13 冬の休日
年が明けても暦通りの春とはならない。だいたいここの人々は正月を祝わない。ロシア系は年末のクリスマスが賑やかで百貨店の飾りつけも奇麗なものだった。中国系は来月の旧正月に騒ぐそうだ。少しは水もぬるんで春らしくなるのだろうか。
「そんなわけないよ。もっと寒いよ」あっさりと地元民に否定された。
今日は休日なので外で昼飯を食べるつもりで外出している。この街はもともとロシア人が開発したところだから街並みが西欧風だ。住人も白系ロシア人がいるので外国に来たという感じがする。
食堂に入るとアジアを実感するのだが。
「ハタサン今日は一人?」給仕の女の子が日本語で声をかけてくる。子供が一人でこんなところをウロウロして大丈夫か、というところだな。
客観的に見れば俺なんかは中学を出たかどうかの子供だ。表通りはともかく、一筋入ったこのあたりはお子様の来るところじゃない。いつもはウルグダイ君が同伴していた、でないと言葉も通じない。ちなみに彼は語学堪能でロシア語以外はほぼ誰とでも意思の疎通ができるようだ。「一人五族協和ですね」と自称するくらいだ。ロシア語についてはあのアルファベットが苦手で、中途半端に英語のアルファベットに似ているのが困るらしい。蒙古語ぐらいに違うほうがわかりやすいという。俺にはついていけない理屈だ。
「マントウが食べたかったんだ」日本語が通じる所をほかに知らなかったとは言えなかった。だいぶ聞き取れるようになったとはいえ、しゃべるほうはさっぱりだ。
会社にいるときはほぼ日本語で間に合っているし、会社と社宅を往復している限りは生活に支障はない。休日の街歩きはウルグダイ君がお供を買って出てくれていて、これまた不自由がない。おかげでこんな裏通りまで覚えてしまい、つい来てしまっている。
「肉入りね、一つね」そういうと「✖✖✖✖✖!」と奥の厨房に向かって大きな声で告げた。俺には意味はわかっても全く聞き取れない言葉の羅列だ。いや、意味だって本当は『この馬鹿な小僧に肉まん一つ恵んでやって』と言っているのかもしれない。そんな僻んでもしかたないことは頭から排除してこのあたりの正月事情をたずねてみたのだ。
暖かくなるなんてとんでもない、寒さの本番はこれからだそうだ。「朝歩くときは気をつけなさい、ころがっている人間にけつまずかないようにね」恐ろしい事を平気で言う。彼女は奉天の生まれで、その家に日本人を寄宿させていたそうだ。それなりに教養のある人物だったようで、彼女に日本語を片手間に教えてくれたらしい。俺もそんな人に言葉を教えて欲しかった、というと「奉天に行くなら紹介するわよ」と笑った。
「この前そこから来たんだ」
「あら残念ね」
朝は寒くて目が覚める。休日でも同じことで、こういう習慣だと納得することにした。
平日には簡単に済ませている鍛錬を、休日だけはしっかりと行う。師匠にばれると叱られるなとは思うが、会社に遅れるわけにはいかないので勘弁していただいている。
その分、今朝はしっかりと身体を練っていく。しばらくして温まってくると道具を使って上半身に負荷をかける。道具といっても拾ってきた石や丸太だ。
師匠は自分の頭ぐらいのものを使いなさいと言って、寺の境内の隅っこから石をもってきてくれた。少し小さいと思ったが持ってみると持ち上げるのにも苦労した。それを両手で支えて体の周りをぐるぐると動かす。密着させて転がす。師匠は明らかに自分の頭の倍ぐらいありそうな石を軽々と回していた。最後に電信柱ぐらいの太さの丸太を両肩に担いでうさぎ跳びで境内を回っていた。「これは身体が出来上がってからにしなさい」と言って俺には形だけ見せてくれた。
少しは身体が出来てきたと思い、俺も丸太を担いで相撲の四股を真似てみる。へばった頃に声がかかる。「ハタノサン食事に行きましょう」同室のウルグダイ君が起きて来た。
社宅の独身組のために食堂があって、三食を提供してくれていた。平日ならそこそこ広いところが満員になるが休日は皆さんバラバラに来るのでテーブル一つ二人で独占した。献立は研修所時代と一緒の一汁一菜と言いたいところだが、ここでは栄養食と言って一品多く出る。今朝はこの栄養食を大盛にしてくれたので飯までお替りした。いただいたものをしっかり食べるのは基本の礼儀だ。
「今日は残業で外出できません」ウルグダイ君が残念そうに言った。年が明けて彼の仕事も増えてきているそうだ。会社の規模も拡大し、事務仕事も大変なことになっているようだ。
「義勇軍から研修生は来ないの」俺みたいなのが来ても彼の手助けにはならんがな。
「それがどうも様子が変わったようですね」
なんだ国会で決まって本格的な国の事業になったんじゃないのか。
ハルビンは奉天よりも寒く冬の凍死者もいたようです。朝の話は冗談ごとでもないようです。




