31 帰還
出発は明日朝一番となった。今度は離陸に挑戦かと思ったら「操縦士は出してもらえる」ことになっていた。そりゃそうだ。
『加藤君本当に良いのか』
『すいませんな、わがままばかり申しまして』
『どうも胡散臭い話だからな、充分に気をつけろよ』
『たまたま自分がおったのも何かの縁ということでしょう』
『まったく休暇中に原隊に戻ってくる奴がおるか』
『そう言われますが本部勤務は息が詰まります。大臣様の相手なんか自分の柄じゃありません』
『おかげで欧米出張を楽しんどるんだろうが、聞いたぞドイツでメッサーシュミットに乗ってご機嫌だったそうじゃないか』
『あれより良いのが出来てきますよ、楽しみにしてください』
朝に会えるとは限らないので食事をもらった後にタカセさんの見舞いに行くことにした。
ちょうど食事が終わった後だった。曰く、流動食とはいえ食事がとれるのは弾が内蔵を避けてくれたからとの事だった。
「な、俺が言った通りだろ。なかなか当たるもんじゃないんだよ」いや腹を貫通してるんでしょ。俺はその傷ちゃんと見てるんですから。
「おかげで血はだいぶ減ったけどな、こりゃあ参謀殿の止血が下手なんだよ」
力が出なくて声を出しにくいからもっと近くに来てくれ、といわれてベッドのそばにある椅子に腰かけた。すこしかがんで耳をよせる体勢にしてみる。
「あのな波多野君」随分とか細い声だった。
「田中さんには気をつけろよ」目をぎょろつかせた。
「あの人は怖いぞ、人の命なんて屁とも思っちゃいねえ。敵も味方もありゃしねえからな、ここ数年で何百何千と死んでるんだ、おっさんの企みでな」息が荒くなってきたようだ。
「もう君は目を付けられているからな。このままだといいように利用されるぞ」
「はい」
「軍事探偵とかあんなのは絵空事だからな、山中峯太郎とかまともに信じるんじゃねえぞ」俺はあんまり読書しないので。
「帰ったら当分満州航空から離れるな、おとなしく勉強してろよ。それで、いい年令になったら自分から軍に志願しちまえ、のんびり召集を待ってたらおっさんの手の内に入っちまうぞ、なにしろ兵務局を握ってるからな。長い手が伸びてくる前に自分から先に動いてしまえ」そんなもんですかね。
そして今回のいきさつも小声で色々と話してくれた。謀略と金にまみれた背景まで。
「あの小屋の位置なんか忘れちまえ。と言ってももう遅いな」
朝食をいただいていると、戦隊長が食堂に現れた。飛行服の目つきの鋭い人と一緒だった。
「波多野君、紹介するよ。彼が満州まで操縦することになった」
「カトウです、よろしく頼むよ。なにしろあれに乗るのは初めてなんでな、色々と教えてくれ」
俺はあわてて立ち上がり挨拶をした。なんというか貫禄がすごいよ。
「ちょうど内地へ帰る便を探してたんだ。渡りに船とはこのことだな」
「適当な事を」戦隊長は苦笑いしている。
「飯が終わったらエンジンを回しておいてくれ」
いそいで残りをかきこみ出発の準備に向かった。病室にも寄って見たがタカセさんはぐっすりと寝ていた。起こすのはしのびないのでそのままにした。昨夜たっぷりと話は出来たしな。
駐機場に行くと、側で整備兵の人たちがタバコを吸っていた。暖気したいむね伝えると「手伝ってやるぞ」とのこと。お言葉に甘えて俺は操縦席に上がった。
スーパー機は高度三千メートルで悠々と飛行している。俺は全くと言って良いほどやることがなかった。地図を見て現在地を確認することさえ必要がない。副操縦席ではなく後部の客席にいるのと変わらないな、これでは。その後部では長椅子で参謀殿が高いびきだった。
カトウさんは離陸前に計器の確認と操縦桿やペダルを動かして様子を確かめた。その際いくつか質問を受けたが、俺の知識を確かめたようなものでまるで口頭試問みたいなものだった。地図にしても幾つかの目標をマークすると「よし、じゃあ行こうか」と言っただけであっさりと上空へ上がってしまった。
「しかし遅いな。これじゃ上の連中は居眠りしとるかもしれんな」
我々の上空には三機の95式戦闘機が展開していた。「満州までの遊覧飛行だ、先導してやってくれよ波多野君」とは出発前の横山戦隊長の言葉だ。実際にはこの空域は、部隊が進出した直後であり制空権を確立してはいなかった。昨日、ここまでの飛行経路を説明したが「よくこんなところを単機で飛んでいたもんだ」と笑われたものだった。「田中さんも無茶をする」とも。
ここでの加藤大尉と横山少佐の会話は(『』)歴史的事実と合致しません。寺内大臣欧米視察はこの夏の事ですし、大尉は陸大専科を卒業したところで、まだ航空本部勤務ではありません。この後お二方は戦死致しますのでこれは数年後、いずこかでの回想の会話ということになります。
不謹慎で申し訳ありません。




