22 初飛行
離陸してすぐに水平飛行になった。高度計を確認すると100メートル程だ、もっと上昇するものだと思っていたので意外だった。横の窓から地上を見ると家や人がはっきりとわかる。エンジンの回転数も少し戻して抑え気味になったようで操縦席からの「下が良く見えて楽しいだろ」という声がはっきりと聞こえた。
気配を感じて横を見る。機体に並行して鳥が飛んでいた。ミサゴだ。もちろん去年見た奴と同じかどうかはわからない。渡り鳥だから季節が廻り南から戻ってきたのだろう。それにしても対気速度150キロ近く出ている飛行機に並んで飛ぶとはすごいな。
さすがにそのまま飛ぶのは無理があったようで、すぐに視界から消えていった。
タカセ飛行士の目論見は時間をたっぷりとかけた上昇飛行だった。一時間ほどもかけて機体はゆっくりと高度を稼いだ。窓から見える景色が変わり山々が迫ってくる。地上の建物は徐々に疎らになり、どのあたりを飛んでいるのか見当がつかなくなっていた。
「さてと」タカセ飛行士がつぶやくように言った。
「波多野君、操縦桿にさわってごらん」悪い予感がした。
「そうそううまいぞ、なかなかセンスが良いじゃないか」
いくらおだてたってだめだ。操縦桿を握る手の平は手袋のせいではない汗でびっしょりだ。外気温はマイナス10度あたりで安定していて機内温度もかなり低い、それでも上半身は暑くて上着を脱ぎたいぐらいだった。首回りだけでも緩めたいのだが操縦桿から片手を離せない、片手だけで機体を安定させるなんて考えるだけで機体が傾くような気がする。
「大丈夫、大丈夫。外を見るんじゃなくて水平器をよく見て調整すればいいからね」何をいってるんだか、俺に外を見る余裕なんかないんだ、計器を見る余裕はもっとないけどな。
時おりタカセ飛行士が自分の前のハンドルを使って機体を安定させる。俺の側の操縦桿がそれに合わせて動くので、そのあたりのコツを覚えさせらているわけだ。
「まあ三十分頑張ってみてよ」そう言うと座席のベルトを外して席から離れて後部へと歩いて行った。
本当に俺は一人で飛行機を操縦するはめになった。うるさかったエンジンの音も消え目の前には空だけがあった。遠くに雲が見えるがあれを当てにしてはならない、コンパスと高度計と水平器、こいつらが変化しないように、それだけに集中しなきゃ。しかし指針は細かく動いていて止まってはくれない。勝手に変わる目盛りを少しずつ元にもどす。一つ直すと別の計器が動いている。直す、動く、なおす、うごく。永遠につづく無間地獄だ。
何時間たったのかわからないが急にハンドルが動いた。
「おつかれさん、なかなかよかったぞ波多野君」横の席にタカセ飛行士が戻っていた。
「まあ後ろに行って飯でも食べなよ」
フラフラになって後部席に向かうと長椅子に田中「参謀」が横になっていた。俺が近づくと「おお」と声をあげ身体を起こした。
「まだ先は長いぞ。食事をとってしっかり休憩してくれ」そう言いながら壁面の扉を開けた。中には食料らしきものが積まれていた。「好きなものを勝手にやってくれ。満航からのサービスだ」よく冷えた弁当だった。ありがたいことにこの機体にはヒーターがあってお湯が使えた。「コーヒーもあるぞ」ありがたいことだ。
食事なんかできるもんかと思ったが、弁当箱に入っていた握り飯を一口かじるとたちまち食欲が湧いてきた。思えば昼飯をとるつもりで店を訪ねてからそのままだったのだ。あったかい饅頭の代わりがこの冷えた飯かと思うと悲しくなった。
「さて」俺の感傷など気づく様子もなく参謀殿はテーブルの上に地図を広げた。
「今僕たちはこのあたりにいる」地図の一点を指差すがピンとはこない。「目指すのはここだ、まだまださきだから暗くなる前に一度降りて大休止を行う」目的地はどう見ても遥か西の彼方にしか見えなかった。俺は一体どうなるんだ。座席から見える操縦席の向こうには太陽が輝いていた。太陽はゆっくりと上に消えた。機体が高度を下げ始めた。
それから着陸まで一時間以上かかり、地上では日暮れを迎えることになった。四方を遠く山に囲まれた草原に俺たちは立っていた。




