第16話 風がいざなう気配
想定外の新鮮な人肉とあって、村人たちは大いに喜んだ。ナタを手にしたタネばあさんなんて「腕によりをかけてやんべ」などと、やる気を隠さない。
リヤカーは村長宅そばの広場に停められた。新鮮な血の香りは芳醇だった。口で知らせるよりも早く、匂いが方々に伝わり、野次馬が押し寄せた。久々の大収穫らしい。
小躍りして喜ぶのは、康太や縁里といった子供だけでなく、大人も同じだった。
「ちょっと待って、僕の話を聞いてくれ!」
辺りは水を打ったように静まり返った。村人たちは白濁した瞳をまんまるに見開いた後、すぐに笑みを浮かべた。
「根須様、そんな慌てねぇでください。ちゃんと一番いい肉をご用意しますから」
「違う違う! 取り分の話じゃなくて、発信機の事だよ!」
「なんです、そいつぁ?」
「腕についてるでしょ、見てごらんよ」
リヤカーに積み上がる死体は3人分。そのうち2人はブレスレットを付けており、1人は迷彩服だった。血に汚れた袖には青腕章がブラさがっている。
「外回りは、彼らをどこで捕まえたと?」
「東にダァーーッと行って、山だの川だのを越えた先まで見てきたそうです。廃墟のくせに、やたら新しい物資がたくさんあったとか、言ってたような」
「そこはもしかして、エターナルじゃないか?」
「えたーなる? 何ですかそれ」
「人間が新たに造ろうとしてる拠点だよ。何日前に僕も居たんだけど」
この暴挙ともいえる誘拐劇は宣戦布告にならないか。ブレスレットを付けている者に関しては、おそらく囚人だろう。彼らが死んだとて、エデンが対策を講じるとは思えない。
しかし腕章付きは、基本的に上級民だ。そんな人間を殺してしまって大丈夫なのか。捜索隊やら、報復の軍隊を差し向けられるかもしれない。
おあつらえむきにも発信機まであるのだ。
「みんな、これは危ないって。死体はどこか遠くに捨ててしまおう」
「ええっ!? そりゃねぇですよ! 久々のナマなんですぜ?」
「このままじゃ外征部隊という、とんでもなく強い軍隊が攻め寄せてくるかもしれない。きっも僕らだけじゃ勝てない、皆殺しにされちゃうよ」
「心配しすぎですって。それにハッシンキってぇのは、根須様もつけてるじゃないですか」
指摘された通り、僕の腕にも同種のものがはめられている。しかし、銃撃や放火を経たことで、ひどく損傷していた。ダイオードが埋め込まれた穴はポッカリと空き、中の配線も黒焦げになっているようだった。
リヤカーの荷台に潜むものとは、コンディションが全く違った。
「これはたぶん、壊れてるから。そっちの方は機能していると思うよ」
「わかりました。そしたら、まず食いましょうや。それから片付ける段階になったら、誰かしらが腕輪を遠くに捨ててくる。それで勘弁してくだせぇ」
「今のうちに外すことは……出来ないか」
鍵穴が輪っかに埋め込まれており、取り外すのは簡単じゃなかった。合鍵を用意するか、解体するかの2択だった。 結局、後者が落とし所となった。
タネばあさんを始めとした料理上手たちが、ナタをふるい、包丁を振り回した。派手な動きに反して、血の汚れは少なかった。熟練の技というヤツかもしれない。
「リンタローくん、いい匂いがしてきたね」
望海はすでに倉庫から呼び寄せていた。丘の段差に腰を降ろしつつ、成り行きを見守った。
まもなく陽が落ちる。松明の光が広場を照らし、影を長くした。それに匹敵するほど首を伸ばした村人たちは、最初の料理が来ると歓声で応えた。
「ほらよ。人肉と新鮮卵のユッケだ。まずはこれを食っときな」
「うぉぉ! すんげぇ美味そうーー!」
それを皮切りに、次々と料理が押し寄せてきた。ショウガの香りただよう時雨煮やら、小麦のパンで挟んだ肉サンド、ほんのり焼きめを入れたロースト肉も出してくれた。
「おいしいね、ほんと」
望海が口の端に肉の切れ端を引っ付けながらいった。
「そうだね。美味いよ」
僕は得も言えぬ予感から、料理を愉しむどころではなかった。それでも口に出すのは諦めた。大人も子供も絶品料理に夢中だ。その幸福感を台無しにしたくない、という気持ちも持っていた。
(それに、今のところ反応がないし……)
リヤカーの傍には、赤黒いブレスレットが転がっていた。ダイオードに変化が無いことは、松明が照らす中で確かめた。一度やニ度じゃない。気になるたびに視線を向けては、静かな闇を見るばかりになる。
あれも壊れているのか。それとも、本当は発信機能なんて無く、ハッタリである可能性も考えられた。やがて、村人の言う通り、僕が気にしすぎなのかもしれないと思うようになる。
「まぁいいか。ブレスレットさえ処理してくれれば、それで十分でしょ」
僕もお腹を満たしながら、みんなの様子を眺め続けた。誰かが歌い出すと、あちこちから歌声が重なってくる。1人、調子外れの声がした。「下手くそ!」と誰かが叫んでは、笑いの渦を生み出した。
和やかな夜だ。平和で、満たされている。そんな場に自分がいるだなんて信じられない。
松明が広場に長い影を作る。それは重なって、肩を揺らしながら抱き合い、またもや笑い声が起きた。そうして夜は更けていったが、宴は長く続かなかった。
「うえっ、雨だ」
「大粒の雨だなぁ。みんな、片付けは後にしよう。冷えねぇうちに帰宅だ帰宅!」
僕たちは、松明の火もそのままにして駆け出した。雨脚はみるみるうちに強くなり、やがて大地を打ち付けるほど激しくなった。
「本降りだね。雨漏りしないといいけどな」
帰宅して望海が言う。僕も不安になって天井を見上げたが、密集した草が雨を防ぎ、さらに壁の方へと誘っていた。
杞憂かもね。お互いに小さく笑ったのち、眠りについた。
迎えた朝。昨夜の余韻を引きずる僕たちは、朝食が進まなかった。
「ごめん望海ちゃん。あんまり食欲ない、というかお腹が空いてないんだ」
「実を言うと私も。夜の分に回すから、もうお終いにしていい?」
望海は赤いスープを回収すると、鍋に戻した。僕は少しだけ申し訳ない気分になり、囲炉裏で小さくなっていた。
僕の気持ちを察してか、望海はことさら明るい声で言った。
「それにしても昨日のご飯はおいしかったよねぇ。しめたばかりの人間って、初めてだったから驚いちゃった」
「そうだね。僕もびっくりして……あっ」
「どうかしたの?」
「いや、ちゃんとブレスレットを捨ててくれたかなって……」
僕はとたんに気がかりになって、家から飛び出した。遅れて望海も着いてくるけど、待っている時間が惜しかった。
辻で左に曲がり、やがて広場へと辿り着いた。リヤカーは置きっぱなしだ。昨晩の皿は片付けられているが、地面のところどころ赤く、生々しい血痕が残されていた。
「いや、そんなものより……!」
僕はリヤカーの荷台を覗き込んだ。そこには汚れた衣類が乱雑に置いてあり、その端から鉄の輪っかが見えた。手に取ってみると発信機で、赤いダイオードが点滅していた。
「やばいよコレ……。たぶん、位置情報を知られた!」
なぜ昨夜のうちに捨てておかなかったんだ。胸の奥から怒りが込み上げてくる。それは同時に自責の念でもあった。
なぜ他人任せにしてしまったのか。自分の手を動かしていれば、確実に捨てる事ができたろう。真夜中の森に躊躇している場合じゃなかった。
ブレスレットを握りしめる間も、ダイオードは点滅をやめない。どこか、僕の不手際を嘲笑うかのように見えた。
「いや、まだ大丈夫。諦めるな。今のうちに渓谷にでも投げ捨てたら――」
僕が村の西へ駆け出そうとした、まさにその時。東の森が騒がしくなる。誰かが叫びながら茂みから飛び出し、村の方へ駆け寄ろうとしていた。彼は転がりそうになりつつも、繰り返し叫んだ。
「大変だ、大変だ! 人間の軍隊が攻めてきたぞ!」
僕はその場でブレスレットを投げ捨てた。そして、報告を続ける村人に向かって駆けていく。
冬はまだこない。寒波の気配は遠い。それでも次の季節の足音が消えることはない。東の森では、いくらか冷えた風で木々が揺れていた。




