10 奉天到着
奉天は人口五十万人を超える満州屈指の大都市だ。駅を出ると整然とした舗装道路が縦横に伸び新しいビルディングが幾つも立っていた。バスや路面電車もあり、人々の様子も活気にみちている。
大阪も東京も素通りして、故郷と茨城の山の中しかまともに見ていない俺からすると、夢のような街だな。なにしろ木造じゃない建物があちこちにあるんだ。道路で正確に碁盤の目に区切られた街区、飛び交う明らかに中国語ではない外国語。そんな中をぞろぞろと行進するのは内心恥ずかしかった。すぐに建物に入ってくれてありがたかった。通行人たちからは奇異の視線しか感じなかったからな。
机も椅子もない教室のような部屋のなかに俺たちは整列させられた。気を付けの姿勢のまま十分ばかり待たされていると開いたままだった出入口から十人ばかり、背広姿の大人たちが入ってきた。
「名前を呼ばれた者は前に出なさい」引率がそう言うと背広姿の一人が点呼の要領で五人ほど呼び出した。皆大きく返事をして前に出る。ああここでお別れか、達者でな、と挨拶する間もなく彼等は背広姿に先導されて出て行った。順番が来て俺が呼ばれた組は四人、坊ちゃんもその中にいる。同じく背広姿に連れられて外に出ると大きな乗用車が止まっていた。
「さあ乗りなさい」そう言って背広の人は扉を開けた。俺たちが乗るにはもったいないような豪華な車内に見える。躊躇しかけた俺たちをしり目に坊ちゃんがさっさと乗り込んだ。中は向かい合わせに大人が三人づつぐらいは座れそうだ。残った三人がおずおずと乗り込むと「いやあ大きな車だな、さすがは天下の満州航空だ」と坊ちゃんが大きな声で言った。確かにたいしたものだ。
昨夜下関から深夜の連絡船に乗船した俺たちは、寝付けずに上甲板に集まって座り込んだ。月夜だったので十人ぐらいで輪をつくればそれぞれの顔がなんとか判別できた。釜山までは七時間の航海だ。大したうねりもなく列車よりも快適な乗り心地だった。すでにそれぞれの行き先も知れ、これからも仲間がいるということの安心感も手伝って、会話は大いにはずんだ。
「満州航空はわかるが満州工作機械って何を作る会社なんだ」
「いや航空だってよくわからんぞ、飛行機に乗るわけじゃないんだろ」
「そこは乗るんじゃなくて作るんだよ」坊ちゃんが俺たちの行き先の説明を始めた。なかなか詳しいな。おれは今一つ分かっていないので助かるよ。
俺以外の皆は志望動機が明確だ。義勇軍応募の時もしっかり学校や家族と話し合って来たんだろう。俺みたいに成り行きまかせのいい加減なのはいないだろうな。
「なんだ、波多野がおとなしいぞ」
「里心が付いたんじゃないか、お袋さんに見送られて」言い返そうとして、はっとした。そうなのかもしれない。俺は両親にちゃんと別れを告げてきたんだろうか。申込書に記入した時も、国鉄の駅から列車に乗り込んだ時も、そしてついさっき、港から船が出る時も。
親不孝者だな、俺は。せめてまっすぐ前を向かなきゃな。
船尾の遥か彼方には微かに下関の灯りが見える。だが、船首のむこうには月明かりのためか星一つ見ることが出来なかった。
仕方ないな、こいつらの馬鹿話に付き合ってやるか。
「ああ、久しぶりにうまい飯を食べたおかげで家に帰りたくなったよ」
渡された風呂敷包みの中身は巻きずしに焼きおにぎりだったのだが、翌日一つ二つ食べるまに周りから伸びてきた手にかっさらわれてしまった。
おかげで奉天に着いたときは結構な空腹だった。
俺たちを乗せた車は街なかを走り抜けた。到着した建物は意外に年季の入ったものだった。ただし大きい。今まで見たことのある建築物で一番大きいのではないか。
「すごいな東京駅よりでかいわ」坊ちゃんがつぶやいている。そっちも俺は外から見ていないからわからんぞ。
「どうだ君たち驚いたか」背広姿が嬉しそうに俺たちの様子を見て言った。
「まあ、中身はスカスカだけどな」運転手がからかうように言う。
「そりゃあ仕方ないさ。さあ行こう」
車を玄関前に止めたまま、大人二人はさっさと建物に入っていく。俺たちはあわててついて行く。玄関横には「満州航空奉天工場」とそこだけ新しく見える看板があった。
北関東から四日ほどで奉天まで着いたことになります。途中の連絡が良かった場合はこんなものだったようです。イミグレーションもありませんから早いですね。今ならEU圏を移動するような感じでしょうか。
この建物は張学良軍が持っていた工場だったそうです。軍閥というのはすごいものだったんですね。満州建国でかっさらわれたわけです。まさに弁当のように。




