ハチⅠ
「痛いよー!」
泣きじゃくった少女はそう言いながら老婆に自分の腕を見せた。小さな腕には針が刺さっている。
「どれどれ。おや、蜂に刺されたんだね。とりあえずアロエの液を塗っておきな」
老婆は庭に生えているアロエの葉を取り少女の腕に塗った。赤く腫れあがった肌が痛々しい。
本当にこれで効くのか、と不思議に思っていた少女に老婆は言った。
「アロエは万能なんだよ。蜂に刺されたら塗るといい。でも念のために病院には行こうね」
「おばあちゃん、ばんのうってどういう意味?」
「うーん、どの病にも効くってことさ」
アロエってすごいんだね、と泣きはらした顔がキラキラした表情へと変わった。
・・・
「お風呂入ろ」
頭が痛い。聖奈は毎年夏の初めはいつも体調を崩す。いわゆる夏風邪だ。寝汗をかいて気持ちが悪いので、お風呂に入ろうと重たい足取りで風呂場へと向かう。自分が着ている黄色い花柄のパジャマを脱いで、シャワーをさっと浴びた。いつもは二日ほどで下がる熱だが今回は五日ほどかかった。なぜこんなに長引いたのかなんとなく察しはついていた。
聖奈は頼まれたら断れない性格をしていた。大学でのグループプレゼンの資料を全て一人で仕上げた。聖奈以外のグループのメンバーはそれぞれ理由があって出来そうにないと言っていたが、きっとどれもちゃんとした理由ではないだろう。聖奈にだってバイトはあるし、他の講義がある。結局資料は一週間ほど徹夜をして完成させた。我ながらよくできたな、と思う。
「頭痛薬まだあったかな」
お風呂に入って幾分かスッキリした頭で思考がクリアになった。
「あれ、お母さんどこ?」
休日の今日は母親も仕事が休みのはずだ。スマホを確認すると時刻は昼の二時を少し過ぎたところだった。こんな時間に買い物に行くことはあまりない。一応「買い物?」と短いメールを送った。
そこから何分くらいたっただろうか。外はすっかり夕焼けだ。なのに、まだ返事は来ない。
「アイスでも買いに行こうかな」
聖奈は母親が帰ってくるまでもう少しかかる気がしたので外の空気を吸いにコンビニに行くことにした。ズボンを履いてTシャツを着て財布と携帯だけを持って玄関の扉を開いた。そこにはいつもと変わらない風景が広がっているはずだ。
…はずだった。
「…へ?」
ここからは遠いが明らかに街のど真ん中に洋風のお城が立っている。黄色の外壁に金色の三角屋根。まるで夢の国にでもありそうな建物だ。
「あれ、まだ夢の中?」
夢にしては随分とリアルすぎる。何度頬を叩いてもただ痛みが増すだけで、何の変化もない。とりあえず歩いてみることにした。
(あれ、こんなところに花なんてあったけ?)
季節的に花が咲いているのはおかしくないのだが、街にやたらと花が植えられていることに気づいた。華やかになったのは良いことだが、どうも見慣れず落ち着かない。なにがどうなっているのか。
(よーし、コンビニ行ってアイス買って、また明日になったら元に戻ってる。きっと!)
聖奈は深く考えるのをやめた。病み上がりだし、まだ少し頭痛も残っている。その日はコンビニに行ってお気に入りのチョコアイスを買い、家へ帰った。アイスを食べ終えてクーラーをつけて心地良くなり、いつの間にか眠りについていた。
カーテンから漏れる日の光で目が覚めた。ベッドから起き上がり、母親から連絡が来ていないか確認してみたが何もない。急いでリビングへ行ってみるもやはりいない。時間的にもう仕事へ行っているのだがそれにしても返事がないのが気になった。普段から抜けているところはあったのでただ見ていないだけだろう、と様子を見ることにした。とりあえずいつも通り学校に行く支度をした。昨日はやけに変な夢を見たせいか、早く外の空気を吸いたかった。結局あれはなんだったのか、と不思議に思いながら玄関の扉を開けた。
「…へ?…戻って…ない」
そこには昨日見た風景が広がっていた。聖奈は意味が分からずただただ困惑した。確かに黄色いお城が見える。花もあちこちに咲いている。
(学校に行くべきかな?)
このままここにいても何も変わらないと思ったので最寄りの駅へ向かい、学校へ向かうことにした。
(学校に着いたら誰かに話を聞いてみないと)
訳の分からない状況で花々の甘い香りが妙に不気味に感じた。