障害の特徴や困りごとの参考となれば
【20240118】
自分は高次脳機能障害者です。
2019年12月26日に脳挫傷を発症し、その後遺症でこの障害を患い、精神障害者福祉手帳3級を持っております。
特段皆様に自慢するような逸話は有りませんが、自分の思いをお伝えすることで同病の方やそのご家族にほんの少しでも参考になればと思い、本稿を綴ることにしました。
今回は初校なので発症に至る経緯をご説明します。
冒頭に記したように、2019年末に脳挫傷を発症しました。原因は全く不明。当日は勤務先の仕事納めで社内で飲酒
・部内で缶ビール一缶程度
・会社幹部の部屋であいさつがてら振る舞い酒をいただく。飲酒量不明
・20時ころ退出し社外で2次?3次回。酒量不明
同席者の話では自分は泥酔状態には見えなかった、足元もしっかりしていたらしい。
で帰宅、おぼろげな記憶で自宅玄関前の階段で頭部から出血しており、入室後シャワーを浴びて就寝
次に気が付いたのは2020年1月2日病院ベット。
後で妻から聞いた話では帰宅した翌朝、自分が朝食にも起きてこないので様子を見に来たら泡吹いて顔が紫色、呼吸している様子無し。救急車手配家の近くの総合病院に入院心臓マッサージなどして呼吸は回復したが
年内は麻酔で眠り続けた。年明けに主治医判断で麻酔終了し、意識が戻ったのが2020年1月2日ごろ
就職して家を出ていた長男が横におり、足をさすってくれ、それが実に気持ち良かった。「回復したらおいしい物でも食べに行こう」と言ってくれたが、いまだに言っていない。親父に愛想つかしたのか、以来ラインも既読にならなくなった。会社上司が何度も見舞いに来てくれたが、彼らは「復帰は早くて3か月か1年後かも」と思った様子。しかし意識が戻って1週間ほどで病院内歩行が許可され、妻の励ましを受けて頑張ったところ1/25に退院。2月初旬には出社許可が下りた。主治医は名医であったと感謝しています。しかし。出社したものの従来担当していた開発業務には戻れず、部長サポートとして部内の損益管理や若手の相談相手担当となった。所属会社は入院の4年ほど前にほかの会社と合併して再出発したばかりだったので、損益管理なども従来と大きくやり方が変わっていたので、自分のような課長クラス1名を充てて対処するくらい作業があったのが幸い?でした。それで2年ほど継続して担当していましたが、さすがにその間に損益管理も独特のものではなく、通常のルーチンワークになっており、課長を1名充てるものではなくなりました。そこで部長が考えたのは部内の各業務の進み具合を把握しヘルプが必要なものを見極め部内に情報提供する管理業務でした。それを1年担当しいよいよ来年度で定年という時期に、自分の所属は部長付きではなく、1グループに異動されました。
部長の考えは、定年後も延長雇用で残れるようにそのグループで役に立つスキルを身に着けさせることであったと思います。自分もわかってはいました。グループリーダも自分に対するミッションは十分できる範囲、かつできなくてもリーダが始動できるもので提示してくれました。しかし、ここから運命の歯車は狂い始めたのです。毎日リーダに状況報告し、その後の進め方を的確に指示いただいて、誰が見てもうまくいきそうな進め方でやらせてもらっていましたが、後遺症の影響か?作成しているツールがうまく動作しない。ひどいときはアップデートした最新データが保存されていないことがあり、自分は高給取りのお荷物であることが大きなストレスと感じました。妻に相談し延長雇用は辞退することで了解をもらいましたが、自分のストレスはさらに高まり、12月の定年まで在職することに耐えられなく感じて、上司に9月での退職を相談しました。しかし、優しい部長は「自己都合の定年前退職が多くて困っている。なんとか12月まで頑張ってほしい」と言われ、結局2022年12月定年退職しました。障害者手帳は11月末に申請し。概ね2か月で受け取れるとのことでしたが結局もらえたのは3月に入ってから。次回はその間に健常者として就業した顛末を記載予定です