横澤課長の誘い
お客様の意向で退職の時期を半年延長した。
これで、退職時期がはっきりしたから、転職活動も気持ちよく進められると思ったが。。。
世の中、なかなかうまくいかないものである。
半年の猶予ができ、自分の主担当サブシステムの引き継ぎと、転職活動をゆっくりできる時間を得ることができた。ただ、それ以降、直属の上司である石川課長から「ホントに退職するの?」と少しの引き止めの言葉を受けつつ、通常通りに仕事を進めていた。
あるとき、珍しく会社の人からのメールを着信した。物流のプロジェクトの横澤課長であった。同期の木内さんの上司にあたる人だ。そのメールには、「木内さんから、退職する意向があるということを聞きました。もし、プロジェクト内の人間関係などで悩んでいるなら、物流のプロジェクトなど、いかがですか?」という内容が書いてあった。
私はとてもうれしく思った。しかし、うれしく思う一方で、既に決まった心が変わることはないと、お断りする心苦しさも感じた。そもそも、会社のことは嫌いではない。石川課長も、横澤課長も、飲み会や社内行事で会えば、ちゃんと楽しくお付き合いができる人たちだった。
だからこそ、石川課長の「覚悟はあっての言葉なのか?」という発言からの、「お客様が言っているから残ってくれ」という発言に対しては、会社に残ってやりたいことができるか、とても悩み、結果、不信感となっていたのだった。
だから横澤課長に私はこう答えた。
『お誘いいただいたことは、とてもうれしく思っています。しかし私自身、次のWEB系の仕事をしたいのと、ここに至るまでの会話の中で、会社に対する不信感が重なり、それが消えることがなかったのです。ですから、せっかくのお誘いですが、申し訳ありません。」
【田原課長返り咲き?】
しばらくして、8月の頭、来月末には会社を辞める予定のこのタイミングで、田原課長がプロジェクトに戻ってきた。3月末で一旦プロジェクトを離れた田原課長。このプロジェクトの最長メンバーのうちの1人である。田原課長に業務のことを聞けば、どんなこことでも答えが帰ってくる。
だから、田原課長が返り咲くこと自体は嬉しいことのはずなのだが、雰囲気、そうでもないような感じがプロジェクト内には漂っていた。それは、4月から新しいプロジェクトに配属されていた田原課長であったが、勤怠があまりよくなくプロジェクトを外されたということだった。
プロジェクトに戻ってきて、何でも知っている田原課長がいるとみんなは助かることが多い、しかし、以前と比べて単金も下がり、プロジェクトとしては、喜んでばかりはいられない、という状況であったのだ。
私の業務は田原課長と部下の蒼井に引き継ぎ、定期的な作業や、業務内容も含め、田原課長の知識があれば、蒼井も何かあっても問題ないだろう。安心して引き継ぎができたのは田原課長のおかげではある。
【難しいスキルチェンジ】
転職活動も少しずつ進めていたが、なかなか書類選考より先に進むことができない状況であった。この3年半携わってきたプロジェクトで汎用機でCOBOLをずっとやってきた。それが、今回はWEBシステムの開発をやりたいと希望を出している。
また、今のようにインターネットでの転職活動もそこまで活発ではなく、応募するためには会社のホームページから採用してるか調べ、転職雑誌から電話をしてお願いする必要があった。メールで履歴書を送ることができる会社も多くなく、郵送しなければならない。
その中でも、1社、2社、面接に進んだが、書類選考に通ってても面接になると、WEBシステムの開発の経験がないと、こっちの部署は難しいよ。COBOLのプロジェクトがあるからそっちの部署でよければ、検討できるけど?みたいな回答をもらうことがほとんどであった。
やはりCOBOLだけの実務経験でWEBシステムの開発を希望するのは難しいのか・・・と現実が目の前に現れ、しかし、これでCOBOLをやるのであれば、会社を辞める意味がないぞ。と、どうにかWEBシステムの開発ができる仕事を探し続けるのだった。
9月に入ると、会社含め、同期たち、先輩などから送別会をしていただいた。もちろん、保険会社のプロジェクトがあった部署でも送別会をしてくれた。そのとき、担当部署の折原係長から「せっかく3年もいてくれたのに、もう少し一緒に仕事をしたかったよ。会社間のことはよくわからないけど、色々あって残念だよ。ありがとう」と言ってもらえたことは、今でも耳に残っている。
それとともに、私は新卒からお世話になって、業務知識までつけてくれたお客様にご迷惑をかけてしまったかなと思った。
もちろん、辞めることには後悔はなかったが、辞めるタイミングだったり、プロジェクトの状況、そして、会社間のやりとり、いろいろな部分で、立場によっても見え方も違うし、情報の伝わり方も正しく伝わるとは限らない。だからこそ、しっかりと、迷惑のかからない方法をとっておく必要があるのだと感じたのだ。
そして9月末日を迎え、私は次の会社が決まらぬまま、退職日を迎えるのだった。
つづく
※この物語は経験をベースにしたセミフィクションです。