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五右八郎  作者: 85235
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さよならとわたし

 

「拙者、徳川へ自首をいたしまする」

 とつぜん三左衛門が言ったので、五右衛門も秀家もポカンとなった。火鉢で炙っていた銀杏がジリジリと焦げ臭くなってきたところで、ようやく秀家が我に返った。

「いきなりなんじゃ、三左。つまらぬ冗談はよせい」

「そうだよ。おっさん、なに言ってんの」

 五右衛門は、竹串から抜いた銀杏(ぎんなん)を皿に盛った。人糞に似た銀杏独特の臭気が、岩窟に充満する。

転合(てんごう)ではございませぬ。自らの主へ刃を向けるなど、不届き千万の所業。拙者など、本来は誅されて当然の身でござる」

 半月前に徳川の役人が襲来した際、三左衛門は発狂した。ややこしい事情があったわけであるが、結果としては、念仏を唱え、秀家を滅多打ちにし、役人に遏止(あっし)され、あげく五右衛門にのされて地に伏した。

 悪いことに、三左衛門は狂気の域にありながらも、記憶がぶっとぶほど正体を失ってはいなかった。出来(しゅったい)したすべての事象を克明に記憶しており、昏睡から覚め自らの所業を省みたとたん、また発狂した。正気に戻れば、再反の発狂を恥じ更に狂癲(きょうてん)。三日ほどの間は、ほとんど乱人のような有様だった。

「そのことなら、気にするでない。わしはこうして生きておるのじゃ」

 一方の秀家は、あけらかんとしたものだ。自らを殴打した三左衛門のことをサックリ許し、それどころか危機を脱することができたのは三左衛門の手柄だとして、厚く賞賛した。

 第一にワガママ、第二に尊大、第三に思慮知能が欠乏しているなど問題は多すぎるほどに多いが、そもそもの秀家はあっさりしたよい男なのである。

 五右衛門は、おっさんの皿に取り分けた銀杏へ塩を振ってやる。

「お殿さまもこう言ってることだし、気にしなくてもいいんじゃない。だいたい、徳川へ自首なんかしたら、おっさん殺されちゃうじゃん」

「覚悟の上だ」

 飛び出んばかりに見開かれた三左衛門のまなこが、揺らぐ灯火を映して白く光る。強い髭に覆われた口元は、くろがねのごとく融通(ゆずう)なく結ばれている。厚いくちびるが鈍鈍しく開かれ、決意を湛えた声が、座をとりかこんだ岩肌へ低く反響した。

「いずれは、殿もここをお出にならねばなりませぬ。しかし詮議は未だ厳しく、あとふた月は動けますまい」

「それだったら、おっさんももうちょっとここで待ったらいいじゃない」

「わっぱは黙っておれ」

 有無を言わせぬ三左衛門の口調に、五右衛門は口をつぐんだ。

 秀家の目をまっすぐにとらえたまま、三左衛門は続ける。

「ふた月もの長きあいだ、ここが発見されぬという保証はありませぬ。ならばいっそ、拙者が徳川方に名乗りいで、殿は自害なされたと報告いたしまする。さすれば、詮議の手も緩むことでありましょう」

「ならぬ」

 秀家はきっぱりと釘をさした。

「関ヶ原で破れたとき、わしの身命は果てるはずであったのじゃ。それをいまこうして全うしておるのは、そちが身を砕いてまで、苛酷な天命に逆ろうてくれたからこそじゃ。そのそちを死へ追いやり、どうしてわしだけが生きながらえよう。ここへ残れ」

「できませぬ」

 微動だにせぬ三左衛門の(びん)が、岩窟を吹き巻いた寒風にほつれる。毛束が一筋、頬へかかった。

「拙者は、殿をお守りするためにここへ残ったのです。それを、安穏としておったばかりか、殿へ無礼の限りを尽くした不肖者でござる。死してなお償いきれませぬ」

「許すと言うたわしの言葉に従えぬのか。だいいち、ここに徳川の手が伸びるとは限らぬ」

「矢野家の銭もそろそろ底をつくころ。工面しようと駆け回れば、必ずどこかで足がつきまする」

「金ならば、先日、届いたではないか」

 先発の五人は、ぶじ京へ辿り着き、円融寺(えんゆうじ)に秀家の母・お福をおとなった。喜んだお福からの書状を携えた虫明(むしあげ)九平次と森田小伝治が戻ってきたのが、五日前である。

『大坂屋敷のお豪へも、必ず秀家の無事を知らせる。なお、蘆田・本郷・山田の三人は、寺男に化けさせ寺内にて匿っているので、安心してほしい』

 という文面に、金子が添えられていた。その翌日、虫明・森田に返書を託して発たせたから、そろそろあちらへ着いているころだ。

「殿。無礼を承知で申しまする。あれしきの銭は、すでに使い切って一分も残ってはおりませぬ」

 三左衛門の言うとおりだった。先発隊の旅費をまかなうために借りた金をおカネの実家へ返し、糧食を仕入れたら、余るどころか足が出た。ちょろまかそうと思っていた五右衛門は、がっかりしたものである。

 しかしながら、このあたりの事情を三左衛門が知っているとは、五右衛門はおもいもしなかった。また瘋癲を起こされてはかなわぬと、この半月のあいだ、雑件はすべて伏せていたのだ。

 おそらく三左衛門は、正気に返った直後に出頭の決意を固め、矢野家の内情を見定めつつ、時機をはかっていたのだろう。秀家が矢野家に馴染み、先発隊からの知らせも届いた今は、たしかに時宜(じぎ)である。

 ささくれた筵へ手のひらをつき、三左衛門は平伏した。濃い影に呑まれて、その表情は読めない。ただ懇願の声だけが、低く、重重しく、寒気の中へ満ちる。

「どうか」

「わしは、そちをなくしとうはないのじゃ」

 そう言ったきり、二人とも黙った。

 暗い。

 火桶だけが、ことさらに赤赤と燃えていた。

 

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