第2話 裁かれるべきは
浦城さんに頼まれた品は、据え置き型の照明だった。やたら大きいし型番も見かけないものだ。一般家庭用と言うよりは、軍用だったり工場向けかもしれない。実際、届け先は東地区の工場団地だった。
「これを運ぶのは大変そうだな。よいしょ……」
両腕を回して持ち上げたところ、見た目ほど重くはないので、さほど苦にならない。それでも照明のバカでかい図体が視界を塞ぐので、歩くことは難しかった。
実際、中央区の大通りを行く間、トラブルを頻発させてしまった。
「邪魔だ馬鹿野郎、どけ!」正面から誰かの怒鳴る声を聞いた。
「あっ、すいません!」
僕左側によけると、すかさず背後からも怒鳴られた。自転車のベルもけたたましく鳴る。
「フラフラ歩くなクソガキ! 轢き殺すぞ!」
「ひえっ、ごめんなさい!」
僕が大きく右に避けたところで、今度は足がぬかるみにはまった。それでバランスを崩して尻からころんだ。トドメに照明が僕の頭を打つ。頭上に星が舞った気分だ。
「はじめから、こう持てば良かったよね……!」
僕は照明を抱きかかえては、顔を真左に向けた。そしてカニ歩きで進む。前もよく見えるので、移動はスムーズになった。時々、両手を休めるシーンはあったものの、どうにかファクトリーエリアまで辿り着いた。
「ええと……お届け先は、Aの2番……」
僕は伝票を片手に通りを歩いた。ここは昔から大型倉庫が並んでいたらしく、今は改装して工場にしたと聞いている。
内装はさておき外装はとにかく古い。どれも赤サビだらけで、塗装ははがれてコンクリート剥き出し。傾いて倒壊寸前の工場まである。
僕はファクトリーエリアが苦手だった。物音は絶え間なく聞こえるのに、通りにはほとんど人の姿を見かけない。その不条理さがどうにも馴染めなかった。大荷物でなければ全力疾走していたところだ。
「Aの2番、ここだな。すいませーーん!」
工場の壁を確認してから声をかけた。するとシャッターの中から、髭面の男が顔を出した。油汚れにまみれたアライグマ。そんな印象を受けた。
「あぁ、いつものネェちゃんじゃねぇな? なにかトラブルか?」
「いえ、浦城さんなら仕事が立て込んでるとかで。僕が代わりに来ました」
「ふぅん。まぁ良いだろう。アイツが見込んだガキなら、口も固いだろうしな」
「えっと……まぁ、そうかも?」
「うるせぇな。とにかく物を寄越せ」
「口が固いって、なんでわざわざ確かめたんだろ?」
「聞こえねぇのか、さっさと寄越せこの野郎!」
「わ、わ、すみません!!」
僕は慌てて照明を地面に置いた。すると、男は工場のシャッターをしめてから、届け物まで歩み寄った。
それから彼はジロジロと照明の外装をながめて、手の甲で叩いてから、後ろ側を見た。そして背面板のネジを緩めて外したところで、大きく頷いた。
「ふん。一応は話に聞いてた通りだ」
僕にも照明器具の中身が見えた。てっきり部品や配線があるものと思ったけど、違った。そこには麻の袋が入っていた。
「なんでそんなものが、機械の中に……?」
僕が不審がっていると、男は「伝票」と言った。またもや慌てて差しだす。乱雑に書き殴ったあとに突っかえされた。
文字は達筆すぎて読めなかった。
「例のネェちゃんに伝えとけ。金はいつもの通りやっておくってな」
「はぁ、わかりました」
「これで用事は済んだろう。サッサと消えろ」
男は、手のひらでハエを払う仕草を見せた。こちらとしても居残る理由はないので、小さく会釈をして立ち去った。
「はぁ……。なんだか嫌な気分だな」
横柄な態度が胸に刺さるようだ。とにかく不快で、どこか侘しくて、溜息をもらしてしまった。
そして次第に込み上げてきたのは、不安だった。ファクトリーエリアから遠ざかるほど、それは胸の中で膨らんでゆく。
「あの工場のおじさん。なんだか所々で様子がおかしかったような」
とくに会話。首をひねりたくなるようなセリフがいくつかあった。それに、やたらと工場の中を見せないようにしていた。僕はあの工場がどんな規模で、何を生み出しているのかの一切を知ることができなかった。
「いったい何なんだろ。もしかして危険なものでも……。いやまさかね! 疑うなんて良くないよ、うん!」
他ならぬ浦城さんの依頼だ。安全な仕事に決まっている。拭いきれない不安は、報告の時にもらえるだろうお褒めの言葉を妄想しながら、無理やり腹の奥に押し込んだ。
帰りは手ぶらなので楽だ。20分も歩けば中央区で、ちょうどお昼時だった。雑踏のざわめきが心地よい。見知らぬ人ばかりだけど、人の行き交う姿を見ているだけで、不思議と心が安らいだ。
「さてと。報告をしておきたいところだけど……」
不在かもと思いつつ、浦城さんの職場である「古物家電取扱所」までやってくると、彼女はそこに居た。
「あっ、おかえりなさい。どうだった?」
デスクに座っていた浦城さんは、カウンターまで歩み寄ってきた。僕は伝票を手渡した。
「たぶん問題ないかなって。お金は、いつものようにとか言ってました」
「あぁ、そう。分かったわ」
そう呟いた浦城さんは、部屋の奥を覗き込む仕草を見せた。そこには人の姿はおろか、気配さえ無かった。
「とにかくありがとう、助かったわ。それじゃあこれ、お手伝い料ね」
彼女が出したのは、千円札が3枚。僕は声をひっくり返してしまった。
「3千円!? こんなにもらって良いんですか?」
「いいのいいの。そのかわり、今日の事はナイショにしてもらえる?」
「えっ、どうしてですか?」
「どうしてって、そりゃあ……」
浦城さんが口ごもるのを見て、僕はまた不安に苛まれた。
「上司に怒られちゃうから。仕事を回せてないと、ネチネチうるさいのよ」
「あ、あぁ……! なるほど。それは大変だね」
「そうなのよ。だからお願い! みんなには言わないで、ね? ね?」
両手を合わせる仕草。かわいい。僕はすっかり得意になって「もちろんだよ」と、今日一番の笑顔で快諾したのだった。
これだけの臨時収入があれば2日は働かなくて済む。贅沢に生鮮食品を買うことだって出来そうだし、レストランだって利用できる。
「けっこうなお金をもらっちゃったけども……」
レストランの入口に黒板があり、チョークで本日の料理が書いてあった。春しぶりのパスタ1200円。サラダとコーヒーセットなら1500円。それを眺めていると、頬に突き刺さる視線を感じた。
オープンテラスを利用する老夫婦が、怪訝そうにこっちを見ていた。僕は逃げるようにして退散した。
それからも中央区をさすらったけど、なぜか散財する気になれなかった。結局はお決まりのブロックレーションを買い足して、南区へと戻っていった。
「なんでだろ……。こんなにも不安なのは」
家に戻り、1人でいると、その気持ちは際限なく膨らんでいった。得も言われぬ罪悪感に苛まれ、思わず頭を抱えたくなる。
なぜだ。仕事を手伝っただけなのに、何を怯えているのか。分からない。分からないまま、モヤモヤとした気持ちを抱えていた。
気分は一向に晴れないままで、夕暮れ時を迎えた。壁の隙間から赤い陽が差し込んだ頃、玄関ドアがノックされた。
「はぁい。今でます」
来客の予定はない。近所の誰か尋ねにきたのか、などと思いつつ内鍵を外した。そしてドアを押し開けた途端、僕は腕を引っ張られた。
強い力だ。勢いそのままに倒されてしまい、地面に組み伏せられてしまう。
「い、痛い! 急に何を!?」
「大人しくしろ、保安部だ。無駄な抵抗はよせ」
「ほ、ほ、保安部!?」
現れた男は2人組で、迷彩服に青い腕章をつけていた。確かに保安官に間違いないのだが、なぜ僕が捕縛されようとしているかは、全く理解できなかった。
「暴れるなよ。無駄に痛い思いをするだけだぞ」
そんな余裕は僕にない。むしろ、かなり強烈に押さえつけられているので、苦しくてたまらなかった。僕は意識が薄れゆくのを感じた。「連れて行け」という言葉を聞いたのを最後に、視界は暗くなった。
次に意識を取り戻した時は、頬に痛みを伴っていた。
「そろそろ起きろ。始まるぞ」
始まるって何が。そんな思いとともに目を開くと、見慣れない部屋が見えた。
講堂にも似た空間だった。部屋の正面の壇上には大きなテーブルがあり、そこには厳しい顔の老人が並んで腰掛けていた。右手は無骨なコンクリート壁。左手には、資料を携えた保安官が控えていた。
そんな部屋の中央に、僕は後ろ手に縛られたままで、椅子に座っていた。その隣で直立不動になる1人の保安官が、僕を見下ろしながら睨んでいた。
「これより根須麟太郎の審議に入る。彼の罪状は?」
壇上の男がいうと、壁際の青腕章が一歩出た。
「裁判長。この根須麟太郎という男は役所の女と結託し、盗みを働きました」
「ふむ。確認だが、彼は未成年ではないのだね?」
「年齢は15歳を迎えて半年ほど。もう大人です」
「よろしい。続きを」
「貴金属のロンダリングです。古い家電を回収ないし配達する役目を良いことに、各家庭より宝石類や貴金属を盗み出しました。それをファクトリーに流して再加工して売り飛ばす、という仕組みのようです」
「共犯関係にある人物は、捕らえているのかな?」
「役所の女は捕縛しましたが、工場の連中は逃がしてしまいました。しかし現在、エデン内をしらみつぶしに捜索しておりますので、時間の問題でしょう」
「わかった」
裁判長と呼ばれた老年の男が、僕に目を向けた。
一方で僕は、何の話を聞かされているのか、始めのうちは理解できなかった。しかし役所の女とは浦城さんで、工場は今日のお届け先を意味してるのだろうか。そう思うと何か符合するものがあり、全身が激しく震えた。
「被告人の根須よ。弁明があれば聞こう」
僕のことか。一呼吸だけ間が空いてしまったが、感情が吹き出すままに声をだした。
「あの、何だかとんでもない事になってますけど! 僕は何も盗んでないし、貴金属とかも知りません! 何かの間違いです!」
「ふむ。あくまでも白を切るというのだね?」
「装うとかじゃなく、本当に――!」
「保安官」裁判長がため息混じりに言った。「証人として共犯者を連れてきたまえ。名前は浦城、ええと、浦城……」
「下の名前は瑠衣と読みます」
「そうそう。彼女をここへ」
保安官は直立して返事をすると、すみやかに退室した。再び彼が戻ると、やはり後ろ手に縛られた浦城さんが後に続いた。
「ねぇ! これはどういうこと――」
僕が問いかけようとすると、隣の保安官に頬を殴られた。加えて、勝手に喋るなと言った。
「証人の浦城。あなたは西地区の未亡人宅から貴金属を盗み、業者に売り飛ばした。その男と結託したうえで。それは間違いないかね?」
「はい。間違いありません」ためらいなく答えた浦城さんを、僕は信じられない想いで見た。
「報告にはこうある。君は修理品の配達する立場を悪用して個人宅に上がり込み、家主の隙をついては盗みを働いた。それを工業機器の中に隠して、特定の工場に売り飛ばした、と」
「おっしゃる通りです。機械の中に隠して、ファクトリーの業者に売りました」
僕はその言葉に電撃を感じてしまった。確かに配達した時、不審な袋が混じっているのを見た。あれが犯行の証なのか。だとしたら僕は本当に――。
めまいがする。椅子に座っていても倒れそうなくらい、頭が揺れた。やはり「フラフラするな」と頬を殴られた。
「証人。これまでにどれだけ盗んだ?」
「覚えていません。ですが、10点は超えると自覚しています」
「これは中々の大泥棒だな」
裁判長が木槌でテーブルを叩いた。それは僕にとって、死の宣告を受けたも同然だった。
「十分な整合性が見られる。もはや議論の余地はない。被告人の根須には無期限の労役刑に処す」
僕の頭は真っ白だ。なにか言おうとして、しかし言葉にならず、喘ぐばかりになった。
すると、裁判長が浦城さんの方に目を向けた。
「証人の浦城、君も恐らく同じ刑罰が待っている。しかしだ。司法取引に応じるのであれば、その限りでない」
彼女は鼻で笑った。
「はぁ……。やっぱりそう来るんですか?」
「その美貌を地下牢獄で咲かせても虚しいだけだ。そうだろう?」
「あまり気が進まないですけど、牢屋に入れられるよりはマシかな」
「そうだろう、そうだろう。君にはアームズに献上するだけの価値がある。彼らに相応の『奉仕』を求められるが、牢屋送りは免れることが出来よう。いかがかな?」
「う〜〜ん、まぁ、ね。牢屋に入れられるくらいなら、そっちの方がいいかも」
「よろしい。では縄を」
その言葉で、彼女を縛る縄は解かれた。僕は後ろ手に縛られたままだ。
「これにて閉廷」
無情にも鳴らされた木槌。すると、僕は保安官に連れ去られそうになった。でもこのまま引けない。僕は全力で抵抗しながら、大声を響かせた。
「浦城さん! これはどういう事なの!?」
そこでようやく、彼女は僕を見た。顔立ちも服装も体型も何一つ変わっていないのに、なぜか別人のように思えた。そっと浮かべた笑みも違う。見慣れたはずの、髪を耳にかける仕草でさえも別物だった。
「ごめんね根須くん。何だか扱いやすそうだったからさ」
「扱いやすそう……?」
「だって、私のために何でもしてくれそうに思えたんだもの。巻き込んで悪いけど、運が悪かったと思って諦めてね」
世界がグニャリと揺れた。頭が痛い。肺が苦しい。内臓が反転して胃液が飛び出そうだ。
間もなく浦城さんが立ち去る。保安官に連れられて部屋から出ようとする。これが最後。2度と会えないだろう。その焦りから、僕は叫んだ。
「どうしてバラを受け取ってくれなかったの!?」
自分でも、なぜそれを尋ねたのかは分からない。浦城さんも目を丸くして見開いた。しかしそれも、大きなカーブで歪んだ。ひどく不快だ。彼女に対して初めて悪感情を抱いた瞬間だった。
「なんでそんな事を聞くの?」
「だって、泥棒してたってことは、お金がほしかったんでしょ? あの花だって高かったんだよ?」
「つまらないじゃない」
「どういうこと……?」
「花なんてそのうち枯れるんだもの。要らないわ。そんなものより、お金をそのままプレゼントされた方がよっぽど嬉しかった。そういうもんでしょ」
そう言いながら僕に背を向けて、最後にこう吐き捨てた。
「さよなら宝石泥棒さん。せいぜい寒空の下で労役がんばってね。私はエデンで、アームズのご機嫌取りながらノンビリ暮らすわ」
その言葉が僕から生気を抜き取った。隣の保安官が「いい加減にしろ」と怒鳴っては、僕を引っ張ろうとする。
もはや抵抗する気力もなかった。縄を引かれるままに部屋から出て、階段を降り、薄暗い牢獄まで連れてこられた。
「僕は、僕は良いように利用されて、捨てられたのか……」
胸が苦しい。体の奥底でたぎる想いが、肉体を突き破って飛び出しそうだった。皮膚をはがせば、血肉の代わりに憤怒の炎が吹き出そうな、それほどの激情がとぐろを巻いていた。
そんな僕のささくれた心を、なぜか暗闇がなぐさめた。通路の裸電球がもたらす灯りは、僕の独房までは届かず、かすかな白が闇を濃くした。
このまま闇に溶けてしまえばいい、世界から消えてしまえば良い。その想いは、眠りに落ちても覚めても、途切れることはなかった。