第25話 変異体
パイソンは倒れて動かない。胸にぽっかりと洞穴を作って。続いて、残りのミュータントも矢継ぎ早に撃たれていく。それらも胴体に大きな穴を作っては、小さく喘ぎ、道端に倒れた。
「いったい、何が……」
理由なんか分からない。分かりようもない。
それは皆も同じだろう。凍りついたように硬直し、武勇の誉れが地に伏している姿を眺めていた。
しかし、僕たちの理解を現実は待たない。けたたましい射撃音。南の森から。薄暗い中で光るノズルファイヤが、一匹の獣のように見えた。
「に、人間だーーッ!」
誰かが叫ぶ。集まった村人たちの端から倒れていく。血しぶきが、肉片が、視界を埋め尽くすほどに飛び散った。
誰かの血で頬が濡れたことで、ようやく僕は我に返った。そして気づく。
ここにいては殺されてしまう――と。
「みんな、逃げろ! とにかく北へ!」
とっさに叫んだ。村人たちも反応したが、襲い来る銃撃は精密だった。森に近いゾンビから着実に討ち果たされていく。
どうにか難を逃れて家屋の裏側に駆け込んだ僕は、壁を背にしながら倒れ込んだ。射撃は執拗だ。流れ弾が壁を貫き、木の板に無数の穴を空けた。僕はその場で這いつくばって、もう一度叫んだ。
「走れ走れ! とにかく逃げるんだ!」
すると、いきなり銃声が止んだ。無限に続くと思われたそれは、何の脈絡もなしに蹂躙を休めたのだ。
「なぜ? いったい何が――」
壁の端から顔をのぞかせた。視線の先にある南の森から8人の迷彩服が姿を現した。彼らの構えはゆるく、散策にも似た気楽さが感じられる。
――到着が遅れた。突撃チーム、現場に到着。侵入経路を確保したぁ。オーバァ。
――こちら本部。遅すぎるぞ。第二との通信が途絶えた。戦況を報告しろ。オーバー!
――捨符が野糞してたんだよ、勘弁してくれ。それと、あ〜〜、第二はもれなく成仏。オーバァ。
――クッ……全滅だと!? 始末書じゃすまんぞ、覚悟しておけよ! 分かったな目刺!
――ミュータントを殲滅したんだからチャラにしてくれ。あと、ステフに便秘薬を支給な。そんじゃ作戦に戻る、オーバァ。
無線機を操る男の顔を見て、僕は胸に衝撃を覚えた。特徴的な赤い髪。凶相を貼り付けたような顔立ち。
「間違いない……あいつは、僕を撃った男じゃないか!」
肌がざわつく。無数の虫でも這いずるかのようで、思わず腕を掻きむしった。鼓動も早鐘を打つ。思考がまとまらない。この感覚は何だ。恐怖か、それとも予見か。
その間も村人は転げるようにして逃げていく。北へ、生存を求めて懸命に。
「そうだ、望海ちゃんは! どこに行ったんだ!?」
周囲に視線を巡らせて彼女の姿を探した。激しい銃撃にさらされた事で、いつの間にかはぐれていた。
群衆の中にはいない。では家屋の中か、あるいは物陰か。この位置から見えるものは少なすぎた。
――はい。そんじゃお前ら、手柄をたてろよ。ミュータントの殲滅だけじゃ、ちっと弱いかもしれん。
――つうかさ、なんでアタシがクソ垂れた事になってんだよ。遅参の理由はアンタが馬鹿みてぇに昼寝してたせいだろ! なぁ、アイザック隊長殿!?
――それが1番同情を誘えっかなと思ってな。悪く思うなステフ。
――いや悪いわガチで。アンタのケツに流れ弾をブチ当ててやりたい。
――埋め合わせしてやるからブツブツ言うな。そんじゃ、殲滅戦開始な。
アイザックはそう言いつつも、動くのは周囲だけだ。あの男は紙巻きたばこを加えると、のんびりと煙をくゆらせた。
動いた7人は俊敏だった。一息で屋根の上に登ったり、一気に村長宅まで駆け抜けて、逃げる村人たちを猛追した。
――お前ら、撃破数で勝負しようぜ。シンデンナのディナーを賭けて。
――待てよ。オレ狙撃銃だぞ。めっちゃ不利やんけ!
――やり方次第だろ、眉間狙えよヘッショを。
――ミュータントを殺ったのはオレだかんな、それもカウントしろよ。
――よっしゃ、早速ワンキル〜〜。
――ちょっ、速いって。ガチりすぎだろ便秘姫。
――殺すぞ。
フザけた会話。しかし射撃は憎たらしいほど精密。逃げ惑う村人たちが、みるみるうちに数を減らしていく。
望海はどこだ。見えない。血しぶきが霧のようだ。皆やられる。望海、無事なのか。
すると、逃げる最中に誰かが転んだ。康太。うつ伏せのまま泣き叫んだ。
「もうヤダァァ! 助けて、望海ねえちゃんーー!!」
あれだと的でしかない。僕は、軋む身体に鞭を打って走り出した。
「康太! 大丈夫か!」
「あぁぁ、リンタロー兄ちゃん助けてぇ!」
「泣くのは後だ! 今はとにかく遠くへ」
そうは言ったものの、無数の弾丸が飛び交っていて、まともに立つことは出来なかった。
康太の頭を抱えてしゃがむ。激しい銃撃が砂埃を生み出していて、それが目くらましになっていた。
「ここからどうしたら良いんだ。考えろ、考えるんだ……!」
「リンタローくん! 康太!」
「望海ちゃん……?」
道の先に望海がいた。引き返してくる。銃弾が飛び交うなかを、脇目もふらずに一直線だ。
「ダメだ、望海! 逃げろ!」
「待ってて、今助けるから!」
駆け寄る望海が手を伸ばした。康太を抱きかかえた僕は、空いた右手を伸ばす。隔たりは5歩、3歩と狭まっていった。
ズドン――!
指先が触れようとした時、消えた。望海の手が、肩もろとも弾け飛んだ。血肉が花のように舞う。
「望海しっかり! 望海ィーー!!」
僕は右手で望海の服を掴み、引き寄せようとした。身体が上手く動かない。僅かに引きずるのがやっとだ。
「リンタローくん。ごめんね、先に逃げて。私は大丈夫だから」
「大丈夫なわけ無いだろ、一緒だ! 絶対一緒に逃げるんだ!」
そうだ。この土煙があれば、逃げ切る事ができる。敵がバカみたいに撃ちまくったおかげだ。立ち上がらなければ、こうして身を隠せる。
「康太、僕の真似をしてくれ。這いずっていくんだ、いいね?」
「うぇぇぇ! 怖いよぉぉ!!」
「怖いね、僕もだよ。でもやってもらわなきゃダメだ。望海を助けたいだろ? それは僕がやる。だから康太も頑張ってくれ」
「うん、うん……!」
「いい子だ。じゃあ付いてきて」
望海を両腕で抱きかかえながら、地面を這っていく。足の力で押し出して、北を目指した。少しの距離を、焦れる想いをかみしめながら、しかし着実に進んでいく。
そこで、ズドンと、重たい音が聞こえた。胸に衝撃が走る。飛んだ。僕の身体は激しくバウンドして転がされた。
地面に倒れる望海と、康太の泣き顔から遠ざかっていた。
「えっ、何が……」
両手が血まみれだ。自分の血だ。
胸に巨大な穴が空いた。パイソンと同じように。
――チィッ。立て続けに2発も外した! おいお前ら、一旦撃つのやめろ! 砂埃でロクに見えねぇ!
――知らないねぇ知らないねぇ〜〜。キルポが欲しけりゃ撃ちまくれよ〜〜。
――ライフル弾はクソ高いんだよ、フザけんな!
殺られる。みんな殺られる。もはや動けている村人は少ない。無数の銃弾を浴びせられ、あるいは頭を撃ち抜かれ、動けなくなる。
「あぁ……みんな……! どうしてだよ!」
せっかくの仲間が、平穏が、安らぎが、降って湧いた暴力によって踏みにじられていく。ようやく見つけたと思った居場所だった。それが無惨に、跡形もなく。
「まただ。僕は何度、こうして……」
エデンの時もそうだ。あの時も奪われた。必死に働いていただけなのに、騙されて、自由を失くした。労役を強いられたかと思えば、撒き餌として使われた挙げ句の果てに、射殺されてしまった。
お前達アームズによって。
「何が、そんなに……!」
屋根の上に立つ赤腕章たち。いずれも笑っている。時には奇声を交えつつ、どう倒したかと、嬉々として叫んでいる。
何がそんなに愉しいのか。愉快なのか。肌がざわつく。失ったはずの胸の中で、鼓動が激しく高鳴る。血がマグマのように沸き立ち、全身を駆け巡るようだった。
「お前たちは、どうして……!」
熱い。全身が燃え上がった錯覚がある。腕も肩も指先も、いや、胸や腹の内側でさえ例外はない。とてつもない熱が身体の全てを覆い尽くしていた。
何か破裂しそうだ。もう我慢できない。その衝動に乗せて、ありったけの力を籠めて叫んだ。
「どうしてお前たちは、僕から奪うんだ!!!」
揺れた。大地が、家屋が、遠くの木々さえも揺れた。
「アァァァァーーーッ!!!」
吠えた。身体が燃えるようだ。憎悪の炎か。何も分からないまま、僕は飛んだ。
身体は不思議なほど自由に動いた。一息で屋根まで飛び上がり、そこに立つ。
傍らに赤腕章の1人が見えた。振り向いた男の顔は呆けたマヌケ面。口の端から棒付き飴が落ちた。
――後ろだ正志! 正体不明の個体!
――な、な、なんだコイツ!?
――気をつけろ! 新種の変異体だぞ!
前の赤腕章が銃口を向けて撃ってきた。
無数の弾丸が迫りくるが、被弾しても無傷だった。肉どころか、肌すらも削られる事無く、甲高い音が鳴り響くばかりだ。
正面の男が絶望に顔を歪めた。やがて撃ち尽くして自動小銃は虚しい音をたてた。
――く、クソが! どうせテメェもゾンビだろ! 頭をブチ抜けばお終いだ!
男が腰から拳銃を取り出した。僕はその腕を掴み、引きちぎった。
おびただしい鮮血と絶叫。そのやかましい頭をもぎとる。恐怖と苦悶に満ちた顔を眺めてから、屋根の下へ放り投げた。
「お前らは絶対に、絶対に許さないからなーー!!」
屋根の上で吠えた。大地だけでなく、この世の全てが震えているように思えた。空は僅かに朱がさしていた。




