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王国戦国物語  作者: 遠野時松
とある王国のエピソード
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世の流れ 15 表情

 小川の近くにある平地ではあるが、木々までの距離はそう遠くない。胸は相変わらず呼吸をするたびに痛むが、腹を踏まれた痛みは引いてきた。

 ファトストは自分へと近付いてくるカッシュから視線を外し、森までの最短経路を探す。直ぐに、この場から走って逃げたとしても無駄だということを悟る。障害物となるものはなく、なにより距離が遠すぎる。

 運良く森へと辿り着けたとしても、この体で逃げおおせるわけがない。無駄なことはせず、回復に専念するために体を動かさない方がいいだろう。

 平地の窪みに体を横たえて、ファトストはカッシュの動向を注視する。

「おい、おい。そんなに睨むなよ」

 手に持っている串の先をクルクルと回しながら、カッシュは首を傾げながら片眉を上げて嫌らしく笑う。

 ファトストの近くまで歩いてくると、カッシュは暫くのあいだ半笑いで見下してから、立膝でしゃがむ。

「ほれ、お前が大事にしていた大切な肉だ」

 カッシュは手に持っている串をファトストに見せる。「全部食っちまうのは申し訳ないから、これだけでも食えよ」

 ファトストは何も答えず、ただただ睨め上げる。

「遠慮すんなって」

 なおもカッシュは肉を近付ける。それに対してファトストは、顔を背けて拒絶を示す。

「ほら、食いてえんだろ?」

 カッシュはそのまま、真横まで顔を向けたファトストの頬に肉を押し付ける。

「どうした、腹の調子でも悪いのか?」

 心配を装ってカッシュは立ち上がる。ファトストはその隙に、頬についた肉汁を手で拭う。

「元気そうなんだけどな」

 カッシュは冷たく笑いながら、右足を軽く後ろに引く。

「こうすれば、良くなるらしいぞ」

 カッシュの目線がファトストの腹部へと移る。

 まずい。

 ファトストは咄嗟に腕で腹を守る。次の瞬間、口の中が鉄の味で満たされる。

「わるいな、足が滑った」

 カッシュは笑う。「今度はちゃんと腹にしてやるよ」

 カッシュは再び右足を軽く浮かせる。

 咄嗟にファトストは右腕で顔と頭を、左手で腹を守るようにして丸まる。それを見たカッシュは嘲笑いながら、上げた足をファトストの肩に乗せる。それから、勢いのまま蹴転がす。

「ほれ」

 カッシュは再びしゃがみ込み、仰向けになったファトストに肉を差し出す。ファトストは口を固く閉じて、カッシュの目を見つめ返す。

「まだ心が折れないか。いいね」

 カッシュは楽しそうに笑う。

 ファトストは口に溜まった血を、手で隠しながら近くに吐き出す。

「それは差し上げますので、許してください」

「それには及ばない。すでにこれは、どう考えても俺のものだろ」

「その通りです」

「だろう?」

「はい」

 カッシュは何も言わずに、ファトストを見つめ返す。

「許してください」

 何を考えているのか分からないが、沈黙が恐ろしい。どうせろくなことを考えていないだろう。

 それよりも口の中が痛い。もう、しゃべるのも億劫になってきた。

 先ほど、『まだ心が折れないか』と、言っていたが勘違いしてもらっては困る。心はとっくに挫けている。

 肋骨はたぶん折れているだろうし、踏まれた腹は重く痛い。熱を持った左頬はジンジンと焼けるように痛むし、奥歯は浮いたような感覚だ。そして何よりも、この状況で睨むことしかできない自分が情けない。しかしそれも、恐怖で本気で睨み付けているわけではない。

 勝てる相手ではないのは分かっている。痛みとともに、カッシュが動くたびに体が反応してしまう。相手にはそれがバレバレなのに強がってしまう。

 カッシュに睨まれるたびに、全身が粟立つを感じている。自分が惨めで情けない。悔しい。逃げ出したい。なぜこんなことになってしまったんだと、さっきからずっと思っている。

 ファトストは表情から悟られないように、顔を手で隠す。

「あいつら帰って来ねえな」

 腹が満たされて満足したのか、ファトストとカッシュの遣り取りが滞ったからか、コルビはダットが向かった先に顔を向ける。

「そういやそうだな」

 興味なさそうにラオルフは、食事を続けながら答える。

「おい、飯はもういいのか?」

 少し離れた場所の為、声を大きくしてウマルがカッシュに尋ねる。カッシュは振り返りもせず、左手を振って応える。

「そうかい。それなら残りはダットに残しておくか」

 ウマルは近くにある皮の水筒に口を付ける。

「お楽しみのところ悪いが、今後、どうなるか分からないから早めに済ませろよ」

 リックが不機嫌そうに言い放つ。

「だそうだ」

 カッシュはそう言いながら串を投げ捨て、腰に携えている剣の握りに手を掛ける。

 革の鞘から光る剣身がのぞくと、ファトストの全身に悪寒が走る。

「……さい」

 蚊の鳴くようなファトストの声に、カッシュの手が止まる。ニヤリと笑ってから、カッシュは耳をファトストに向ける。

「……いで下さい」

「何だって?」

「殺さないで下さい」

「あぁ?」

「殺さないで下さい!」

 楽しそうに、カッシュの眉がぴくりと動く。

「それが人にものを頼む態度か?」

「お願いします。死にたくありません。助けて下さい!」

 なぜだろう、涙が滲んでくる。それなのに心は冷たい。

「それだよ、それ」

 カッシュは声を出して笑う。「だが残念だ。それはできない。お前は俺たちの秘密を知ってしまったからな」

 カッシュはファトストの髪を掴む。

「でも死にたくないよな?」

 ファトストは髪を掴まれたまま、首を小さく縦に振る。

「そうだよな」

 人が変わったように、カッシュは優しく微笑む。「心配するな、初めから殺そうとはしていない。その代わりに、目と指と舌は諦めろ。俺たちの情報を漏らさせないためには、しょうがないことだ」

「誰にも言いません」

「それを信じられると思うか?」

「信じてください」

 必死に訴えるファトストに、カッシュは小さく首を振る。

「俺ならそんな約束を守らない。命を取らないのは、肉を食べさせてくれたお礼だ。どれからがいい。目か? 指か?」

 カッシュが尋ねる。「舌は肉を味わうために最後まで取っておいてやる」

 今度はファトストが首を振る。

「そんな顔をするな、生きていれば良いことはある」

 優しく微笑むと、カッシュはファトストの頭を地面に叩きつける。

 その衝撃で意識が飛びそうになるのを、ファトストは必死に堪える。

 もう考えるのが面倒だ。こうなったらバレてもかまわない。

「なんだその顔?」

 なんだと言われても困る。こんな状況なのに、いや、こんな状況だからなのかこんな顔になってしまう。

「何が面白いんだ?」

 面白い? 幼い頃からこんなことをしてきたから、そうなのかもしれない。

「頭がおかしくなったのか?」

 おかしい? そんなことはない。お前と出会ってから、常に頭は冴え渡っている。

「おい、小僧。答えろ」

 答えろ? 答えられるわけがない。さっきから顔がニヤけてしまう理由など、自分でも理解できていないのだから。

 ファトストは口の中に溜まった血を、カッシュに見せつけるように吐き出す。

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