5 集団生活
兵舎の大きさは約三十坪。一坪が畳換算で二畳とすれば60畳。一人当たり一畳の生活空間となりますからいくら子供とはいえ劣悪な環境だったようです。寝るだけの場所だったということでしょうか。
全国から集まった五十人ばかりの少年達を前に所長が熱弁をふるっている。とりあえず真面目に研修期間を過ごそうと思っているのだが、「先生」という敬称をつけてよばれる助手の皆さんになんとはなく目をつけられている気がする。
本格始動は来年からとは言うものの、すでに数百人の少年達が研修生活を送っていた。その中で俺の属する集団は少しばかり異質な存在だった。
五十人全員が農業ではなく、満洲の様々な会社に行き技能教育を受ける予定なのだ。
「君たちの目標は開拓ではなく技能の習得である。しかしそれも開拓の一つであると私は思う。日本精神をもって新しい技術を満洲の地にもたらし、もって五族協和の礎となし、お国の発展に寄与することを強く望むものである」
おっしゃることはわかるけれど、なんでここに俺たちを集める必要があったのだろう。これも実績の一つにしたかったのか、子供をそのまま送り込んでは不安なので、事前にしっかり精神を鍛えておこうということなのか。
だいたいあんな狭いところで一か月も我慢できるだろうか。こちらのほうも不安で一杯だった。
「起床!」掛け声とともにラッパが鳴った。あちこちの兵舎からも少年達の声が聞こえてくる。もちろん俺の周りも、みんな眠い目をこすりながら起きだして身支度を始めている。
三日もたてばたいがいのことに慣れてしまうものだ。人間の順応力というのはすごいものだなあ、などと内心ぼやきながら足にゲートルを巻き、顔を洗う順番を待ち、食事に向かう用意を整える。
初日は大混乱だったが今朝などは立派なものだ。駆け足に体操をすませるといよいよ食事の時間だ。
「こら!駆け足せんか!」
いかんいかん、しっかり注意を受けた奴がいるな。大太鼓を叩く音にあわせて駆け足で俺たちは食堂棟に向かった。
朝食は一汁一菜、それに鉄火味噌がつく。鉄火味噌というのは味噌に大豆を混ぜて鍋で炒ったものだ。ちょっとした甘さが少年達には大人気で、たしかにこれだけでご飯が一杯食べることが出来る。
短い休憩の後午前中の座学が始まった。
科目は多くはない。午前中は農業、語学、一般教養といったところだ。午後になると農業実習、建築実習、武道などと実習が続くことになる。
そりゃあ満洲に農地開拓に行くんだからこんな内容なのは当たり前だが、俺たちにはあんまり面白くはない。
「まあ多勢に無勢だな」鍬をふるいながら俺が言うと、隣の畝でへばっている奴が応えた。
「こんなことをするために学校を中退してきたんじゃない」あんまりそういう事大きな声で言うものじゃないぞ。大体いくらへっぴり腰でももうちょっと耕せないかな。
「なんだそこは!お前ちっとも鍬がふるえとらんじゃないか!そんなことでお国に奉公出来るか」
いわんこっちゃない。様子を見ていた助手の剣幕に奴は震え上がって受け答えも出来ない。
「先生、大目に見てやってください。そいつはこの前まで箸より重いものを持ったこともないお坊ちゃんなんですよ」つい見かねて口をはさんでしまった。
「なに!坊ちゃんだろうが坊主だろうが大地の上では平等である。だが貴様が朋友をかばうというならその精神は褒めてやる。ならば朋友の分まで耕してみろ」
なんだよ、理屈にも何にもなってないじゃないか。
俺は黙って奴が耕そうとしてきた畝に移り、最初から鍬をふるった。このあたりの土は元々農地だったようで割と楽に土起こしができる。ちなみにここで使われる鍬は大きくて重い特別製だ。初めての者がふるえる物とは思えない。俺は黙々と作業を続けた。
「おう、やれば出来ると言うわけか。貴様いっそ開拓に替わればどうだ」
つまらんことを言う奴だ。こういう手合いは相手にしないがよい。
「先生!急ぎますので失礼します」大きく鍬を振り上げた。
「さっきはありがとう。おかげで助かった」実習の時間が終わると坊ちゃんがやってきた。
「ああ、まあいいさ。しかしあんたその調子だと武道実習でも苦労しそうだな」
「うーん、箸はともかく竹刀を振ったこともないしな」
「それは……」さすがに絶句してしまった。今時そんな奴がいるのか。世の中は広いな。
剣道では竹刀どころか丸太のような棒を振ることになった。教えるのは直新陰流の師範だと聞いていたのだが、とにかく正眼から面を打つ素振りばかりをやらされた。案の定坊ちゃんは「構えが下がっている」と怒られていた。竹刀どころか本身の刀より重そうなんだからしかたがない。「声だけでも出しとけ」と励ましたがちょっとかわいそうだった。これも集団生活の付き合いというものなんだろう。
波多野君たちのスケジュールでは何を植えても収穫まで至らなかったでしょうが、本来の二~三か月研修では収穫まで体験できたようです。また建物も自分たちだけで作り渡満に備えたそうです。
最盛期には円形兵舎は三〇〇棟に及んだそうで、ちょっと想像できない風景です。波多野君はそれを見ていないわけです。




