忘年会 【最終回】
フリー編
お客様向けの試験を無事に終えることができた。
いくつものトラブルを乗り越え、やっとのことで納品の目処が立ったのだ。
【忘年会】
赤井:「いやぁ、まさか忘年会ができるとは思わなかったよね。酒がうまいよ。」
小森:「ホントですよ。あのまま赤井さんが中心になって仕様をまとめてたら、こんなうまくいかなかったですよ。」
赤井:「なに!?」
角川:「小森さん!」
試験の後、林田さん、山崎さんが、お客様へ結果を提出し最終的なオッケーをもらっていた。
それが、先週の金曜日。
そして週明けから3日間、最終的な納品資料をまとめ今日水曜日に納品をすませることができた。
明日が今年の最終出社日となる。
そんな中、納品のお祝い会を兼ねた忘年会をやろうということで、プロジェクトのメンバーが全員集まっていたのだった。
プロジェクトの皆が集まる飲み会は初めてだった。
歓迎会もなければ、送迎会もない。
誰かわからない人がやってきて、知らないうちにいなくなる。
最初は個人事業主が集まるプロジェクトなんてそんなものかな?とか思っていたけど、単にハードなプロジェクトだっただけだった。
こうやって、年内にみんなで集まって、忘年会ができるなんて夢のようなことであった。
まぁ、最初に部屋に入ったときに見た顔は、結構いなくなったけど。。。
【チーム】
大川:「薩田さんは、1月はまだプロジェクトにいるんだっけ?」
薩田:「うん、そうだね。1月はまだいるよ!」
私:『あ、そうなんだ。そう言えば、町田さんは?どうなるの?』
町田さん、井川さんの人員管理プロジェクトは、先週、無事に納品が終わっていた。
薩田:「うん。町田さんと井川さんは今月・・・、明日で終わりみたいだよ。」
大川:「やっぱりそうなんだね。」
薩田:「いちおう、町田さんはT社の契約だから立花さんと一緒に仕事をするんじゃないかな?」
私:『そうなんだね。残念だな。あとで、町田さんにも挨拶しなきゃな。』
大川:「まぁ、今年は大変だったけどI社チーム3人体制だから協力しながら頑張ろうぜ!」
2ヶ月半前に1人でやってきたこのプロジェクトで、来月からは3人チームで動くことになりそうだった。
心強い仲間を得た気がした。
転職活動中に、前職の先輩から紹介されたきっかけで、急に個人事業主になった。
だから、業務請負だと思って、文房具からなにから自分で揃えて、持ち込んでいたんだけど・・・。
みんな普通にF社やT社が用意したものを使っていて、請負ってこんなんでいいんだっけ?と読み漁った本の内容とのギャップに戸惑いながらも進んできた。
そんな中で色々教えてくれたのが大川さんだった。
年齢も近いし、同じ個人事業主ということで気もあった。
同じI社の契約社員だけど、いつまで一緒に働るかは分からない。
ただ、今は力強い仲間なのは間違いなかった。
【変わりゆく体制】
林田:「お、みんな飲んでるかな?」
大川:「あ、林田さん、お疲れ様です。席にうかがえず、すいみません。」
大川さんが、不意にやってきた林田さんのコップにビールを注いだ。
林田:「いいのいいの、そんなのは。ホントみんなには助けてもらったよ。ありがとう。」
私:『いえ、たまたま、H社の汎用機を知っていただけですから。」
林田:「いやいや、その知ってるが大事なんだよな。」
林田さんの体制に代わってから、プロジェクトの立て直すことができ、今日の納品に辿り着いたのだ。
林田さんはプロジェクトマネージャーとしての責任をしっかりと果たした。
さすが、炎上プロジェクトの火消しPMである。
だから、いつも忙しい炎上プロジェクトにぶち込まれるのだろうけど。。。
林田:「年明けに発表する予定なんだけど。」
私:『え?』
林田:「私は1月一杯で、プロジェクト離れて、他のプロジェクトに行くことになってね。1月は行ったり来たりだと思うけど、2月以降は山崎、石山、田中の3人でプロジェクトを回すことになると思うよ。」
大川:「え?そうなんですか?」
林田:「そうなんだよね。また、忙しいプロジェクトで休む暇もないけど(笑)」
薩田:「大変ですね。やっぱり。」
想定通りというか、仕事ができるだけに、プライベートもほとんどなく、忙しいプロジェクトを任される。
きっと、F社に入社したら、そんな人生を送るのだろうと思った。
山崎さんがまた、プロジェクトマネージャーということで、少し不安も残ったが仕方ない。
【最終出社日】
次の日、飲みすぎて少しだるかったが、今年最後の出社日のため、オフィスへ向かった。
オフィスに着いても、ほとんど人いなかった。
F社の社員はみんな自社に戻った。最終日だから納会があるとかなんとか。
多くの人が、自分の会社に戻っているらしい。
まぁ、最終日だから普通はそうだろう。
私:『おはよう。』
大川:「おはよう。昨日はお疲れ様。」
私:『お疲れ様。今日は人いないね。あんまり。』
大川:「そうなんだよね。みんなもうお休みモードだね。
そういえば、午後、町田さんが来るみたいだよ。」
私:『昨日、挨拶くらいしかできなかったけど・・・』
大川:「片付けに来るんだと思うよ。」
町田さんは今日でプロジェクトを離れるのだった。
午後になると、その町田さんも出社し、奥の方で荷物を片付けていた。
薩田さんが手伝っていた。
大川・私:「町田さん、お疲れ様です。昨日はありがとうございました。」
町田:「お、二人とも。昨日はお疲れだったね。
ぼくは今日が最後だから、片付けだけでね来たよ。」
私:『町田さんがいなくなると寂しいです。』
町田:「二人とも仕事できるからね。頑張ってね。」
大川・私:「はい。ありがとうございます。」
薩田さんが言うには、T社と一緒に引き上げるということ。
自分自身も今日でT社を退社するから、町田さんの荷物と一緒にT社の荷物を運ぶのだと言う。
薩田さんは、1月もプロジェクトには残るので、自分の荷物は置きっぱなしのようだが・・・。
プロジェクトの大変さと比例するかのように、T社の大量の荷物は、T社社長の立花さんの車の中へ運び込まれ、T社へ向かって行った。
町田さんは、いつものひょうひょうとした感じで「またね」と言って出て行った。
引き上げていく、町田さんの後ろ姿は寂しそうだった。
町田さん、T社の引き上げで、ドタバタプロジェクトにひとつの区切りがついた。
年末、寒い空気が寂しさを更に誘った。。。
【次の仕事】
そして少し暖かくなってきて、春を迎えようとしていた。
明日から新しい年度。
そして、私は今日がプロジェクトの最終出社日である。
あの納品から3ヶ月が経とうとしていた。
年が明けて1月に林田さんが去って行った。
赤井さん、薩田さんも同じタイミングで退場となり、いなくなった。
2月の後半に追加機能のリリースがあった。
規模も小さく、難易度も高くなかったからか、大きな問題もなく納品できた。
その2月末のタイミングで、大川さん、香川さん、村井さん、そして、小森リーダーも退場した。
3月に残ったのは、角川さんの会社の人たち・・・抜けていった人たちと交代で、少し人数が増え、ちょっとしたチームになっていた。
そして3月末。
F社の服部さん、川島さん、水原さんも別のプロジェクトへ。
そして、私も退場することとなった。
プロジェクトとしては、JCLを理解している人として残ってほしいとは言われたのだが、I社の飯田専務が、4月からの自社のプロジェクトでプロジェクトマネージャーでやってもらう!なんて言って、半分無理やり退場にこぎつけたのだった。
JCLについては、広田さんに引き継いで問題ない状況になっていたし、一緒に苦労を乗り越えた人たちもほとんどいなくなり、違うプロジェクトになったようだった。
だから、新しいことをチャレンジする、そんな前向きな気持ちも自然に芽生えてきていた。
山崎さんと石山さんに、退場が決まったことを伝えに言ったら、ハンサムな石山さんが笑いながら「裏切り者」って言ってたけど(笑)石山さんはまだまだこのプロジェクトを続けていくことになるだろう。
白い髪に少しずつ黒い髪が増えてきたようにも見える。
個人事業主となって初めて参画したプロジェクト。
営業には騙されるし、プロジェクトは炎上してるし、思い描いていたフリーランスの仕事とは大きく違ったけど、怒涛のような半年間であった。
いろいろな人たちが集まって、一つのプロジェクトを遂行する。
プロジェクトの中心に近いところで関われたのは大きな経験となった。
そして、この後のエンジニア人生の中でも、忘れられないプロジェクトの一つになるのだった。
「ありがとう!」
そして明日からまた新しい人たちと新しい仕事を始める。
完!
※この物語は経験をベースにしたセミフィクションです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
TwitterやFacebookなどのSNSでのシェアも大歓迎です!
みなさん「世間知らずの転職活動」を最後までお読みいただきありがとうございました!
まさかこんなに長く書くことになるとは思わず、最後に一言「あとがき」として書いてみたいと思います。
【書き始め】
この「世間知らずの転職活動」ですが、無印5話、フリー編36話、途中「まとめ」で1記事で、全部で42記事書きました。
この「あとがき」を入れると全43記事になります。
後半は少しもたつきましたが、書き終えることができてよかったです。
スタートの「世間知らずの転職活動 その1」は2020年9月9日に書き始めました。
2020年の夏に10年ぶりの転職活動を始め、自身の過去の経歴を見直してる中で、少し経歴をまとめてみようと思ったのが始まりでした。
書きながら、少しずつ最初の転職のときの騒動や、2000年の個人事業主時代の面白かった仲間たちのことを書いて残しておきたいと思うようになったのです。
ですので、最初は5話くらいで終わる予定だったのですが、私の文章のまとめ方が下手くそなせいか話がまとまらず、こんなに長くなってしまった。
というのが真実であります。
物語はセミフィクションですので、当時、経験したことをベースにデフォルメしつつ、面白く(なってるか?)書いているところもありますので、ご容赦ください。
【ふりかえり】
当時、新卒で入社した会社で汎用機のエンジニアとして3年半COBOLをやっていたのですが、元々はオープン系(当時はそう言ってたな)・WEB系のエンジニアになりたかったので転職をすることになったのですが、技術できな経験がない中で転職が難しし状況に陥ってました。
自分のスキル不足、アピール不足(今もそうですが・・・)などで、辿り着いた先が、物語に書いてあるように、前職の先輩の奥様の紹介で、個人事業主だったのです。
なんとか仕事につけたものの、その現場で思い知らされたのはIT業界の超多重請負構造でした。
元請けから私まで、間に6社。なんと商流の深いこと。
当時、私は本当に世間知らずで、こんな多重請負構造があることも知らなかったですし、報酬が月額30万円というのも、「そんなものか」と訳もわからず受け入れてしまっていました。
無知ってホントに怖いです。
その当時は、まだSESという言葉はなかったような気もしますし、もしかしたら知らなかっただけかもしれませんが、物語の個人事業主からI社に入社してから、SESという名前を耳にし始め、その実態を目の当たりにするのです。
I社もSESがメインの会社としてスタートしてます。
私は物語の次の仕事として、エンドユーザーにソリューション提案し、受託開発のPMをやらさせていたきましたが、私以外のエンジニアは全員、現場にSESで常駐していました。個人事業主、契約社員、社員の全員です。
私は、営業の責任者かつ役員の方と二人でソリューション事業を担当しました。
いわゆる新規事業とでも言うのでしょうか、役員とふたりでお客様のところを周りご提案活動です。
このときにPowerPointで提案書をたくさん書いて、上手くなったのはよかったなと思います。
その後、数年かけて受託開発を少しずつするようになり、そこでもPMを任されたりしましたが、リーマンショックでI社が結構な打撃を受けまして、待機エンジニアの増え過ぎ、働いている者の給与がカットされるなど、いろいろあって私は転職をすることにしたのです。
それが11年前 I社を辞める2009年の年末の出来事です。
翌年の2010年の前半、大不況の中、転職活動をしておりました。
もしかしたら、これも物語になるのかな?とか思ったりして・・・w
次はSESの会社に入社するのは、ヤメようと思っていたのが懐かしいです。
【SESって???】
SESは多重請負構造になりがちです。
しばらく、SESとは縁の遠い仕事をしていたので、少しずつ意識が薄れていましたが、物語を書きながら、そして、Twitterなどを見てると、当時の多重請負構造に対する、エンジニアとしての漠然とした疑問というか怒りというか、そういう感情を思い出してきたのです。
いまの世の中、SESって言葉が流通し過ぎて、いろんな形態でやられている会社もたくさんいるようですが、いちエンジニアとして、多重請負構造の何重もの下の会社から現場に行っていた身からすると、悔しい思いもそれなりにしてきたのも事実です。
SESの会社って、胸をはって言えるような方は、それはそれで良いのだと思います。
ただ、私、個人としてはIT業界として、SESって本当に必要なのか?とは疑問に思っていたりします。
【多重請負構造】
たとえば・・・、ざっくり書いていますので、そうじゃない場合もあるっていうのは理解してますので、ツッコまないでください。
私が過去経験したこと、見てきたことの中のホンの一部の例です。
システムを開発するとき、お客様が「こういうシステム作りたい!」とどこかにお願いしたいと思ったとき、まずは、ある程度有名なSIerなどに、見積もりを依頼し、発注することになるでしょう。
すると、その有名SIerの子会社が下請けとなり開発を進めることになります。
その子会社は関連会社、協力会社からそのプロジェクトで必要なスキルがあるエンジニアを募集します。
「JavaができてDBはOracleで、フレームワークはこれ。場所は大手町で、月60万円のエンジニア募集です!」
みたいな感じで、プロジェクトに必要なスキルを協力会社の営業たちにメールで提示するわけです。
そして、それを受けとった関連会社、協力会社は、そのスキルセットにマッチする、いや、かすったスキルを持つエンジニアを提案するのです。
そして、スキルシートのやりとりがあり、スキルがマッチしていたら面談です。
面談も技術が分かる方が来てくれれば良いのですが・・・。
そうでない営業の方やPMの方がエンジニアの面接にいらっしゃると、スキルシートに書いてある文字が、案件の必須スキルとあっていれば、あとは人柄で参画が決まってしまうことも・・・なくはありませんw
プロジェクト参画して、仕事がちゃんとできれば良いのですが、そうでないことも多いので、物語のような炎上も起こりやすくなっているのだと思います。
多くの方は、ちゃんとスキルのチェックをしてるとは思いますが・・・。
また、物語の私のように、そのエンジニアは協力会社の3つ下の協力会社と契約している(してなかったですが)個人事業主のエンジニアだったりします。
お客様に1人月100万円と見積もったエンジニアが、実際には月30万円をもらっている個人事業主という状態ができてしまいます。
お客様は100万円払っているので、100万円の価値を求める。
エンジニアは30万円もらってるので、30万円の価値を提供する。
そんな70万円のギャップはどこに行くのでしょうか?
とはいえ、エンジニアは30万円しかもらってないから、これくらいしか働かない、という意識さえ働きもしない場合が多いと思いますので、言ってみれば市場で30万円のエンジニアが100万円もらえる仕事をしている状態、と言った方が良いのかもしれません。
【間の会社?】
さらに、プロジェクトを推進する会社と、エンジニアの所属する会社の、間にいる会社は、そのエンジニアがプロジェクトに参画し続ける限り、人月の5〜数十%などを収益として手に入れることになる。
エンジニアがプロジェクトが忙しくて残業したのならば、その残業代もプラスされた状態で、間の会社にお金が入っていく。
間の会社の人には、プロジェクトを推進する会社の人も、エンジニアが所属する会社の人も、誰一人、会ったことがないということも、当たり前にあるのです。
そう、誰だやっているか分からない会社にチャリンチャリンしていく・・・
そんなことは普通にあるのがSESですし、エンジニアは少なくともそれは分かっていた方が良いのだと思います。私は無知だったんです。
案件紹介してるじゃん!その費用でしょ?って言いたいのも分からなくないです。
仕事の紹介ではありますので、費用が発生するのは否定しません。
でも、最初に紹介手数料5万円!とか言って、渡して終わりじゃダメなんですかね?
これは人材紹介業になるからまた違う業種になる、ということでしょうか?
エンジニアの働いた時間に比例して、働いている期間、ずっと、マージンをとる意味ってなんなんでしょうか?
物語の舞台である2000年
10年前I社を辞めた2010年
そして昨年の2020年
なぜか、10年ごとに転職活動をしている・・・。
今回、2020年の夏に転職エージェントにお会いして話をしていたら、「SES業界もホワイトになって、昔みたいに残業も多くなく、所属会社もエンジニアのスキルアップに取り組んでる会社が多いです。」なんて言われました。
エンジニアの価値がしっかりと認められた、対価をもらって働けてるのでしょうか?
SESで働くことに対して、エンジニアももっと意識しなければいけないと思うのです。
そして、エンジニアのことを考えるって、どういうことかを、会社にも考えてもらいたいとも思います。
最後に・・・
2020年に転職活動をしていて、高級文房具と揶揄されるコンサルタントの働き方に出会いました。
いつの間に、そんなものが・・・と思いつつ、単なる案件とコンサルタントのスキルマッチングになっていることは、とても不思議に感じたのでした。
SESに似てる??? 実態がよく分かりません。
お客様が喜ぶITサービスや自身のITスキルを提供するためには、エンジニアやコンサルタントが、そのスキルを適正に評価され、その対価をもらう必要があるのだと思っています。
こんなことを、こんなに長く書くつもりは、あまりなかったですが・・・
プログラミングスクールに行って、プログラミングを学んで、SES会社経由で案件につく、そんなことも多いと見聞きしましたので、エンジニアの方には実態はわかっていて欲しいなぁとは思っています。
細かいところを言われれば、ツッコミ万歳だと思いますが、「世間知らずの転職活動」を書く中で、湧き出してきた「いちエンジニア」の素朴な疑問と思っていただければ幸いです。
最初から最後までご覧いただいた方、途中少し読んでくれた方、この記事だけ呼んだ方、少しでも読んでくれただけで嬉しいのです。
本当にありがとうございました!
また、別の物語が書けるといいな?と思っていますので、その際には、また、ご覧いただけると嬉しいです!




