五右八郎とわたし
湯をたててくれたのは、寺男に扮装した先発組の三人であった。風呂場の板壁越しに語らい、夕餉の席では酒を酌み交わした。
「のう、五右」
酔いを醒ましに出た縁側で、秀家と二人きりになった。
境内は、除夜参りの焚き火で明るい。村の家長たちの酒を飲む声が小さく聞こえてくる。鐘をつく音が重く響いた。大晦日だという実感がじーんとする。
「赤子の名前は、決めたのかのう」
秀家が、酒で熱くなった頬をほころばせた。
矢野家で陰所生活を営んでいたころは、この酔い顔がひどく間抜けに見えた。だが今は、酔った秀家といっしょにいるとほっこりと落ち着いた気分になる。
「うーん。まだ、かな」
五右衛門は掻巻をかい込んだ。闇夜に吐く息が白い。月はごくごく細く、星が夜空いっぱいに出ている。座敷の障子から漏れる灯りが、秀家の横顔を黄色く染めていた。
冷えた縁にぺたりと腰をおろし、秀家は五右衛門を見上げた。大きな目が潤んでギヤマンみたいだ。
「わしの名をやろうとおもうのじゃが、どうじゃ」
「えっ?」
五右衛門が目をまるくすると、秀家は照れくさそうに頭をかいた。
「太閤さまより授かった秀の字はやれぬがの。家、ならばやれる」
「家吉とか?」
「家助、家平、家右衛門……うーむ。ぱっとせぬのう」
「じゃあ、八郎のほうをちょうだいよ。そっちのほうが気楽でいいし」
円融院に〝八郎〟と幼名で呼ばれ面映いような顔をしていた秀家をおもい出して、五右衛門は噴き出した。
秀家は、真面目くさった顔で腕を組んだ。
「む。五右八郎、か」
「なんでおれの名前とくっつけるの」
「おぬしの子じゃからの」
秀家が、白い歯を見せてニッと笑った。
しまらない名前ではあるが、それもいい。ふたつくっつけば、何でもできそうな気がする。
五右衛門がうなずくと、秀家は懐紙と矢立を取り出し、座敷からの明かりを頼りに〝五右八郎〟と書き付けた。五右衛門へ差し出す。
手渡しざまに、秀家は真剣な顔をした。
「本当は何とつけようとおもうておったんじゃ」
「え?」
五右衛門は、秀家の目をまじまじと見た。
「さきほど、決まっておったような素振りをしておったではないか」
「鋭いね」
「三月もともにおれば、わかる」
鐘がひっきりなしに響いてくる。
明かすべきか逡巡したが、けっきょく正直に言うことにした。
「あのさ」
「うむ」
「じつは……三左衛門、ってつけようとおもってたんだけど」
「五右八郎よりもよい名ではないか」
「むさく育っちゃいそうな名前だけどね」
辛い素振りも見せず、秀家は笑った。
ほっとして、五右衛門もいっしょに笑った。
三左衛門の顔をおもい出すと、辛くなる。しかし同時に、誇らしい気持ちにもなった。
いろいろあったが、秀家は無事でここにいるのだ。
「三左衛門とつけられぬのは、惜しいのう。そうじゃ五右、もう一人つくるのじゃ」
「えええ! 勘弁してよ」
「何を言う。よい奥方ではないか」
「ひとごとだからそんなこと言えるんだってば」
げっそりした五右衛門を指差して、秀家は大きな笑い声をあげた。
今度こそ、腹の底から笑えたようである。
つられて五右衛門も高い声を出すと、酔って足元のあやしくなった弁之助が、障子を蹴破って縁へ倒れこんできた。同じく酔いどれの森田がその上へぶっ倒れる。
向こうでは、正気を取り戻した黒田が仲間とともににこやかに酒を飲んでいる。
村では、虫明とおらんも楽しくしているだろうか。
もういちど顔を見合わせて、五右衛門と秀家は笑いあった。
年が暮れる。
「遅すぎんだよ。いったいどこをほっつき歩いてたんだい」
上がり框に腰かけたとたん、おかねの罵声が五右衛門を直撃した。
「おれにもいろいろあったんだしさ。もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃないの」
道中でいろいろあったのは事実であるが、円融寺に着いてからは遊び放題の酒盛り三昧。ようよう寺を発ったのは、正月飾りの取れた睦月の八日だった。自宅に到着した今現在は、十一日の暮れである。
五右衛門の嘘はとっくにお見通しらしく、おかねの剣幕は凄まじい。
「甘ったれんじゃないよ。女子供をほっぽっといて遊び歩いてたくせにさ」
あまりの雑言に腕の赤ん坊がきゃーんと泣いたので、おかねは抱き直してあやした。
生まれて一月もたたない赤ん坊は、どう見たって猿である。おまけに、両親に似たのかえらく不細工だ。
しかし、この子が五右八郎だとおもうと感慨もひとしお。五右衛門は頭を撫でてみた。泣かれた。おかねが、五右衛門の手を叩き落とす。
「やたらと触んじゃないよ」
「お取り込み中のとこスイヤセンが、おじゃましやす」
でかい風呂敷包みを負った草履顔が敷居をまたいだ。続いて恵比寿腹。そして九蔵が玄関をくぐる。
おかねは、キッと五右衛門を睨みつけた。
「あんた、またでくのぼうを拾ったのかい」
「いや、拾ったわけじゃないんだけど。どっちかっていうと押しつけられたっていうか」
秀家の母・円融院のとりなしで命を助けられた草履と恵比寿であったが、虫明の一件がある。宇喜多一行からの心証はよくなかった。
そんな二人を円融寺に残してきては角が立つし、本人たちもかたぎの仕事につくと固く誓っているので、しようがなく五右衛門が引き取り、美濃で働き口を探してやることにした次第だ。
彼らが同行したせいで虫明の滞在する村にも寄れなかったし、途中で強盗と間違えられて捕吏に全速力で追われもしたし、まったく散散であった。
そして家に帰れば、おかねの冷たい目である。
五右衛門は、忌忌しい気分で草履と恵比寿を見やった。
「おれだって、こんなの預かりたくなかったんだよね」
「冷てえこと言わねえでくだせえよ、大兄貴」
草履顔が揉み手をする。
「その呼び方やめてよ。おれまでチンピラの仲間みたいじゃないの」
「へえ。じゃあ何とお呼びすりゃ」
巨大なつづらを担いだ恵比寿腹が口をもごもごさせた。同じく大荷物の九蔵が、元気よく手をあげる。
「旦那さまって呼べばいいんだよー」
「さすがは九蔵の兄貴。ねえ、旦那さま」
「なんでも言いつけてくだせえよ、旦那さま」
草履も恵比寿もへこへこと頭を下げる。
五右衛門はうんざりした。
「やめてってば。おれ、別におまえらのご主人さまじゃないじゃん」
「旦那さまに見捨てられちゃ、おれら行くとこがねえんですぜ」
草履は半泣きになって、必死で五右衛門にすがる。恵比寿のほうも、へつらうような上目遣いで五右衛門を見た。
五右衛門は溜息を吐いた。
「せめて、ついてきたのが弁之助くんだったらよかったのに」
成り行きで円融寺まで同道した弁之助は、草履や恵比寿と同様、行く当てがなかった。
五右衛門は、いっしょに美濃へ来ないかと誘ってみたが、大人しく百姓をやる弁之助ではない。武芸を糧に立身出世するんだと息巻いて、宇喜多一行とともに円融寺に残ったのだった。
「おまえらなんて、犬の餌にもなんないじゃん」
「そ、そんなこと言わねえでくだせえ!」
「旦那さま、おれら、なんでもしますんで!」
草履も恵比寿も、発情した大蛸のごとく必死で五右衛門へ手足を絡ませる。
「わかった、わかったってば! いいから離して。おれ疲れてんだから、家にあがらせてよ」
元もがり二人の抱擁を振り切って、五右衛門は板間へ転げあがった。背に突き刺さるおかねの視線が痛い。
そこへ、おふさが丸盆にのせた湯飲みを運んできた。
「おかえりなさい、父さま。お疲れになったでしょう」
「おふさは優しいね。ありがと」
弁天のような娘の笑みを見て、ようやく五右衛門はほっとした。湯がうまい。おふさは、もがり二人と九蔵にも湯を勧める。
「九蔵さんも大変でしたでしょう。お客さまがたも、あがってください」
「へ、へえ」
草履と恵比寿は、おふさのあまりの美しさに棒立ちである。
彼らの背負った荷物を預かろうとしたおふさを、おかねが厳しく嗜めた。
「もうすぐ母親になるってときに、重いモン持つんじゃないよ」
「え、もうなってんじゃん」
五右衛門は首を傾げた。おかねが、馬鹿にしきった視線を投げてよこす。
「なに寝ぼけたこと言ってんだい。おふさがだよ」
「ええぇぇえ!?」
五右衛門はおふさの下腹をガン見した。普通にぺったんこである。おふさは恥ずかしげに身を捩った。
「なんで? どして? そんなふうには見えないけど」
「まだ三月にもならないんだから、腹が出てくるわけないだろ」
五右八郎をあやしながら、おかねが吐き捨てるように言った。
「三月……」
となれば、だれの子かはおのずと知れている。五右衛門は、おふさの手をとってぐるぐる踊りまわった。
「やったじゃん、おふさ! ちゃんとお殿さまと仲良くしてたんじゃないの! お礼もたくさん貰えたし、ほんっと最高!」
九蔵ともがり二人の背負ったつづらには、円融院が持たせてくれた小袖やら黄金やらが詰まっている。念願かなって大金持ちだ。
そのうえ、秀家からは子宝。いらぬおまけはついてきたものの、今までの苦労が一気に報われた気分である。
大はしゃぎの五右衛門へ、おかねはぴしゃりと言い放った。
「あんたって男は、つくづく見る目がないね」
「なに、どういうこと?」
「おふさに訊いてみな」
手を握り締めたまま、五右衛門はおふさの顔をおそるおそる覗き込んだ。おふさは、幸せそうな目を自らの下腹に向けている。
「おふさ。卒爾ながらおたずねするけど」
五右衛門は口ごもった。湯飲み片手に棒立ちした草履と恵比寿が、ごくりと唾を飲む。九蔵は頓着なく、ずるずる音をたてて湯をすすっている。
緊張のあまりキーンとしだした耳を小指でかっぽじってから、五右衛門は意を決して切り出した。
「……それ、だれの子?」
おふさの顔が桃色に染まる。ふっくらとした頬に両手を当て、ぽつりと
「……黒田さまの」
「黒田ちゃんの……?」
「はい。黒田さまの」
おふさが、花のようにくちびるをほころばせた。五右八郎がきゅーんと泣く。おかねがあやす。草履と恵比寿はこわごわと五右衛門の顔色をうかがった。湯を飲み干した九蔵が湯飲みを高々とかかげ、おかわりと言った。
束の間の沈黙ののち。
「ぶっ殺す!!」
五右衛門は駆け出した。
おしまい