21 未知への飛行
「どうだ少年。ものはついでだ。ひとつアルバイトをしないか」
しばらく車は走り、とある民家に入った。中には手慣れた様子の医者らしき人もいて怪我人の治療が始まった。
二人の男と俺はべつの部屋で一休みとなった。
お茶が出たのでありがたく飲みながら話をしているとと男のかたわれ、少しばかり年上のほうが言った。
「そうか満洲飛行機に勤めているのか」
「まだ見習いみたいなものですが」
なんとなく世間話になり自分の身分を話すことになったのだ。みょうに話し上手のオッサンだった。あいての事情も分からぬ間に自分の出身や現在の状況まで喋っていたのだ。
「若いのに強いじゃないか」とか。「どこで修業したのか」とか。いいように聞き取られていた。
「俺は出雲生まれなんだ。中学はMだ。同県人だな」
「物外和尚の孫弟子なら強いわけだ」
いくらでも話を合わせてくる。そして最後にこういった。
「お国のためだ、ちょっと手伝ってくれ。会社の方には話を通しておくぞ」
そして返事も待たずに電話を掛けた。
「先日は失礼しました田中です」一方的に早口でしゃべりだし、途中から俺の話題になった。そして受話器をこちらに差し出してきた。
「君は波多野君で間違いないのかね」
電話の向こうの人は名乗らなかったがたぶん社長その人だと思う。なにしろ二年前にこちらに来た時に挨拶して以来、直接言葉を交わしたことなどなかった相手だ。
「参謀殿の言うことだから仕方がない。せいぜいお役に立って来なさい」参謀ってなんだよ。
電話の後で本人に聞いてみた。
「今は違うぞ、連隊を預かっておる」
「もうすぐ移動だからいいじゃないですか、今だって誰も連隊長殿と呼びませんし」
若い方がそう言って笑う。「俺のことはタカセと呼んでくれ」一見怖そうだが話方は優しい。ただ満州航空とは因縁があるようだ。
「俺のことは田中でよい。役職階級などではなく、さんづけでよろしい」ちょっと偉そうである。
アルバイトというのは飛行機に乗らないか、ということだった。
なんと彼らは軍の任務で蒙古まで行こうとしていた。タカセさんは操縦士で刺されて怪我をしたのは機関士さんだったとのこと。田中さんはどうも陸軍の偉い人らしい。そりゃあ連隊長っていえば、普通中佐とか大佐とかだよな。さっきはうちの社長と対等に話していたし、まあどっちも雲の上の人たちだ、仕事をしないか、というのは命令みたいなもんだろう。選択権があるかのようにしてくれているうちに、言うことを聞いておいた方が無難なようだ。仕事といったってエンジンをかけたり、油をさしたりするくらいだそうだし、地図を読んで方向を決めたりがなければ出来ないことはないだろう。「スーパー機だ」というから扱いには多少は慣れている。
「フォッカー スーパーユニバーサル」というのが正式な名称になるのかな。普通はスーパー機と呼ばれているのが俺たちが搭乗する機体だ。高翼単葉、エンジンは機首に一発、アメリカのP&Hのか中島の寿型か、空冷で450馬力。通常は乗客を六人乗せて千キロを一気に飛行する旅客機で、満州航空の主力機である。だから常に一機や二機、修理や整備のために工場の一角で作業中のものを見ることが出来るし、俺も触ったことがある。
飛行場に待機しているのは初めて見る機体だった。胴体のマークも俺は見たことがない。蒙古語で何か書いてあるがもちろん全く読むことは出来ない。
「さあ乗った、乗った」田中参謀が指示を出し俺たちは乗り込んだ。中は旅客機仕様ではなくベッドとテーブルに二人掛けの座席があり、後部に荷物が積まれていた。防水布で覆われていたが嗅ぎなれた臭いがする。
「ガソリンですか?」
「そうだよ」タカセ飛行士が操縦席に乗り込みながら応えた。「タバコは吸うなよ」
用意してあった飛行服に着替えながら「吸いませんよ」と返事をする。旅客用の空間は広く立ったままで着替えが出来る。それにしてもガソリンを積んだまま飛ぶというのは「怖いか」参謀殿が長椅子に座って俺に言った。
「当たり前です」一斗缶が何個あるのかわからないが、一個発火しただけでこの飛行機は吹き飛ぶだろう。
操縦席は横並びの複座式になっている。飛行中にでも操縦を交代できるので約五時間の航続時間も楽々こなせるのだが、俺は操縦など出来ないので飛行中にやることはない。メーター類をながめるだけだ。
燃料で後部に重量が偏っているにもかかわらず滑走距離が長くなっただけでスーパー機は離陸した。無理をせずゆっくりと高度を上げていく。
「上がったら空気が流れるからな。少しは臭いのもましになるさ」たしかにその通りにはなった。




