い、こちらに歩み寄った。
康太は隣に座らせて、器を2人がかりで持つ。そして望海に血を飲ませてやった。
「こうしてね、元気になれ、元通りになれって祈りながら飲ませよう」
「そしたら、姉ちゃんは治るの?」
「うん。きっと大丈夫。だから声をかけてあげて」
「ねえちゃん、早く元気になって……。これからは、お仕事いっぱい手伝うから」
そうだ。そうあってくれ。湿った風が吹いて、焚き火の炎が揺れた。望海の身体を覆う陰影が揺れて、変わる。彼女が動いたわけではなかった。
どれくらい物言わぬ身体を眺めていたのだろう。気づけば僕は眠りに落ちていた。
不意に目覚めたのは、何かが頬を打つ感触のせいだった。
「うん……、寝ちゃってたか?」
辺りは既に白んでいた。曇天で、モヤのかかる陽気。あらゆる焚き火から炎が消えて、熾火となり、白い煙が立ち昇っていた。
「望海、大丈夫……?」
声をかけようとして、またもや何かが指に触れた。冷たい水。両手を差し出してみれば、そこに雫が降り注いでいた。
僕は叫んだ。
「みんな起きて! 雨だ! 雨が降ってきた!」
村人が飛び起き、そして慌てふためく。僕は続けて叫んだ。「みんなを屋内へ!」
重症者達はいまだに目覚めない。そのため、少ない人数で彼らを担いでいく必要があった。
早見鳥夫妻、ロッソは懸命だった。康太や縁里も、拙いながら手伝ってくれた。僕も両肩に1人ずつ抱えて運んだのだが、やはり手が足りない。
雨脚はみるみるうちに強くなっていく。地面で雨粒が跳ねる様は、無数の銃弾が打ち込まれる時と似ていた。
「パイソン! 動けるならこっちを手伝って――」
問いかけるも、パイソン一派は村から遠ざかっていった。その背中に、動かなくなったミュータントを担いでいる。村の騒ぎなど無関心らしく、一瞥もせずに歩き去ってしまった。
舌打ちしたい衝動を堪えた僕は、眼の前の作業に徹した。村長宅、そして広場付近の家屋に、ひたすら重症者を移送していく。
炉端にかまど、無差別に火を灯し、ありったけの熱源を発生させた。
「これでどうにか、なんとかなってくれ……!」
僕は、全ての村人を運び終えると、村長宅に戻った。土間や炉端には、大勢の負傷者が寝かされている。家主の村長は1番奥の部屋で、藁の上だった。
「根須さま……」
「えっ、村長? 目が覚めたの!?」
担ぎ込まれたとき、村長は眠りに落ちていた。なかなか目覚めないので不安を覚えたが、これでひと安心だ。
彼が呼ぶので枕元まで歩み寄った。そこで膝を床について感じ取った。
ここには死の気配がある――。
「村長さん? もう元気なんだよね、そうなんでしょ?」
「残念ながら、別れの時でございます」
「そんな……!」
「今しばらく、生きてみたかった。貴方様や、村の若人たちの行く末を、この眼で見守りたかった……」
「何いってんだ、諦めないで! 強く願えばきっと!」
僕はとっさに村長の手を握りしめた。しかし、彼の細い指は、手応えもなくボロボロと崩れていった。土気色に染まった指は、まるで土くれのようで、生命の手触りが感じられない。
「我らは、血とともに、ゾンビたる力をも失ったようです。これも世の定め。哀しんではなりません」
「ゾンビたる、力……」
「左様。血液、体温、それらに勝るとも劣らず必要な、ゾンビとして存在し続ける力。それがもはや無いのでしょう」
「待って、そんな、おかしいだろ! ゾンビは怪我しても平気なんだ! 僕はあれだけの大怪我を、ちゃんと治せたろ!?」
「私は、そもそもが寿命でした。昨日の襲撃で、命を損なわずに済んだだけマシでしょう。住み慣れた家屋で、静かに、藁の上で死ねる。願っていても、なかなか出来ぬ事です」
「だからと言って、何も今じゃなくたって……」
「根須様。この老骨よりお願いがございます。生き残った村人を導いてもらえませんか?」
僕は反射的に拒絶した。
「嫌だよ、それは村長の役目だ! 僕じゃなくて、これからもアンタがやってくれよ!」
「私はもう、土に還るだけ。心残りはありますが、これもまた運命……」
村長の白濁した瞳が揺れている。改めて見たならば、その顔も首も腕も、あらゆる所が土気色に染まっていた。
「おさらば。貴方様と村の未来に、幸多からんことを」
「村長さん!」
もはや返事はなかった。土気色をした身体は、端から崩れていく。本当に土くれであったように、形を残さず。
やがて屋外からも慟哭が聞こえるようになる。愛する人、信頼する仲間を失っているのだ。誰もが嘆き、泣き腫らした。
しかし終わらない。別れの足音は、まだまだ鳴り止む気配を見せなかった。
「望海……腕が!」
僕は、腕の傷跡をみて戦慄した。接合部分が土気色に染まっているのだ。炉端を見回してみる。他の負傷者も大差ない。傷口の色味が変色し始めていた。
彼らも村長と同じ末路を。そう考えると、全身が震えた。
死ぬ、みんな死ぬ。僕に何ができる。手をこまねいてるだけか。なぜだ、どうして僕を苦しめるのか。
気が狂いそうだ。いっそ狂えば楽になる。だが、村の人を見捨てられない。競合する力に挟まれ、身悶えしていると、ポツリと独り言が響いた。
「ゾンビたる力……ねぇ。あれと一緒かな」
ロッソが呟く言葉に、僕は腹を突かれた思いになる。
「どうしたの。何か引っかかることでも?」
「あ、いや、うん。なんでもねぇ」
「教えてくれロッソ! この際どうでもいい。噂話でも、おとぎ話でも何でも良い! 僕はこのまま滅びるのを眺めていたくはない! たとえ小指の先程度の可能性でも、夢物語だって構わない、とにかく何か手を打ちたいんだ!」
僕はロッソの肩を強く掴んだ。
「頼むよ。このままじゃ、気が狂ってしまいそうだ……」
「あぁ、その、なんだ。ほんとに聞きかじっただけだから。論拠なんて何もない、ただの噂話だ」
「それでもいい。何か知ってるのか?」
「エデンでは、もうかれこれ10年くらい研究を続けてるんだ。ゾンビワクチンの開発だ」
「ワクチン……。それは感染者を人間に戻す……?」
「そこは知らねぇ。予防薬かもしれんし、血清みたいなものかもしれねぇ。だが、こんな笑い話がある。ワクチン開発は失敗した。その代わりに出来たのがゾンビ薬だって」
「ゾンビ薬……。それは?」
「大金をはたいて研究したのに、できたのはゾンビ化を促進させる薬でしたってオチ。そんな世間話がほんの一瞬だけ流行ったんだ」
「ねぇ、それってつまり!?」
「ゾンビたる力を失ったなら、その薬で力を取り戻せるんじゃないかと。そう思っただけだ」
「それだ!」
「おいおい。さっきも言ったが、噂レベルのことで――」
「信憑性がなくで良い。このままじゃ大勢が死ぬだけだ。それだったら一人でも多くを助ける方に賭けよう!」
「そうかい。いい顔になったぜ、新村長殿」
「村長呼ばわりはやめてくれ」
僕は望海の方を眺めた。二の腕はやはり土気色、見間違いではなかった。
絶対に探し当ててみせる。一刻も早くゾンビ薬を手に入れて、皆を治すんだ。
僕は指先に力をこめた。
「うおい! 何すんだリンタロー!?」
「え……? あっ、ごめん! 君の肩を掴んでたの忘れてた!」
「脱臼してねぇかコレ! おい、ブランブランなんだが!? キメェぐらい痛くねぇが、腕ブンブラリンだぞオイ!」
「とにかくはめよう! 叩けばいいかな!?」
「やめろ触るな! 悪化する未来しか見えねぇ!」
そんな一幕はあったものの、僕は旅立つ決心をした。
向かうは生まれ故郷と呼ぶべき街エデン。その事に大きな感慨は抱かなかった。




