4
木田悠馬の学生手帳に書かれてあった住所に着くと、3階建て築30年程のアパートであった。外壁は薄い青が少し風化し始めている。建物前にある駐車場には車が4台停められていた。
生徒手帳に記載された住所の部屋に備え付けられたインターホンを鳴らすと、バタバタと物を蹴飛ばすような音が聞こえ、ドアがおもっきり開け放たれた。松本は咄嗟に避けると60代前後の白髪混ざりの女性が慌てた様子で部屋の中から飛び出し、松本の両肩を掴んだ。
「夫は! 夫は見つかりましたか?」
「お、奥さん。落ち着いて」
突如として襲われたような格好となった松本は肩を掴んでいる手をそっと外し、落ち着くように促した。
「お、夫は見つかりました?」
「夫ですか?」
松本にはその言葉の意味がわからなかった。
「はい、昨日から行方不明で、今朝。警察に行っても……家出だろうと話を聞いてくれなくて、私、私……」
松本が掴んでいた手がするりと抜け、木田の妻は腰が抜けたように崩れ落ちた。
「い、一回、室内で落ち着きましょう」
松本は木田の妻の了解を取り、両肩を支えながら室内へ入って行った。
室内はきちんと整理されているが椅子が二つ、床に倒れている。それ以外は不自然な点はなくここ最近家具の位置を変えたのか壁紙が日焼けの跡が見られる程度であった。
木田夫妻がここに住んで長いことが窺い知れものである、棚の上には木田と思われる人物と妻の間に挟まれ、笑顔を浮かべる10歳前後の子供の家族写真がその子が作ったと思われる紙粘土に貝殻が付けられたお手製の写真立てに大事に飾られている。
どうにか落ち着き始めた木田の妻は「木田優里」と名乗りったら
「お、夫は見つかりましたか?」
どうにか落ち着き始めた木田の妻優里は声を震わせた。
松本は目を閉じてゆっくりと自分を落ち着かせるように息を吐いた。
「木田健人さんは、今朝、遺体で見つかりました」
「え……………」
優里は言葉を失った。「嘘……嘘でしょ。」と視線を泳がせるながら呟いた。
「………」
「先輩?」
「何も言うな」
優里に聞こえない程度の声量と視線で木下を制した。
その後、松本は残酷と分かっていながらも、優里に全てを伝えた。
「奥さん、旦那さんは大江商店街の裏路地で遺体で発見されました。鑑識の鑑定によると後頭部を鈍器で殴られ、即死状態でした。」
優里は大粒の涙と泣き声で松本の話など耳に入っていない、だが松本は言葉を止めない。次は鑑識から借りてきた木田健人の遺体のそばに落ちていた木田悠馬の学生手帳を滑らすように優里の視線の先に置いたが。涙で霞んで見えていないのだろう。置かれたことに気づいてない。
「現場に、これが落ちてました」
松本とそう言うと優里はゆっくりと視線を上げ、松本が出した生徒手帳を手に取った。
「ゆ、悠馬の学生手帳……?」
「旦那さんの遺体のそばに落ちてました」
「む、息子が夫を……」
優里は一瞬だが視線を上げたが、すぐに俯いてしまった。
学生手帳には優里の涙が溢れ落ち、シミを作る。
「それはまだわかりません。現状では遺体の近くに落ちていただけです」
「そ……そう」
「お辛い気持ちはわかります……今現在息子さんはこちらにご在宅で?」
優しく問いかけた松本の言葉に優里は首を横にゆっくりと振り「一年ほど前に勝手に家を借りて……その後はうちには帰ってきてません」とボソボソと呟いた。
「では、どちらにお住まいで」
「わかりません、電話には出るのですが、頑なに住所は教えてくれなくて……」
「わかりました。では奥さん、一度旦那様と面会しますか?」
追い打ちをかけるような言葉に優里はやっとの思いで止めた涙が再度溢れてきた。松本のその言動を木下の問い詰めるような視線が飛ぶ。
「先輩!」
声を荒あげようとする木下の肩を掴み無理やり座らせた。
「黙ってろ。旦那さんが殺されたのは紛れもない事実だ、隠しておいてなんの意味がある? 隠しておいて……誰が喜ぶ」
松本は何かを押し込めるように言葉を投げかける。それに対して木下は「だけど今言う必要は……」と言うが、木下自身隠しておいても意味のないことだとわかっているが、何かよくわからない意識が働きその言葉を松本に押し付けていた。
押し付けられた松本は怒らず、なら他にどんな手段があるんだと言った。
「ならいつ、言えばいいんだ? 明日か? 明後日か? 明々後日か?」
「…………」
いつもより切れ味鋭い松本の一言で木下は黙り込む。
「奥さん、どうしますか? 面会を希望されるのであれば、私が署の方に連絡して車を回してもらいます、もちろん来るまで私たちはここにいます」
「………お、お願いします」
風が吹けばその声が聞こえないほどにか細い弱々しい声が松本の耳に届いた。
「わかりました」
松本はすぐに携帯を取り出し電話をかけた。
その後木田健人の妻優里とは他愛もない話をしながら有利な心を落ち着かせていた。
松本が呼んだ本部の車に木田優里が乗り込み、走り出したの、少し頭を下げ見送った2人は、乗ってきた車に乗り込んだ。
「次は木田悠馬が通ってる大学に行くぞ。住所はーー」
木田悠馬の生徒手帳に記載された大滝大学の住所をカーナビに打ち込み、木下は車を発進させた。
5
大滝大学に着いた松本たちは、大学の事務所の受付で記帳し、事務員の案内のもと生徒課事務室で人を待っていた。
「お待たせして申し訳ありません」
事務室に入って10分ほどすると、ドアがノックされ、書類を抱えた男が入っていき「生徒課部長の安田翔真です」と名乗った。
「大丈夫です」
「そう言ってもらえるとありがたい、そういえば名前しか言っていませんでしたね、私、生徒課の安田翔真と言います、一応、木田悠馬の担任を務めています」
首元に下げた名札を見せながら安田は言った。
「大学に担任制ですか、珍しいですね」
「ええ。珍しいですね、普通は大学生になると担任制など存在する方が珍しいですが我が校では生徒との関係を重視しておりまして、一応、生徒は担任教師の電話番号を知っているのです」
最後の一言を聞いた松本は追求のオーラを放つ。
「電話番号知ってるのですか……」
変な空気になったのを肌で感じた安田は少し早口で話し出した。
「いえいえ、教師の電話番号と言っても学校から貸し出している校内専用電話です、ついでに言うと教師は生徒の番号は知りません、緊急性があると判断されれば、然るべき手順を踏んだ上で生徒の電話番号はわかりますが」
と、生徒とはそんな関係ではないと安田は否定した。松本もそれ以上追求する気はないのかオーラが消えた。
「まぁ、私どもにはあまり関係ないことですね」
「あはは、そうですね」
安田は乾いた笑い声が無意識に出ていた。
「では本題なんですけど、今の木田悠馬の住所などはわかりますか?」
「生徒個人の住所ですか……」
松本の質問に安田は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた、やはり生徒個人の住所をたとえ警察官だろうと教えてもらうことは今の世の中かなり厳しくなっている。
だが警察としてもはいそうですかと言って食い下がるわけには行かない。警察も日々進化している。良い方にも悪い方にも。
「ええ、そうなんですよ、木田悠馬の母親がですね、行方不明者届けを提出されまして」
「行方不明者届けですか? 木田悠馬の?」
「ええ、その話を聞いていたら、この学校にも電話をしたそうなんです。けど、『たとえ生徒の保護者だろうと生徒個人の住所を教えることはできない』と言われ、断られてしまったようで」
「左様ですか……ありえないことはないですね」
松本の隣で座っている、木下は良くそんな嘘が簡単に出てくると顔には出していないが感心している様子だ、そう言った松本の悪いところに影響を受けないで欲しい。
「でどうしようもなくなって、行方不明者届けを我々の方へ提出されて、そして私たちが今、捜査いえ、捜索と言った方がこの場合適切ですね、まあ、捜索をしているところです」
行方不明者届けという明確な言葉を聞いた安田は教師である立場と自身の生徒が行方不明という複雑な心境に挟まれる。
「本来はそう言うのは教えてはいけないと言う決まりですが、そこまで事が至っているのであれば例外です、今回は特別にお教えします」
「無理言って申し訳ありません」
松本が頭を下げると続いて木下も頭を下げた。
「いえ、うちの生徒が行方不明だと噂が広まっては大変ですので」
安田は少し低いトーンで「少し関係はありませんがそれで廃校になった私立の大学などもありますし」と付け加えた。
「廃校、ですか」
「ええ、登山サークル活動で山に向かったが6人遭難して、その後遺体で発見されて」
5年前、弾丸登山をしていた大学生グループ男女6人が遺体で発見された事故。そのせいで全国の大学の登山サークルが活動休止となった大きな事故である。今はもう解除されているが。
「ありましたね、剣崎山での大学生グループ6人行方不明事故。原因は弾丸登山をしたことと、途中で未成年飲酒もあったことでそれに加えて服装も防寒具などではなく半袖半ズボンで登り、衛星電話も持っていかず、そのせいで連絡も取れず遺体が発見されたのは翌年の山開きした後でしたね」
松本は見てきたような言い方で言ったところ、木下の視線を感じ「実際見てきたからな、応援で呼ばれて、私も遺体を確認しましたが、まるで氷漬けのように綺麗な保存状態でしたね。」と、そう、少し早口で付け加えた。
「飲酒で登山ですか……若気の至りで死亡、なんと言っていいのか」
「ええ、その後、事件を受けてなのかわかりませんが生徒数の減少が顕著となり、廃校に追い込まれたと言うわけです」
木下が漏らした一言に安田は頷き、その後聞いた話をポツリも溢した。
「自主活動で廃校に追い込まれましたか……」
「自主活動でも、世間から見れば責任は学校にありますので」
生徒たちの暴走は学校の責任「たとえ校外で起きようと、止めれなかった学校の責任になるのです、そのおかげでうちも全サークルに年間の予定を提出させないといけなくなりまして、余計な仕事が増えましたよ」