世の流れ 12 囮とその代償
近くの谷間から山笛の音が聞こえる。
「また見つけたか」
賊の討伐で分隊を率いていたデカルトが谷の方に顔を向けて言うと、「そうみたいですね」と、その近くで腰を下ろしている隊員が同じ方向に顔を向けて言葉を返す。
「これで何度目だ?」
「六度目です」
首を傾げた隊員に代わりファトストが答える。
「そうか、すまないな」
「いえいえ」
そう言いながらファトストは、肉に木の枝を削った棒を刺す。
「美味そうだな」
「ええ、美味いですよ。この時期のノコは繁殖期に向けて脂肪を蓄え始めます。他の鹿と同様に小さい頃の肉はそうでもないですが、角がしっかりとした大人の雄になると独特の臭みが出てくるので好き嫌いは分かれますが、味は保証します。ひとつ、そのまま焼きますので食べてみます?」
「遠慮しておく」
デカルトは笑う。「他の人たちが働いているのに、俺らだけ先に飯を食うわけにはいかんだろ」
「その方が良いと思います」
臭みを取るための野草を肉に擦り込みながら、ファトストは肉を火にかける。横には焼き上がった肉が積み重ねられている。
「随分と手際がいいが、慣れているのか?」
「幼い頃から狩りをしているので慣れているといえば慣れていますが、普段ならこんなことはしません」
「手持ち無沙汰からか?」
「そうですね、少しでも皆様のお役に立ちたいですからね。それよりもデカルト様は眠くはないのですか?」
手についた野草の汁を汲んである水で洗いながら、ファトストは尋ねる。
「夜警には慣れているから、どうってことはない。それにこうして料理番として休ませてもらってもいるから、不満など口にはできないな」
「エジート様と一緒に、敵を討ちに行きたいとは思わないのですか?」
「俺もそうだが、当然のこととして皆がそう思うだろうな。だがこれも訓練のひとつだと思っている」
そう言った後にデカルトは、何を部外者に言っているんだ、と少し照れくさそうに笑う。
誰かさんに聞かせてやりたい言葉だ。
ファトストがそう思っていると、今度は山笛が二度鳴る。
「もう終えたか」
デカルトは再び、谷へと顔を向ける。
「ファトストといったか?」
そのままの姿勢で、デカルトは尋ねる。
「はい。名前を覚えていただきありがとうございます」
「気にするな。それよりもお前は、この地に賊が潜んでいると地図だけで読み解いたらしいが、本当か?」
「地図だけでということではないですが、そうなります。ですが、軍の関係者の人もそれに気が付いていたと聞いて、さすがだなと思いました。しかもです。賊が差し向けた偵察に気付かれず、後を追ったのですよね。リュートと共に、鼻息を荒くした自分が恥ずかしくなりました」
ファトストは自分用に焼いた肉の切れ端をひとつ摘み、口に入れる。
「地図だけでそれに気が付いた人はほぼいないはずだ」
「たまたま別の用事で湧水の存在を知っただけです。何も知らなければ、別の考えを抱いていたかもしれません」
「謙遜での言葉だろうが、それを知っていたとしても俺には考えもつかないことだ。その頭が俺にあれば、すでに軍へ入れていただろうな。悔しいが認めてやる」
デカルトはファトストに顔を向ける。「リュートと違って軍には興味がないのだろ?」
「自分でもわかりません。興味があるかと問われればありますが、それ以上に死にたくありません。怪我をするのも嫌です。だからといって何かしたいことがあるわけでもなく、こうやって誰かに言われたことをお手伝いしているだけです」
顔の上を流れるように吹き出した汗を、ファトストは腕で拭う。それからデカルトに顔を向けて、首を傾げる。
「お前にも色々とあるんだな」
デカルトは微笑んで頷く。
「でもこの状況を楽しんでもいます」
「不思議なやつだ。こうしてお前の言う通りになるんだからな」
デカルトは鼻で笑ってから、鋭い目付きで現れた男たちに目を向ける。
「もう少しで肉が焼けるから、待って欲しかったですけどね」
ファトストは串状になった肉を手に取り、焼け具合を確かめる。
「奴らはそのつもりがないみたいだぞ」
「そのようです。お願いしてよろしいですか?」
「ここからは俺たちの領域だ。任せておけ」
デカルトは剣を手に取る。
「ここで賊を迎え撃つ。肉の匂いに誘われて現れた、哀れな腹減らし共だ。負けるわけにはいかんぞ!」
隊を供にする者たちにデカルトは声を掛ける。
「はっ!」
デカルトは隊を二つに分け、一つを前に出して賊へと向かう。
敵は六人、こっちは十人。数が少ないのに出てきたとなれば、他にも潜んでいることが考えられる。余力を残すあたり、デカルトは隊を率いるのに慣れているように思える。
ファトストは思わず持っていた串を手から離す。
「やっちまった」
言い終わる前に脇腹に衝撃が走る。
本気でやらかしちまったな、心の中でそう呟き、横に置いてあった桶を巻き込みながら倒れゆく中、体を捻って背後に目を遣る。
コイツが俺のことを蹴りやがったヤツか。
ファトストの目には、顎を少し上げながら自分のことを見下している男の姿が映る。
ああ、これはダメなやつだ。
脇腹に走る衝撃よりもさらに強い、身の危険を知らせる恐怖が全身を駆け巡る。
剣を抜いていなかったから感じなかった、などの生易しいものではない。賊とは明らかに違うよく訓練された動きにより、男の存在に全く気が付かなかった。とにかく逃げろ、突如として発せられた武のにおいに本能がそう叫ぶ。
ファトストは飛ばされたまま、転がるようにその場から離れる。
「うぁあ」
ここにきて、一気に襲ってきた体の痛みに、ファトストは脇腹を押さえながら言葉にならない声を漏らす。
異常を察知したデカルトが、ファトストに顔を向ける。それと同時に、「止まれ!」と、隊員に声を掛ける。
その様子をファトストは、もがきながらも目で捉える。良い判断だ、なぜだかこの言葉が頭の中に浮かんだ。
自分自身が窮地に立たされているというのに、自然と目はデカルトたちに向けられる。意識が飛びそうなほどの痛みを感じているが、不思議と頭は冴え渡っていく。なぜだか、生きているのを感じる。いや、生きたいと必死に頭が考えている。
別の自分がいる、ファトストはそれを感じるとともに、この場から逃げなければ、との言葉が頭に浮かぶ。そのためには、まずは自分の状態を確認する必要がある。
腕を上げると胸に痛みが走る。折れているかは分からないが、骨にひびは入っているだろう。嫌な汗が額に滲み始めた。足には異常がないが、痛みで直ぐには走って逃げられない。座っていたために、衝撃を逃せなかったのが悔やまれる。
いや、そんなことはどうでもいい。
今、考えるべきことはどうやってこの場から逃げるかだ。
擲り書きのような考えが、ファトストの頭の中に次々と浮かんでいく。




