雲の行き先 32 挨拶の仕方 下
揶揄われているのだとしても、それはそれで問題はない。それの方が気が楽だ。
迷う必要はない、聞き出そう。
「はい、この挨拶は今後役に立ちそうです。ぜひ教えて下さい」
リュゼーはロシリオの目を真っ直ぐ見て答える。
「そうそれだ、そういった素直な態度に人は心を打たれる。挨拶に重要なのは心だ、心を相手にぶつけるのだ。もう一度行くぞ?」
「はい。お願いします」
先ほどより強く手を引かれる。
胸から伝わるロシリオの気は、心臓に伝わると熱を帯びて体全体に広がっていく。何とも心地良い思いが体を包んでいく、そして力が沸く。
「——帝国の使者と話をしていたからだ」
それと共に聞こえたこの言葉により、嫌な感じが背中を這う。
最近トンポン国内で帝国派が勢力を強めてきて、緩衝国としての役割が無くなってきたと言われ始めている。すでにそれすら越えて、帝国の手がここまで南下しているという現実に驚く。しかし心に宿った気で、何とかなりそうな気がする。この人も不思議な人だ。
そんなリュゼーの顔を見てロシリオは笑う。
「どこでどうこれを使うかはお前次第だが、勉強になっただろ?」
ロシリオはリュゼーの手を強く握ってから、手を離す。
事実だからと念を押すように、強く握ってきた。事実かどうかは問題ではない。考えたくはないが、想像はつく。
それよりも、なぜそれを教えてきたということが気になる。相手の狙いが全くといっていいほど分からない。
「ロシリオ様に教わってどうでした?」
ウィーリーは訊ねる。
自分の顔が酷いことになっていることに気付いて、リュゼーは慌てて眉根を離す。顔を作り直し、ウィーリーに顔を向ける。
「物事には色々と意味が込められているのだと、勉強になりました」
「そうですか、それは良かった。この挨拶を知っているだけで、この国の者とこれから仲良くするのに役に立ちます。自国の挨拶をしてくれると嬉しいものですからね。ただ挨拶の下手な人は、その辺が分かっていないから心配です」
奴らの要求は常に、『帝国の一部になれ』だ。
「新しい子が生まれただかで、食べ物を用意するのが大変だ、などと言っていたな」
目当てはリチレーヌの穀物か。
「ええ、でもお金は沢山あるらしく、困った様子はなかったですね」
「俺たちとは違って穀物を商品として売るなら、高く買ってもらった方が領主としては得だからな」
その通りだ。
「やっと領地内の損得に対して興味を持っていただきましたか」
「勘違いするな、俺はいつも考えている。ただそれ以上に民を守ることを考えているのだ」
同盟国とはいえ他国。商いをするなら文句は言えないが、治安を維持してくれるのならエルドレではなくてもいいと考えられたら厄介だ。
帝国は、侵略ではなく治安維持として、堂々と軍を送り込める。
リュゼーは眉根に力が入るのを堪える。
悔しいが、話に入らない方が良い。この会話に入るほどの実力は、今は無い。
「確か、帝国は北方の民族と縁談がありませんでしたか?」
「それがな、どうも拗らせているらしい」
「そうなのですね」
「そっちに本腰を入れる為、子の面倒を先に済ませるつもりらしい。子に手が掛からなくなったら、北方に婿をもらいに行くらしいぞ」
「そこまで子が気になるのなら、よほど可愛い子なのでしょうね」
「詳しいことは聞かなんだが、塩のように白い肌をしているらしいな」
小競り合いを続けている北方の民族が相手なら、雪と表現するのではないか。帝国はエルドレまで視野に入れている。
まさか、ロシリオは帝国側に付くというのだろうか。いや、それならばここで教えることはしない。しかし……。
「安心して」ウィーリーは笑う。「挨拶を教えたのは、領主自らです」
一呼吸、置かれる。
「そうだな」
先ほどより半拍少なく、無言の時間が流れる。
「この挨拶により問題が起こった場合は、領主が進んでどうにかしてくれるはずです。教えた張本人として、それぐらいのことをしてあげなければ私は納得しません」
「お前に怒る資格はない。お前の方が、あちらが気にしているのを分かったうえで楽しんでいたではないか」
話の感じから、帝国側から口止めされていたことが窺える。
リュゼーに帝国と接触していることを伝えたのは、単なる気まぐれなのだろうか。
「一生懸命にやります。ですが不安なので、何かあったら一緒に行ってくれますか?」
踏み込みすぎかもしれないが、ロシリオの立ち位置を確認しなければ不安で仕方がない。
「お前は面白いやつだな、俺を一緒に誘うとは大胆なことを言いやがる。そうだなー……」
ロシリオは語尾を伸ばしながら考える振りをする。「そんな面白いやつから頼まれたら、断れんな」と片方の口角だけを上げる。
「ありがとうございます」
「気にするな。その時は一緒にそいつの尻を蹴り上げてやる」
安心した、現段階ではロシリオは王国側だ。
「試しに、ヘヒュニにこの挨拶をしてみるか? 面白いものが見られるかもしれないぞ」
まさかヘヒュニはすでに……。
「ヘヒュニ様は商いの上手な方ですが、ご自分の役目に誇りを持っています。それなので心配は要らないと思いますよ、領主」
ウィーリーはリュゼーに顔を向ける。
「エルドレで君はどういった役割なの?」
これ以上のやり取りは問題が出てくると判断したのか、ウィーリーが話題を変える
「見習いです」
「見習い?」
ウィーリーの眉根が寄る。
「認められたら家に入れるので、エルメウス家の元で仕事をしています」
「リュゼー君が入れないのは、何か理由があるの?」
「歳です。エルメウス家は成人しないと入れません」
「歳が問題なんだね。それなら来年の春が過ぎれば、エルメウス家の一員になれるわけだ」
「はい、予定ではそうです。……あれ? 歳……?」
ウィーリーの顔は、そちらが知っているならこっちも知っているよと、笑っている。
そうかもしれないが、領主と急遽参加した見習いではその差がありすぎる。
ロシリオはウィーリーの顔を見る。ウィーリーは口角を上げて、小さく頷く。先ほどロシリオが見せた、あの顔と同じだ。ウィーリーも悪戯心というか、負けん気が強いらしい。
廊下が騒がしくなってきた。
使用人が何人も部屋に入って来て、その内の一人がこちらに近付いて来る。
「おい、お前。エルメウス家の給金に納得がいかなくなったら、連絡を寄越せ」
「えっ?」
「冗談だ。どこにだってついて行ってやるが、俺に相談したければこいつを通せよ。勝手に動くなといつも言われているからな」
ロシリオは顎を振る。
「ロサリオ様、お時間です」
先ほどのペターという使用人が、身を屈めてロシリオの背中に語りかける。
「お前は俺のところには絶対に来い」
周りを気にしない声量でロシリオは言う。
「楽しみにしているぞ」
リュゼーの肩を力強く叩くと、ロシリオはペターに大広間へと案内される。
「領主は陽気な酒なので心配いりません。ちょっとだけしつこくなりますがね」
笑いながらウィーリーは手を差し出す。
「よろしくお願いします」
リュゼーが手を握り返すと、ウィーリーはその手を引いた。ロシリオの力強いそれとは違い、ゆったりとした心静かなものだった。
「——ハオスはもっとひどいらしいよ」
そう聞こえたあとに、ウィーリーと胸がぶつかる。「心にしまっておけ」というのが、ぶつけられ方で分かる。
「ありがとうございます」
「気にしないで。それでは続きは中で」
そう言い残すと、ウィーリーはロシリオの元へと向かった。




