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 時刻は夜10時を過ぎた


 帰宅ラッシュのピークは終わり、飲み客がまだ街へ出てこない静かな時間。


 この暑い夏、残業終わりで気温はいまだに30度を超えている。昼間鳴くはずのセミたちは日中は音を潜め、夜が深まって大歌唱を始める。たださえ、都会はコンクリートジャングルである。つまり熱が籠る、だがしがないサラリーマンはきっちりとスーツを身につける、先ほどから3人4人とすれ違ったが皆上着を着ていた。仕事も終わり、縛られる物もないと思うが……ある種の日本人の習性とでも言うべき行動なのかも知れない。


 類に違わず漏れず夜道を歩く彼、木田もスーツを着込んでいた1人であった。大学を出て、新卒で食品配達業の会社に入社し早40年。若い頃はふさふさと下がっていた頭頂部は禿げ上がり、増毛のCMが気になり始めてきた。今では総務部長と言う役職を得て妻子も持ち、順風満帆な生活とまではいかないが、生活には困らない程度には収入を得ている。だが、長男の大学進学資金が足りず必死に費用を捻出しようと今日も遅くまで会社に残る生活を送っている。



 仕事もなくやる事もなくただ単にパソコンとトイレを行き来するような残業も毎日続ければ、疲れが溜まる。


 今日はいつもより早く仕事を終え、帰宅の途に着くことにした。会社から歩いて約16分のところにある駅へ向かう木田の目には夜空に輝く満月が映る。


 無意識に立ち止まり、喉の奥から勝手にため息が出てきた。


「………あそこにはウサギがあるんだっけな?」


 2035年の隕石衝突でウサギが餅つきをしている影がなくなった月を見て呟いた。


 それが木田健人の最後の言葉であった。



 ーーーーー



 翌朝、通行人からの通報で現場に駆けつけてきた

 警視庁 捜査一課 松本隆とその部下木下亨は道路脇に投げ捨てられるように遺棄されたような形で発見された木田の遺体に手を合わせていた。


「被害者はそこの恩田フードサービスの総務部長、まぁ、名前だけの総務部長って感じだな、」


 木田のバックの中に入っていた、社員証を見ながら松本は言った、それに合わせるようにバックの中身を確認していた木下が指摘する。


「携帯と財布? はちょっとわかりませんね、今はもうキャッシュレスの時代ですからね、財布を持ち歩く人なんてほとんどいなくなりましたから、財布については保留で。しかし携帯は盗まれてました」


 遺体で発見された木田健人のビジネスバックの中身を調べていた木下がそう言ってビニール手袋を外した。

 先日のどこかのテレビ局でキャッシュレスの割合が90%を超えたと言う調査結果が出ていた。そして政府はそのことは受け、本格的に紙幣と硬貨の発行を停止することを検討し始めたと言うニュースが流れていた。


「怨恨の線は薄そうだな、特に恨まれるような経歴はなし、だな、新卒で入社して一筋って感じか、」

「松本さん、今もうそう言う時代は終わりましたよ、転職転職the転職の時代ですよ、より賃金が高い方へ、より休みが多い方がへ、より福利厚生がいい方へ、労働基準法守らないようなところは警察が捜査する前に潰れる時代ですから」


 完全な想像でものを言う松本に木下は釘を刺した。

 釘を刺された松本は『今の若者はすぐ上司に楯つく』と少し腹がたったが『俺の考え方はもう古いんだな』となぜか納得できた。


「わかった。木下から見てこの被害者に何があった?」

「えっ?」


 まさに寝耳に水と言ったところである。上司にも物を言うのは得意だが、いざ自分に質問が飛ぶと答えられない、今時も若者らしい反応であった。


「後ろからバーンと何かで殴られて……1発? で、怨恨の線は薄くて、通り魔的犯行であって、その、あの……」


 急に質問を飛ばされた木下はうつ伏せに倒れた遺体の後頭部の傷を見ながら考えているが無意識にどんどん言葉が弱くなる。だがかなり良いところを突いているのか、松本はおお、と木下に聞こえない程度に呟いた。


「いい所ついたぞ、確定するのはまだ、早いが、通り魔的犯行、または金、金目の物を持っている者狙った犯行と見て間違いない。この不景気のおかげで職にあぶれてる奴らも結構多いからな」


 平成の時代失われた30年とよくいわれたがその30年は今も続き、子どもたちが学ぶ教科書にも同様の記載がされている。


 大学生の就職率は80%台に低下し、就職難民と呼ばれる世代が生まれ、その多くは低賃金バイトをしている、また、そのバイト戦争にも敗れた一部の者たちは闇バイトと銘打たれた犯罪行為に手を染めている。


 ネット上で『一日3万円 バイト募集 捕まるリクスなし 即金手渡し』と言うDMが送られてきて、金がない人はすぐに犯罪とわかっていても応募し、犯罪の片棒を担う。

 捕まるたびにそう言う末端の奴に金を払う幹部連中は居ないと何度も言っているが闇バイトに手を染める者は性別年代問わず少なからず存在している。

 時々、幹部連中も捕まるがすぐに同じような連中は湧いて出てくる。

 こんな事で前科が付いたらそれこそバイト探しも就職も更に困難になると思うがそれでも闇バイトに手を染める者は後を経たない。


 教育の現場でも注意喚起はしているが……効果は薄い。

 警察としても捕まえようと努力はしているが、捕まるのは末端ばかりであり手をこまねいているのが現状である。

 松本の考えは、この事件、闇バイトが関連してるのではと睨んでいるがまだ情報が少ない。



「松本! ちょっといいか?」


 背後から声をかけられ松本が振り返るとそこにはヘアカップとビニール手袋を着用しマスクまで付けた完全防備の鑑識課篠田哲平が小走りで走ってきた。


「おっなんだ、木下も一緒か」


 松本の隣に立っていた木下に気づくと、篠田は意外そうな表情を浮かべた。


「どうだ? 松本のところは?居心地良いか?」


 篠田はそこまで言うと松本から木下を切り離し少し離れた松本にわざわざ少し聞こえる程度の声量で聞いた。


「松本はな、あの厳ついフェイスで人を怖がらせるのが得意だかな、裏じゃケーキ好きなんだ、だからよ、万が一松本を怒らせたらケーキでも買ってやれ、だな一つ忘れるな市販品はダメだケーキ屋のケーキ以外は受け付けないから注意しとけ」


 松本の方をチラチラと見ながら篠田に色々と説明しているとそれをじっと見ていた松本の冷たい声が聞こえてきた。


「篠田さん、要らないことをうちの部下に教えないでください。」


 陰口するなら裏でしろと言うニュアンスがその声には乗っていた。

 松本は小声でブンブン跳び回る蚊が一番うるさいんだと付け加えた。


「無駄口はこのぐらいにして」

「誰が始めたんですかね?」


 松本の小言を無視して篠田は今の所の所見を伝える。


「暫定にしか過ぎないが、いま遺体を見た感じ死因は後頭部の傷で間違いない、鈍器で背後から1発だな。詳しい死因は解剖しないとわからないがまぁ概ね間違いない。」


 ここまで言った篠田は今までのフランクな口調が嘘のような声を真剣な口調で話し出した。


「これ、見てくれ」


 篠田が手に持っていた小さめのアタッシュケースの中に入っていた20センチ四方程度のポリ袋に入った赤茶色の手帳みたいな物を取り出した。


 その手帳の真ん中少し上には何かの校章のような金属製のバッチが付いてその下には大滝大学と印字されている。


 篠田は先ほどまでつけていたビニール手袋を新品に変え、松本たちにも同じ手袋を渡した。そして中に入っていた生徒手帳を取り出す。


「これがどうした?」


 手袋を付け、手帳の外側を見ていた松本が質問すると篠田は「被害者の遺体の前方2mのところに落ちてた」と答え、松本に手帳の中を見るように促した。


 促された通り、手帳の中を見た松本はそこに書かれていた名前に、思わず声が出る。


「嘘だろ……」

「先輩?」


 木下が居る位置からは見えなかったのか木下が問いかけると、松本は無言で木下がその手帳が見える位置に向けると、木下も目を見開いた。


「先輩……ッ! これって」


 その生徒手帳に書かれていた名前は『木田悠馬』であった。


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