6 遥か西の満州
半月が過ぎて俺はまだ北関東の地にいる。あと半月我慢すれば西へと旅立つ事ができる。わかってはいるのだが、つまらないことはつまらない。大体なんでこんなところでむさくるしい毛布にくるまって寝ているのだ。
あの隣町の不細工な奴を倒したのがいけなかったのか。そもそもなんで俺はあんな奴と果し合いなんぞすることになったのだ。
あれは、確か、同級生のひょうろく玉が祭りの夜に浮かれていたところを見とがめられて、でくわした奴に殴られたんだった。それがきっかけでO中学対H中学の争いのようになって、決着をつけようとなったんだが、なんかおかしいな。何故俺がうちの中学の代表みたいになってしまったんだ。そりゃ大勢あつまって乱闘になってもつまらんし、きっかけはつまらんことだったんだから穏便に話し合いでもよかったんじゃないか。そうか、俺があそこですべきは数を頼んだ奴をやっつけるんじゃなくて、説得をしなきゃいけなかったのか。いやあ俺にそんな知恵働きなんか無理だ。現に今日だって。
「馬鹿者!そんな不浄なもので風呂を沸かすとは何事だ」
大きな怒鳴り声が聞こえてきた。
今日は当番で風呂を沸かす仕事が回ってきていた。
毎日とはいかないが、二日に一度風呂に入ることが決まっていた。集団生活における衛生上入浴は大事だ。毎日使う農具や武具や道具類はその都度手入れして片付けるのだから、人間様だって本来毎日洗って欲しいものだが、人数が多いからしかたがない。
風呂も日輪兵舎のように丸く桶ででも作ってあるのかと予想していたが、普通に木で四角い物だった。いっぺんに十数人が入れる大きさなのはなかなか良い作りだと思う。大きいと湯が冷めにくくて五右衛門風呂しか知らない俺は、この入浴時間が一番の楽しみだった。
だから風呂当番を仰せつかっても全く苦にならなかった。薪なんぞ百でも二百でも割ってやると意気込んで斧をふるっていたのだが、沸かし口のほうで騒ぎが起こったようだ。つい見に行ったら坊ちゃんが先生にしかられていた。
「大体こんなものをどこから持ってきたんだ」
「はあ、ゴミ捨て場ですが」
「貴様、ゴミで風呂を沸かそうとしたのか。そんな不浄なもので湯をわかすとはどういう精神をしておるのか」
どうも焚き付けにゴミを使おうとしたようで、みれば履き古した便所の下駄まで転がっていた。どうもそれが先生の目にとまったようだ。
「でも燃やせば汚れやばい菌もなくなってきれいになります」
あ、坊ちゃんが反論した。
先生のほほが少し赤くなった。
俺は思わず飛び出した。
そして平手で坊ちゃんの頭をはたいた。
軽くなでるように手加減はしたつもりだったが、坊ちゃんははたかれた勢いのまま横倒しに倒れてしまった。まあしかたがない。拳骨では加減が難しいからな。
「阿呆!つまらん言い訳をするな。考えてみ、そんなゴミ集めてご飯を炊く気になるか?便所の下駄で炊いた飯、うまいうまい言うて食べられるか?よう考えや」
倒れたまま俺を見つめて坊ちゃんは目を瞬かせた。
「そうか、それもそうだな」
俺は手を差し伸べながら小さく顎を振った。坊ちゃんは俺の手を取りゆっくり立ち上がった。
「うまく言えよ」服に付いた土ぼこりを払うようにして体を近づけて、つぶやくように言った。
「先生、申し訳ございません。私が間違っておりました、以後気を付けます」
坊ちゃんにしては精一杯の大声で先生に向かって叫ぶようにあやまった。
「お、おう。わかればよろしい。そのゴミはゴミ置き場に戻しておけよ」
顔色の落ち着いた先生はその場を去っていった。
「波多野君ありがとうな。だけど頭痛いよ、もうちょっと加減は出来ないの」
「あのなあ。次は拳骨でいくぞ」
結局力で解決したことになった。なんかどちらもごまかしで済ませたみたいですっきりとしない。
ふと亡くなった師匠の顔が浮かんだ。体作りは教えてくれたけど、心の使いようは何にも言ってくれなかった師匠。
一つだけなんか言うとったな。
「迷ったら風の吹く方に向かえ、追い風なんかあてにするなよ」やったかな。
なんのこっちゃ。わけわからんわ。
どっちから吹いた風に乗ってるのか逆らっているのか。まだまだ満州は遠いのだけは確かだな。




