第21話 極秘ミッション 望海に見つかるな
ゾンビの身体は便利だ。なにせ重体だったのに、わずか1日で起き上がれるようになったのだから。
もっとも万全とはいかない。肌の突っ張る感覚が激しく、手足の動きはぎこちなかった。
「生死の境をさまよったほどなのに。一晩寝てここまで回復したよ」
「無茶しないでね。本当に危ないとこまでいってたんだから」
「でもさ、見たところ怪我も塞がってると思うんだけど。腕も腹も、おかしなところはないし」
僕は身体を眺めながら、服を着替えている事に気付いた。ベージュのセーターは温かだし、デニムのズボンもほつれのない品質の良いものだった。布を巻き付けただけの散々な格好より、遥かに温かだ。
セーターの袖やら裾をめくっても、怪我らしい怪我はなかった。ツルンとした青白い肌がある。腕に炭化した部分を残していたが、それは元からだった。
「そこじゃなくて。背中よ背中、ほら」
望海は僕の服をたくしあげてから、2つのくすんだ手鏡を使ってあわせ鏡をしてくれた。そうして目にしたものは、なかなか酷い有り様だった。
「うわぁ……。焼けただれてるし、細かい穴が数え切れないくらい空いてるよ……」
「ゾンビでよかったね。人間だったらショック死してておかしくない怪我だったもの。縁里なんかは『爆風外傷と刺創が大変だよ、アタシ詳しいの!』って、わめいてた」
「あの子は妙に博識だね」
「暇つぶしに本を読んでるみたい。私は字が読めないけど、あの子は覚えたらしいわ。頭が良いのかもね」
「読むのは良いけど、物はちゃんと選んでやらないと」ふとグラビア誌が書籍類に紛れてることを思い出した。
「それよりも、しばらくは気をつけてよ。だいぶ出血しちゃってるから」
「僕たちゾンビは、頭を壊されるか、血を大量に失うと死ぬんだよね」
「そういうこと」
そこで望海はお椀を差し出してきた。中は真っ赤な液体で満たされている。朝にしめたニワトリの生き血だという。
「さぁ飲んで。そして健康を取り戻しちゃおう」
「うん、ありがと……。自分で飲めるよ、大丈夫」
望海が僕を抱きしめながら飲ませようとする。脇の下から、残飯入れの片隅に転がるリンゴの香りがただよう。
赤ちゃん扱いのようで恥ずかしい。それとなく抗議したけど、彼女は頑としてやめてくれない。
「はい、良く飲めました。えらいえらい」
「自分でやれるって言ったのに」
「じゃあ、あとはゆっくり寝ましょうね」
「唐突な子供扱いはなんなのさ。それより、気になる事があるんだけど」
「気になることって?」
「この前、人間を捕まえたでしょ。迷彩服の。名前はたしか、労祖と言ったかな」
「あの人間なら納屋に閉じ込めたよ。ほら、畑の近くにある」
「生け捕りなんだね、助かる。じゃあ早速彼のもとに」
「だめです、絶対安静。傷口が開いたら大変じゃない」
「でも彼には聞きたいことが――」
「いいから」
僕を藁の上に寝かせた望海は、静かに歌い出した。子守唄だろうか。歌詞はなく鼻歌だけだが、ドブネズミを締め上げたような響きが、耳に心地よい。
しかし羞恥。何よりも恥ずかしさが上回っていて、それに堪えるには気力を必要とした。
しばらくして、屋外から声がかかった。
「おうい望海、悪いが手伝ってくれ」
「はぁい! ごめんねリンタローくん。ちょっとだけ外すけど、ゆっくり寝ててね」
望海は小走りになって出ていった。こうなると室内には物音が消え失せ、静寂に包まれた。望海はどこか、離れた場所へ連れて行かれたらしい。
「寝てろって言われてもなぁ」
僕は不自由な身体で寝返りを打った。
脳裏に浮かぶのはエデン側の動きだ。聞いた話によると、新拠点のエターナルとこの村はさほど離れていないようだ。何かをキッカケにして、人間たちと衝突する可能性があった。
「すでに外回り組が戦ってるらしいけど、勝てるのかな……」
戦況はどうか。敵の兵力は、物資は、そもそも人間は僕たちとどこまで戦うつもりなのか。停戦や和平は可能か。それとも死力を尽くして殺し合うしかないのか。
乏しい知識を総動員して考え込む。それでもやはり、分からない事が多すぎた。そもそも僕は軍属じゃない、単なる一般人だった。
「ここはやっぱり、専門家に聞くべきだよね」
そう思い立つと、時間をかけてゆっくりと半身を起こした。そして周囲の物音に集中する。足音が迫っては遠ざかる。たまに笑い声。望海とおぼしき気配は感じられなかった。
「行こう。たしかロッソは納屋にいるんだよね」
納屋は村の中央付近、かぼちゃ畑の脇にある。主に農具の管理に利用するものだった。分かっている事はそれくらいだ。
「ともかく行ってみよう……」
僕は立ち上がる事さえ難儀した。何か無いかと探して、物干し竿が壁に立てかけてあるのを見た。這いずって近寄り、棒を支えに立ち上がる。いくらか不安定ではあるが、歩くことは問題なさそうに思う。
「これでなんとか。あとは見つからないよう、慎重に行けば」
そっとドアを開けて外に出た。ここは望海の家だった。つまり、村の南西部という事だ。
納屋に行くにはまっすぐ北へゆけばいいが、この身体であぜ道を乗り越えられるとは思えなかった。整備された道を進むしかない。
「みんな仕事に集中してるね。助かる……」
気配を殺しながら、ゆっくりと村の通りを歩いた。人影はちらほらと、畑なり家屋なりに見られた。しかしみんな、こちらに背を向けていたり、あるいは手元に集中していた。
畑は収穫で忙しい。家屋の中の人たちも、炉端で縫い物に精を出しているようだ。
今なら突破できる。杖をつきながら辻を曲がろうとした。しかし、そこへ甲高い声が響いて、僕は肝を冷やした。
「あれ? もう歩いて平気なの?」
「ひっ!? ごめんなさい……って、康太か。それに縁里まで」
「寝てなきゃダメなんじゃないの? それとも元気になった?」康太が期待の眼差しを向けてくる。
「う、うん。本調子じゃないけど、起き上がっていいみたい……?」
「それなら遊ぼうよ!」
まぁそうなるよね、覚悟はしていた。
「アタシも遊ぶ、おままごとしよう!」
縁里もやる気だ。さすがに子守なんてしてられない。すぐに望海に見つかって、大目玉を食らう事は確実だ。
どうにかしてやり過ごさないと。僕は思案して、それから縁里に着目した。このアイディアならいけるかもしれないと、閃きをすぐに実行した。
「あの、縁里。ちょっと……」手招きすると、彼女は駆け寄ってきた。瞳には好奇心の光がきらめいている。
「なぁに? アタシだけ?」
「そうそう。君にだけこっそり教えてあげる。僕は今ね、秘密の作戦を決行してるんだ」
「ひみつの、作戦……!」縁里の声がうわずった。つかみは良いらしい。
「誰にも知られちゃいけない。この作戦はゾンビ村の未来を左右しちゃう、とても大切なものなんだ」
「うん、うん。アタシは何をしたらいい?」
「とりあえず僕の邪魔をしないで。それと、誰にもバレないように、いつも通り過ごしてて。康太に聞かれてもとぼけるんだよ。いいね?」
「わかった。秘密の作戦って、うんとね、えっとね、極秘ミッションっていうんでしょ。アタシ詳しいんだから」
「賢くて助かるよ。協力してくれるね?」
縁里は「ラジャー」と叫ぶと、康太を無理やり遠くへ連れて行った。
康太は抗議する。「なにすんだよ、兄ちゃんと遊ぼうよ」と。すかさず縁里が「だめだって。極秘の作戦なんだから」と、早くも種明かし寸前まで喋っていた。
まぁ、それで良いと思う。急場さえ凌げれば十分だった。
「さてと。僕は納屋に急がないと」
歩を進めると水田に差し掛かった。稲刈りを終えたので、今は干す工程だ。稲架に刈り取った束をいくつも引っ掛けている。それは僕にとって好都合で、遮蔽物となって視界を遮り、僕の侵入をうまく隠してくれた。
続くかぼちゃ畑。目的地は目の前だ。辺りは無人のようで助かるな、と油断していた。すると納屋から2人の村人が現れた。
(やばい、見つかる!)
僕がとっさに隠れたのはかぼちゃの山だ。豊作なのか、収穫されたかぼちゃは高く積まれており、辛うじて身を隠す事ができた。
納屋から現れた2人は、早見鳥夫妻だった。
「はぁぁ、なんかビッグニュースねぇかな。皆がアッと驚くような、ウワッと騒ぐようなさ」
「文明よ。文明の香りがする話なら、皆食いつくと思うわ」
「そんな簡単に文明なんて落ちてねぇよ。かぼちゃの隙間なんかに転がってねぇかな」
まずい。夫の方がこっちに注目した。僕は念じる。そんな所に文明的なものなんて無い。早くどこかへ行ってくれ。
すると念が通じたのか、夫が喉の辺りの皮膚をボリボリとかきむしるようになった。
「うえぇ……渇くな。血を持ってねぇか?」
「無いわよアナタ。お家に帰らなきゃダメでしょ」
「んじゃ戻ろうか。ネタ探しはその後だ」
「そうね。そうね」
そこで夫妻は立ち去っていった。僕は大きく息を吐いてから、時間をかけて立ち上がった。せっかくのセーターやデニムパンツはもう泥だらけだ。
「望海ちゃんには後で謝ろう。2つの意味で」
謝罪すべきは逃走、それと洗濯の件だ。
それらの重たい業を背負いつつ、ついに納屋へと到着した。ものの10分程度の距離が、長い旅路のように感じられた。
「さてと。ロッソは中にいるよね……?」
納屋は家1軒分の大きさで、木造の、割と頑丈なつくりをしていた。ドアを押し開く。その中は窓が無いので薄暗く、ホコリの臭いが強かった。板張りの壁の隙間から差し込む日差しが、繊維質なホコリを照らしていた。
物は整頓されている。ひとまとめにされた農具、積み上がる藁、精米に使うだろう様々な器具。他には古びたテーブルなどが端に寄せられていた。
「倉庫の惨状とは大違いだ。この半分でもいいから、あっちにも気を配ってもらいたいね」
そうして中の様子を窺っていると、大黒柱の陰で何か動いた。息を殺すように佇むもの。大きく回り込むと迷彩服の端が見えた。ロッソに違いない。
「ひぃ! こっち来たぁ!」
ロッソは両腕をロープで縛られており、その端は柱にくくりつけられている。逃走防止の措置だ。太ももは治療の跡があり、包帯は赤く染まっている。まともに動ける足ではないけど、念の為に拘束したのだろう。
「やぁ、僕は根須麟太郎っていうんだ。よろしくね」
「やめてくれ、オレを食わないでくれ……お願いだぁ!」
「いや、うん、もちろん。食べるつもりはないよ。ただちょっと話をしたくて」
「もう嫌だぁぁ! 誰か助けてくれぇ!」
だめだ、会話にならない。錯乱状態かもしれない。
しかしこの短いやり取りの最中に、1つ違和感を覚えた。
「ねぇ、僕の言葉が分かる?」
「お願いだ。逃がしてくれ、化物にはなりたくねぇよ」
「えっと、じゃあ、僕の質問に答えてくれたら村を出ていいよ。これならどう?」
「オレがいったい何したってんだよ。こんな罰を受けるような人生じゃなかったのに。あぁ神様!」
「ええと、僕の声、聞こえてますか?」
「ちくしょう! オレの武器はどこだ、この野郎! 銃さえあればお前なんか! お前なんかなぁ!」
予想は正しかった。ロッソには、そして恐らく人間には、僕たちの言葉が届いていない。
不思議なこともあるもんだ。相手の言葉はしっかり理解できるのに、こちらからは通じないらしい。
「どうしようか。これじゃあ情報を聞き出す事もできないな」
「勘弁、してくれ……。ウッ。オレはまだ死にたくない……ウゥッ」
ロッソはうめきながら、縛られた両手を左胸に当てた。不整脈か何か起きているようで、顔はみるみるうちに青ざめていった。
ここらが潮時か。彼はしばらく休ませるべきだろう。
「僕はもう行くよ。またね」
そう言って立ち去ろうとした、その瞬間だ。突然納屋のドアが音を立てて開いた。
「こんな所にいたのリンタローくん!? どうして動き回ってるの!」
「ひえっ、ごめんなさい!」
「絶対安静だって言ったのにダメじゃない!」
望海が駆け寄るなり、僕の手を強く握りしめた。
「いや、ごめんごめん。どうしても気がかりな事があって。それに、身体の方も割と平気だし」
「ダメなものはダメ! お願いだから、安静にしててよ……。リンタローくんにもしもの事があったら……」
「あぁ、うん。ごめんね……?」
僕はどうしてよいか分からず、望海の頭を撫でた。乾燥した髪が、洗ってない犬の毛を彷彿とさせる。
「でもね、望海ちゃん。僕は遊んでた訳じゃないんだ。有益な情報を引き出そうと思って……」
そこで顔をロッソに戻すと、ギョッとさせられた。彼は白目を剥き、泡を吐きながら、頭を左右に揺さぶっていた。心労の限界を突破したのかもしれない。
「ヒギッ……シア……オゴェ……」
「あっ」
「あっ」
僕たちが見守る中、ロッソは頭から勢い良く倒れた。
「ちょっとヤバいよこれ! どうしようリンタローくん!」
「タネおばあさん! タネさん呼んできて!」
結論から言うと、応援を呼ぶ必要はなかった。ロッソは間もなく息を引き取ったのだ。そしてゾンビ化して蘇った。激しい渇きを訴えたので間違いない。
意図せず死なせてしまった事には、罪悪感を禁じ得ない。それでも、遅かれ早かれこうなる運命だったと、自分を納得させる事にした。




