雲の行き先 64 昼下がりの馬車
「あー、不味い」
ドロフはチャントールの使用人に渡された、皮の水筒に口を付ける。不味い、不味いと言いながら、二日酔いに効く薬草を溶かしただけのスープを、味を変えずにそのまま飲んでいる。
「全然、効かん」
「いただいたものを飲まなければ、もっと酷かったのではないですか? かなり効きそうな味がしましたよ」
同じものを飲ませてもらったが渋くて苦く、この味なら当然なにかには効きそうだなと、納得できる複雑な味がした。味だけを言えば罰の味。遊びの賭けにはちょうど良い不快さが、口の中に残る。
「そうかもしれんな」
次に師は水を大量に飲む。
水分は尿に変わる。ほとんどの者が荷を運ぶ時、気を使って必要最低限のものしか口にしない。場合によっては飲まない時もある。
「あー、あそこで止めてくれ」
「またですか?」
結果として、こういったことが起こる。
「そろそろ後ろが詰まってきました。走って戻ってきてください」
「無理を言うな」
「それなら速度を上げます」
「それも無理だ。お前の操縦だと上から戻してしまう」
「それなら早くして下さい」
リュゼーは手綱を引いて、馬車を止める。
「先に行ってもらいますか?」
慌てて物陰に隠れるドロフの背中に、リュゼーは語りかける。
「来客がそんなことできんだろ」
ドロフは首も向けずに答える。
「だからといってこれ以上は、後ろに迷惑が掛かってしまいます」
「揺らさずになら、早くしても構わないぞ」
そう言いながら衣服を直し、ドロフは馬車に乗る。進み出した馬車が揺れ出すと、天を仰ぎながら水筒を手で探し、スープを飲んでは溜め息を吐く。
チャントールの別宅に向かう途中なのだが、道は良い。それでも馬車は揺れる。速度を上げると揺れが気持ち悪いといって、すぐ元に戻される。
「せめてお前じゃなかったら」
さっきから師はそう言って、馬車の揺れに顔を顰めている。俺にどうしろというのだ。
チャントール宛の荷は、本人の希望により別宅に運ばれることになった。本宅は自分が治める山の麓にある都市にあり、デポネルの中にも屋敷を持っている。しかし、ボウエーンを訪れる時もそうだが、近辺を訪れた際はこの別宅で過ごすことが多いらしい。
「今もまだ寝ていられるのに、この役目を代わってくれる人などいませんでした」
準備のために早くから支度しなければならない。それが無ければ、予定は夜に開かれる食事会まで空いている。そんなの誰も引き受けてくれるわけがない。
その食事会に集まるのは、地方の豪族といわれる貴族たちだ。エルドレでいえば家の長と同じ格がある。その者たちを交えて、ボウエーンの拠点で開かれる。そこでも品の商談として、多くの個室で話が交わされるらしい。
「本気で探したのか?」
「はい」
酒については拠点内ということもあり、食事会では多くの者が飲めるようになるらしい。酒を飲めるという魅力が無くなる。本気を出したところで変わらない。
「ライスは?」
「駄目でした」
「ルーフは?」
「断られました」
「セイトは?」
「さすがにセイト様には声をかけられませんでした。この役目では、頭のおかしいやつだと思われてしまいます」
ドロフは何かを言うために息を吸うが、言葉を口の中で止めて息を吐く。
「なら金は?」ドロフはぶっきらぼうに言う。「何かしらは提示したんだろうな?」
「使いませんでしたし、声をかけただけです」
動きの悪い弟子に、ドロフは頭を抱える。
「あれを見たのに、ウトサまで断るとは思わなかったな」
ドロフは意外そうに呟く。それから何かに気が付いて、リュゼーを見る
「声だけなら、酒が飲める話はしたんだよな?」
「ウトサさんに声を掛けろと言われればお願いしましたが、もしかしたら受けてもらえる可能性があるため、声はかけていません」
それを聞いたドロフは、諦めて項垂れる。
「くだらん。寝る」
そのまま席の背もたれに身をあずけ、ドロフは顔を外に向ける。
目の周りを腫らしながら準備をしていた時、師は馬車で寝るとは言っていたが、体調が悪すぎてどう見ても眠れそうにない。朝のうちは調子良く笑っていたが、馬車に乗り始めてから段々と調子を崩していき、昼前には今の様になってしまった。
昼過ぎに別宅に着く予定だが、大丈夫なのだろうか。
「本当に着いてから飲み始めるのですか?」
「そういう約束だからな」
ドロフは義務のようにスープを飲む。
会が終わると、チャントールの馴染みの店に招かれた。家には『今後の話をしたい』として話を通すと、すんなりと許しは出た。
多少なりとも時間は掛かったので店には遅れて着くことになったが、店内に入ってすぐ、師は酒を飲み始めた。今後の話は、次に酒を飲む口約束程度で今と昔の話題で大いに盛り上がった。しまいにはチャントールと肩を組んで酒を飲み始めてしまう。それからずっと、大盛り上がりだ。
その後、店が閉まる時間となり、その時に交わした約束のことを言っているのだろう。
「これを飲んだら落ち着いた。もう少し早くしてくれ。またしたくなってきそうだ」
「この先は隠れるところがあまりありません。できるだけ我慢をしてください」
「分かっている」
ドロフは頷くかわりに目をつぶり、深く息を吐いてから大量の水を飲む。
「あんなに飲むからですよ」
「分かっている」
チャントールが店を離れた後、師はイルミルズたちと飲み続けた。貸し切りになった店内は、別の盛り上がりを見せた。
ゼベットという爺さんの孫が婿を探しているらしい。その人と食事をする約束まで話が進むと、一人の男が飲み比べを挑んできた。代わりに師がその挑戦を受け、僕はまだ見ぬ花嫁を手に入れた。断る理由はないと周りは言っていたが、その人には心に決めた人がいるのだろう。負けるのが分かっているのに、挑むなんて無駄はしない。
師のように物事を変える力が無いならば、負ける賭けにはのらないことだ。中に混じって、引っ掻き回した方が面白い。決められた流れのある会より、閉店後の店内のような感じが好きだ。何が一番酒に合うかで、本気の喧嘩が起こりそうだった、あの自由な感じが楽しくて良い。
同じように酒が飲めない者も、一緒になって笑っていた。酒というのは不思議なものだ。いつの間にか人数が増えていたのは、そういうことだろう。酒に我慢できなくなった家の者が紛れ込んだだけ、それだけである。




