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五右八郎  作者: 85235
12/12

五右八郎とわたし

 

 湯をたててくれたのは、寺男に扮装した先発組の三人であった。風呂場の板壁越しに語らい、夕餉の席では酒を酌み交わした。

「のう、五右」

 酔いを醒ましに出た縁側で、秀家と二人きりになった。

 境内は、除夜参りの焚き火で明るい。村の家長たちの酒を飲む声が小さく聞こえてくる。鐘をつく音が重く響いた。大晦日だという実感がじーんとする。

「赤子の名前は、決めたのかのう」

 秀家が、酒で熱くなった頬をほころばせた。

 矢野家で陰所生活を営んでいたころは、この酔い顔がひどく間抜けに見えた。だが今は、酔った秀家といっしょにいるとほっこりと落ち着いた気分になる。

「うーん。まだ、かな」

 五右衛門は掻巻(かいまき)をかい込んだ。闇夜に吐く息が白い。月はごくごく細く、星が夜空いっぱいに出ている。座敷の障子から漏れる灯りが、秀家の横顔を黄色く染めていた。

 冷えた縁にぺたりと腰をおろし、秀家は五右衛門を見上げた。大きな目が潤んでギヤマンみたいだ。

「わしの名をやろうとおもうのじゃが、どうじゃ」

「えっ?」

 五右衛門が目をまるくすると、秀家は照れくさそうに頭をかいた。

「太閤さまより授かった秀の字はやれぬがの。家、ならばやれる」

「家吉とか?」

「家助、家平、家右衛門……うーむ。ぱっとせぬのう」

「じゃあ、八郎のほうをちょうだいよ。そっちのほうが気楽でいいし」

 円融院に〝八郎〟と幼名で呼ばれ面映いような顔をしていた秀家をおもい出して、五右衛門は噴き出した。

 秀家は、真面目くさった顔で腕を組んだ。

「む。五右八郎、か」

「なんでおれの名前とくっつけるの」

「おぬしの子じゃからの」

 秀家が、白い歯を見せてニッと笑った。

 しまらない名前ではあるが、それもいい。ふたつくっつけば、何でもできそうな気がする。

 五右衛門がうなずくと、秀家は懐紙と矢立を取り出し、座敷からの明かりを頼りに〝五右八郎〟と書き付けた。五右衛門へ差し出す。

 手渡しざまに、秀家は真剣な顔をした。

「本当は何とつけようとおもうておったんじゃ」

「え?」

 五右衛門は、秀家の目をまじまじと見た。

「さきほど、決まっておったような素振りをしておったではないか」

「鋭いね」

「三月もともにおれば、わかる」

 鐘がひっきりなしに響いてくる。

 明かすべきか逡巡したが、けっきょく正直に言うことにした。

「あのさ」

「うむ」

「じつは……三左衛門、ってつけようとおもってたんだけど」

「五右八郎よりもよい名ではないか」

「むさく育っちゃいそうな名前だけどね」

 辛い素振りも見せず、秀家は笑った。

 ほっとして、五右衛門もいっしょに笑った。

 三左衛門の顔をおもい出すと、辛くなる。しかし同時に、誇らしい気持ちにもなった。

 いろいろあったが、秀家は無事でここにいるのだ。

「三左衛門とつけられぬのは、惜しいのう。そうじゃ五右、もう一人つくるのじゃ」

「えええ! 勘弁してよ」

「何を言う。よい奥方ではないか」

「ひとごとだからそんなこと言えるんだってば」

 げっそりした五右衛門を指差して、秀家は大きな笑い声をあげた。

 今度こそ、腹の底から笑えたようである。

 つられて五右衛門も高い声を出すと、酔って足元のあやしくなった弁之助が、障子を蹴破って縁へ倒れこんできた。同じく酔いどれの森田がその上へぶっ倒れる。

 向こうでは、正気を取り戻した黒田が仲間とともににこやかに酒を飲んでいる。

 村では、虫明とおらんも楽しくしているだろうか。

 もういちど顔を見合わせて、五右衛門と秀家は笑いあった。

 年が暮れる。



「遅すぎんだよ。いったいどこをほっつき歩いてたんだい」

 上がり框に腰かけたとたん、おかねの罵声が五右衛門を直撃した。

「おれにもいろいろあったんだしさ。もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃないの」

 道中でいろいろあったのは事実であるが、円融寺に着いてからは遊び放題の酒盛り三昧。ようよう寺を発ったのは、正月飾りの取れた睦月の八日だった。自宅に到着した今現在は、十一日の暮れである。

 五右衛門の嘘はとっくにお見通しらしく、おかねの剣幕は凄まじい。

「甘ったれんじゃないよ。女子供をほっぽっといて遊び歩いてたくせにさ」

 あまりの雑言に腕の赤ん坊がきゃーんと泣いたので、おかねは抱き直してあやした。

 生まれて一月もたたない赤ん坊は、どう見たって猿である。おまけに、両親に似たのかえらく不細工だ。

 しかし、この子が五右八郎だとおもうと感慨もひとしお。五右衛門は頭を撫でてみた。泣かれた。おかねが、五右衛門の手を叩き落とす。

「やたらと触んじゃないよ」

「お取り込み中のとこスイヤセンが、おじゃましやす」

 でかい風呂敷包みを負った草履顔が敷居をまたいだ。続いて恵比寿腹。そして九蔵が玄関をくぐる。

 おかねは、キッと五右衛門を睨みつけた。

「あんた、またでくのぼうを拾ったのかい」

「いや、拾ったわけじゃないんだけど。どっちかっていうと押しつけられたっていうか」

 秀家の母・円融院のとりなしで命を助けられた草履と恵比寿であったが、虫明の一件がある。宇喜多一行からの心証はよくなかった。

 そんな二人を円融寺に残してきては角が立つし、本人たちもかたぎの仕事につくと固く誓っているので、しようがなく五右衛門が引き取り、美濃で働き口を探してやることにした次第だ。

 彼らが同行したせいで虫明の滞在する村にも寄れなかったし、途中で強盗と間違えられて捕吏に全速力で追われもしたし、まったく散散であった。

 そして家に帰れば、おかねの冷たい目である。

 五右衛門は、忌忌しい気分で草履と恵比寿を見やった。

「おれだって、こんなの預かりたくなかったんだよね」

「冷てえこと言わねえでくだせえよ、大兄貴」

 草履顔が揉み手をする。

「その呼び方やめてよ。おれまでチンピラの仲間みたいじゃないの」

「へえ。じゃあ何とお呼びすりゃ」

 巨大なつづらを担いだ恵比寿腹が口をもごもごさせた。同じく大荷物の九蔵が、元気よく手をあげる。

「旦那さまって呼べばいいんだよー」

「さすがは九蔵の兄貴。ねえ、旦那さま」

「なんでも言いつけてくだせえよ、旦那さま」

 草履も恵比寿もへこへこと頭を下げる。

 五右衛門はうんざりした。

「やめてってば。おれ、別におまえらのご主人さまじゃないじゃん」

「旦那さまに見捨てられちゃ、おれら行くとこがねえんですぜ」

 草履は半泣きになって、必死で五右衛門にすがる。恵比寿のほうも、へつらうような上目遣いで五右衛門を見た。

 五右衛門は溜息を吐いた。

「せめて、ついてきたのが弁之助くんだったらよかったのに」

 成り行きで円融寺まで同道した弁之助は、草履や恵比寿と同様、行く当てがなかった。

 五右衛門は、いっしょに美濃へ来ないかと誘ってみたが、大人しく百姓をやる弁之助ではない。武芸を糧に立身出世するんだと息巻いて、宇喜多一行とともに円融寺に残ったのだった。

「おまえらなんて、犬の餌にもなんないじゃん」

「そ、そんなこと言わねえでくだせえ!」

「旦那さま、おれら、なんでもしますんで!」

 草履も恵比寿も、発情した大蛸のごとく必死で五右衛門へ手足を絡ませる。

「わかった、わかったってば! いいから離して。おれ疲れてんだから、家にあがらせてよ」

 元もがり二人の抱擁を振り切って、五右衛門は板間へ転げあがった。背に突き刺さるおかねの視線が痛い。

 そこへ、おふさが丸盆にのせた湯飲みを運んできた。

「おかえりなさい、父さま。お疲れになったでしょう」

「おふさは優しいね。ありがと」

 弁天のような娘の笑みを見て、ようやく五右衛門はほっとした。湯がうまい。おふさは、もがり二人と九蔵にも湯を勧める。

「九蔵さんも大変でしたでしょう。お客さまがたも、あがってください」

「へ、へえ」

 草履と恵比寿は、おふさのあまりの美しさに棒立ちである。

 彼らの背負った荷物を預かろうとしたおふさを、おかねが厳しく嗜めた。

「もうすぐ母親になるってときに、重いモン持つんじゃないよ」

「え、もうなってんじゃん」

 五右衛門は首を傾げた。おかねが、馬鹿にしきった視線を投げてよこす。

「なに寝ぼけたこと言ってんだい。おふさがだよ」

「ええぇぇえ!?」

 五右衛門はおふさの下腹をガン見した。普通にぺったんこである。おふさは恥ずかしげに身を捩った。

「なんで? どして? そんなふうには見えないけど」

「まだ三月にもならないんだから、腹が出てくるわけないだろ」

 五右八郎をあやしながら、おかねが吐き捨てるように言った。

「三月……」

 となれば、だれの子かはおのずと知れている。五右衛門は、おふさの手をとってぐるぐる踊りまわった。

「やったじゃん、おふさ! ちゃんとお殿さまと仲良くしてたんじゃないの! お礼もたくさん貰えたし、ほんっと最高!」

 九蔵ともがり二人の背負ったつづらには、円融院が持たせてくれた小袖やら黄金やらが詰まっている。念願かなって大金持ちだ。

 そのうえ、秀家からは子宝。いらぬおまけはついてきたものの、今までの苦労が一気に報われた気分である。

 大はしゃぎの五右衛門へ、おかねはぴしゃりと言い放った。

「あんたって男は、つくづく見る目がないね」

「なに、どういうこと?」

「おふさに訊いてみな」

 手を握り締めたまま、五右衛門はおふさの顔をおそるおそる覗き込んだ。おふさは、幸せそうな目を自らの下腹に向けている。

「おふさ。卒爾ながらおたずねするけど」

 五右衛門は口ごもった。湯飲み片手に棒立ちした草履と恵比寿が、ごくりと唾を飲む。九蔵は頓着なく、ずるずる音をたてて湯をすすっている。

 緊張のあまりキーンとしだした耳を小指でかっぽじってから、五右衛門は意を決して切り出した。

「……それ、だれの子?」

 おふさの顔が桃色に染まる。ふっくらとした頬に両手を当て、ぽつりと

「……黒田さまの」

「黒田ちゃんの……?」

「はい。黒田さまの」

 おふさが、花のようにくちびるをほころばせた。五右八郎がきゅーんと泣く。おかねがあやす。草履と恵比寿はこわごわと五右衛門の顔色をうかがった。湯を飲み干した九蔵が湯飲みを高々とかかげ、おかわりと言った。

 束の間の沈黙ののち。

「ぶっ殺す!!」

 五右衛門は駆け出した。




 おしまい

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