第26話 名ばかりの勝利
全く別の生き物だ。自分の手足を眺めては、そう思った。
全身が赤黒く炭化でもしたように染まっていた。ところどころに亀裂が走っており、その部分だけ不思議と真っ赤に輝いている。
「なんだよこれ……溶岩でも流れてるみたいだ」
しかし細かい事なんて今はどうでも良かった。胸を力いっぱいに叩いてみる。風穴はすっかり塞がったのか、叩いた拳に頼もしい反発があった。
全力で戦える。それだけは理解した。
――マサシがやられた! やべぇぞアイツ!
――撃て! ありったけブチこめぇ!
悲鳴に近い叫びとともに、銃弾が降り注いできた。ただうっとうしい。砂嵐にも似た不快感があるだけで、肉体を損なうほどでは無かった。
――なんつう化物だよ、5.56じゃ勝負にならない! もっとデケェ弾じゃねぇと!
――廃井戸! あんたの弾は.300(サンマルマル)よね? さっさとブチかまして!
――任せろ。これで晩飯はオレのもんだ、ケーキセットもつけろよな。
ヒステリックな喚き声に、自惚れを隠さない戯言。そんな雑音を聞き流しつつ、敵の位置を把握しようとした。
僕は今も、納屋の向かいにある屋根の上に立っている。
ハイドという男はスナイパーだろう。東側の家屋の上からこちらを狙っていた。
残りの敵はというと、村長宅に1人、そこから辻に向かう道沿いの家に3人、納屋に1人。いずれも屋根の上に立ち、僕に銃弾を浴びせている。
どいつから血祭りにあげてやろう。距離を測りつつ眺めていると、それは聞こえた。
ズドン――!
ひときわ重たい音。それと衝撃が頭に伝わった。
今のは、僕の胸に風穴を空けた弾丸と同じものだろう。確かに威力が、他の銃撃と桁違いだった。
僕は眉間を押さえながら、ひとしきり呻いた。続けて屋根の上に倒れ伏した。
――ナイスキル! さすが最強スナイパー、一撃だ!
――へへっ。ビビらせやがって。ちっと小遣い稼ぎにサンプルでもいただくか。
大して期待してなかったが、2人も釣れた。慢心に溺れ、ろくな観察眼を持たない馬鹿ども。
2人がこちらの屋根に登った。それから無警戒に寄ってきたところで、僕は牙を向いた。
1人の右足を粉々に噛み砕く。慌てふためくもう1人を力付くでねじ伏せて無力化、首筋を深く噛み切った。アンバランスになった首は頭を支えきれずに千切れて、マヌケ面がボトリと落ちていった。
――ハイド何やってんだ、外したのか?! 全然効いてないじゃないの! しっかりやれよ!
――うっせぇぞステフ! ちゃんと当たったろうが、このミュータント野郎がチート級に硬いってだけだ!
再び猛烈な射撃が浴びせられる。次は誰を襲うか。そう見回していると、倉庫の方から声が響いた。隊長のアイザックだ。
――お前ら、一旦戻ってこい。形勢不利だぞ。
すると、連中は射撃を浴びせつつも移動を開始。隊長のもとに戻るまで、それほど時間を要さなかった。
――隊長、マジヤバいあいつ! 他のゾンビとは全然違う!
――今の装備じゃ勝てねぇな。撤退すんぞ。
――マジかよ逃げんの!? 本部にあんだけ言っといて?
――殲滅はできなかったが、ゾンビをだいぶ殺した。それと、貴重なミュータントの情報もある。
アイザックは呑気にもカメラを手にしていた。銃は腰にブラさげたまま。油断しきっているようだ。
今なら殺れる。打ち倒された皆の仇を、そして、無惨にも撃ち殺された自分自身の恨みを晴らせる。
牙は確実に届くはずだ。
「お前だけは……お前だけは絶対に許さないぞーー!!!」
全力で駆けた。視界がコマ送りになる。速度が認知機能の壁を超えたのか。
取り巻きどもが明らかに狼狽えている。
しかしアイザックだけは、胡乱な目を向けてきた。その気配に怖気が走った。何か企んでる。僕はとっさに地面を蹴る足を緩めた。
――とにかく長居は無用だ、お前ら。さっさと引き揚げんぞ。
アイザックが腰から引き抜いたものを放り投げた。手榴弾か。それくらいなら堪えられる。爆発を凌いでアイザックを討てば良い。
足元のそれは破裂した。しかし、想定を越える事態に足が止まる。
「うわっ! 目が……!」
眼底を殴られたような衝撃に、視力は完全に奪い去られた。耳をつんざく高音も、三半規管を脅かし、平衡感覚を大いに狂わせた。
「な、なんだ今のは……?」
霞む視界の先で、アームズ達が風のように駆け抜けていった。南の森を、さながらムササビのように、枝伝いしつつ飛んでいく。
僕が平静を取り戻したのは、すでに気配が消えたあとだった。
「……逃がしたか。クソッ」
遠くから車のエンジン音が聞こえた。それはやはり村から遠ざかっていった。
撃退には成功した。武装した人間の大軍を凌ぐどころか押し返すだなんて、想像もしなかった。当初は夜闇に紛れて逃げる作戦だった事を思えば、大戦果と言えるだろう。
しかし払わされた被害は、あまりにも大きすぎた。
「みんな無事か! とにかく負傷者の手当を!」
僕は救護を呼びかけた。1番近い負傷者はミュータントだった。すかさず駆け寄ってみたものの、差し伸べた手はすぐに払われた。
「オレたちは平気だ。よそに行けよ。穴もようやく塞がった」
パイソンの言うように、ミュータントたちは自力で起き上がっていた。胸に空いたはずの穴も、赤々とした粘着質な筋肉によって塞がっていた。
僕は頷くとその場を離れ、井戸の先へと駆けつけた。
今も倒れて動かない身体。それが目に映ると、胸が裂けるほどの痛みが走る。叫んだ。意味もなく、声を涸らして叫んだ。
「望海! しっかりしろ、望海!」
抱き起こす。かすかな反応はあるが、瞳を閉じたまま。こぼれる言葉もうわ言でしかなかった。
「誰か手を貸してくれ! 望海の様子が!」
「まずは落ち着けって。これ、望海の腕だべな? 向こうで落っこちてたべよ」タネばあさんが近くに居たのか、声が聞こえた。
「タネおばあさん、ありが――」
僕はそちらを見て絶句してしまった。
タネばあさんの身体は銃創まみれだった。両手足の肉は激しく削られ、左手首の先は、流れる血で真っ赤に染まっていた。
しかし彼女は、自分の怪我に関心を示していないらしい。おもむろに差し出された赤い塊。よく見れば、それは望海の片腕だった。
「くっつけてやれ。針だの包帯だのは要らねぇ。押し当ててりゃそのうち元に戻る」
「そ、そうなんだ。それじゃあ、休ませたら元気になるんだね」
村人の大勢は四肢のいずれかを失っていた。負傷者の行進は広場を目指している。そこでは治療のためのゴザが、地面の上に敷かれている最中だった。
望海もゴザの上に寝かせてやる。やはり反応はないが、いずれ目覚めるのなら安心というものだ。
「一時はどうなるかと思ったよ……。ひどい怪我ばかりだけど、皆も元気になるんだね。ちゃんと療養したらさ」
タネばあさんはゆっくりと頭を振った。
「残念だがよ。こりゃ半分も生き残れねぇ」
「えっ、でも、腕とかをくっつけられるって……」
「怪我が治っても、そんだけじゃダメだ。血を失いすぎたべ。アタシらゾンビは血を作ることができねぇ。生き残れっかは体力次第だろうよ」
急激に血の気が引いて目眩がした。なぜだ。この結果はなんだ。僕は反射的に天を睨んでしまう。
「せっかく、頑張って敵を追い返したのに……! どうして! 理不尽だろ!」
「気持ちはわかる。悔しいだろうよ。でも今は泣き言いってらんねぇべ。オラだっていつまで身体が動くかわかんねぇしよ」
「それ、どういうこと……?」
「オラも他の村人と変わんねぇ。血をだいぶ失くしてる。手の感覚だってもう、ほとんど無くなってんだわ」
「何か、その、何か治療に使えるものは!?」
「とにかく血を飲ませることだっぺ。もちろん人間の生き血な。なるべく新鮮なやつだ」
「わかった。探してくるよ!」
心当たりはある。討ち倒したアームズ達だ。屋根の上、村の東側。幸いにも、新鮮な血肉は多く残されていた。
片っ端からリヤカーに積み込む。そして、人間の部位で満載させるなり、広場まで駆け戻ろうとした。
「それにしても、ひどくやられたな……」
改めて見てみると、襲撃の跡は激しかった。あらゆる家屋は穴だらけで、それは地面も同じだった。荒れ果てた道に横たわる村人も少なくない。彼らは皆、頭を撃ち抜かれていた。もう助からないと棄てられてしまったのだ。
その光景を眺めていると視界が滲んだ。遅れて込み上げてきた激情には、奥歯を噛みしめる事で堪えた。
涙を右腕で拭う。血の匂い。返り血が鉄臭さとともに、理性の光を戻してくれた。
そうだ、血を届けなきゃ――!
駆ける。とにかく広場へ。今は治療が最優先だ。怒りや後悔は全てが片付いた後。暇になってから存分に味わえば良い。
「みんな、血だ! 血を生肉ごと持ってきたよ! 重症者を優先してくれ!」
「根須様、ありがとうございます」村長が息も絶え絶えに言った。「しかしながら、意識のない者たちは肉にかじりつく事ができません」消え入る声だ。彼の身体も至るところが穴だらけだった。
「肉をかじるのは無理なのか。だったら、どうにかして血液だけ集めないと……」
「リンタロー兄ちゃん。アタシ手伝うよ」
「縁里ちゃん、ありがとう……。そういや康太は!?」
「康太も無事だよ。でも今は元気がないの」
康太は広場の隅で泣きじゃくっていた。それを慰めるのは早見鳥夫人だった。ひどく傷つけられた幼心に寄り添ってやりたいが、今は無理な相談だった。
「それじゃあ縁里ちゃん。僕が血肉を片っ端から持ってくる、君は血を集めてくれ」
「どうやって集めたらいいの?」
「ええと、そうだな。誰か、ボウルと麻の布を!」
僕の問いかけに、余力のある村人が反応した。ヨロヨロと家屋に入っては、ボウルをはじめとした食器類や、麻の浴衣を持ってきた。
「固形物を取り除きたいからね。こんなふうに肉を浴衣で包んで、ギュッと力を込めて……」
布を強く絞ると、真っ赤な血が滴り落ちてきた。戦闘で疲労した身体としては、今すぐ貪りたいところだが、重症者が優先だ。
「まかせて。アタシこういうの詳しいから!」
「頼むよ縁里ちゃん。他にも手の空いてる人、余裕がある人は看護をお願い!」
そう言い残して、僕はリヤカーを走らせた。村中を駆け回って血肉を集めた。数としては多いと思う。あまりの量に何往復もさせられたのだから。
それでも、全てのゾンビを癒やすほどの量は集まらなかった。
「これじゃ足りねぇべ。みんな、峠は越したかもしんねぇが、もっともっと必要だべさ」タネばあさんが力なく言った。
「そう言われても、これ以上は」
「もうじき夜が来んべ。血が足りなきゃ冷えにやられる。明日の朝には、まぁ、何人か死んでんべよ」
「夜……。言われてみれば!」
僕は西の方を見た。すでに陽は傾いており、空は赤く染まっていた。
待ち望んだはずの夜が来る。アームズたちの毒牙から逃れて、身を隠そうとした闇に覆われる。しかし今となっては、僕たちを滅ぼす時限装置も同然だった。
その時は刻一刻と迫っていた。僕は暮れゆく太陽を、長々と睨んでいた。自分の拳が震えているのが分かる。しかしその拳も、やがて夜闇が飲み込んでしまった。




