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「アルバ・シリウス・ドゥ・マリオン卿、御入場です!!」
会場の扉が開くと騎士がそう声を上げた。階段の下既に沢山の貴族が集まる中、その視線は扉を背にした私に集中する。
手が僅かに震えていた。視線が集中していることの恐れからではなかった。ただ、私が本当に要らない存在であることを証明するかのような家族“だった”人達の視線が恐ろしかったのだ。
純白の騎士服を見てヒソヒソと貴族達が話すのが見える。あの人達が考えていることが手に取るように想像できた。きっと皆、同じことを思っているのだろう。
「マリオン公爵令息」
ふと声をかけられ振り返る。するとそこには艷やかな黒髪を持つこの王国の第一王子の姿。咄嗟に頭を垂れる。
「王国の若き太陽、王太子殿下にご挨拶申し上げます」
頭を下げると王太子殿下の嘲笑うような声が僅かに聞こえたような気がした。
「畏まった挨拶はよせ。これからこの王国の為に旅立つ者だ。頭を上げよ」
その言葉に従い下げていた頭を上げる。すると見えた王太子の顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
「まさかマリオン公爵家の令息が此度志願されるとは思わなかったよ。我が弟にこんな人脈があったとは」
どこか皮肉混じりのその言葉は聞いていて心地の良いものではない。なおも王太子殿下は発言を続ける。
「この祝いの場に相応しい純白、とても美しい。君たちの成功を祈っているよ」
「有り難きお言葉。感謝致します」
「いえいえ。それでは此度の宴、楽しんでくれたまえ」
穏やかな表情とは裏腹にチクチクと言葉を刺してくる王太子殿下は去り際に微笑むと私に背を向けて立ち去る。やはりこの特別討伐部隊の行き先はこの世から去ること、なのだろうか。
「アルバ様」
恐る恐る誰かが私に声をかけるその声の主を見つけると数人の歳の近い令嬢達が私を見つめていた。それぞれが不安そうな悲しそうな面持ちでこちらに視線を向けている。
「ご用ですか?ご令嬢」
微笑みを浮かべてそう問いかけると令嬢達は私を取り囲むように近づく。それに驚きながらも小首を傾げながら再度問うた。
「どうされましたか?」
すると一人の令嬢が答えた。
「私達は心配でございます」
眉を下げ不安そうな目を向けるその令嬢は僅かに唇を震わせていた。その彼女の言葉をきっかけに他の令嬢達も堰をきったかのように私を心配する言葉を次々とかけてくる。
「皆、ありがとう。だが案ずることはないよ。貴女達はここで平穏に暮らしていてほしい」
「アルバ様……」
私の言葉に令嬢達は口を閉じた。不安そうな表情は変わらなかったがもう誰も何も言わず静か頷き私を見送ろうとしてくれているようだった。
「ご無事をお祈り申し上げております」
切実さを含むその祈りは初めての温かさだった。家族から貰えなかった切なる祈り。初めての祈りは他人である彼女らからだった。
「ありがとう」
心を込めて感謝を口にする。私は、きっともうこの王国へは戻って来れないだろう。例え戻ったとしてもそれはもう冷たく硬い屍でしかない。せめて彼女達の心が傷付かなければいいと思った。私に初めて温かい祈りをくれた人達だから。
彼女達のもとを離れ、バルコニーの近くの軽食が並ぶテーブルへと向かう。するとそこには先に会場へ来ていたであろうカイル侯爵家の三男、ジョゼフ・アルフレッド・ラ・カイルがいた。私同様純白の騎士服を着た彼の後ろ姿に何気なく近づく。
「ジョゼフ卿」
思わず声をかけていた。私の呼びかけに振り返った彼はモグモグと軽食を食べている。この場に似合わないラフな仕草に思わず気が抜ける。何か?とでも言いたげに首を傾げた彼に再度声をかけた。
「挨拶を交わすのはこれが初めてだと思いまして」
私の言葉に納得したように小さく頷くと、口の中の食べ物を飲み込み、手に持っていたお皿を置くと姿勢を正しお辞儀をした。綺麗なその所作は洗練されていて先程のイメージとは正反対のように見える。
「失礼致しました。カイル侯爵が三男、ジョゼフ・アルフレッド・ラ・カイルでございます。アルバ卿、どうぞ宜しくお願い致します」
そう言ったジョゼフ卿は私を見ると探るような視線を向けてくる。それもそうだろう。第二王子殿下と親しいどころか面識もない人物は四人の中で私だけなのだ。怪しむのは当然のことだった。
「こちらこそこれから宜しくお願い致します、ジョゼフ卿」
互いににこやかに笑みを浮かべているが微塵も心を開いて居ないのが手に取るように分かる。それがどれほど息が詰まることなのか想像しなくてもわかる。
「リシュリュー・グレイス・S・アルベルト卿、アンドリュー・ライオネル卿、お二方の御入場です!!」
不意に扉が開き入場の知らせが届く。階段の先を見上げると私とジョゼフ卿同様純白の騎士服を着たリシュリュー卿とアンドリュー卿の姿が見えた。彼らの胸元の装飾品にも同じような赤い宝石がつけられている。
貴族達の視線に怯むことなく堂々と彼らは階段を降り会場であるホールの中心まで降りてくる。すると誰かを探しているのか周りを見渡している。アンドリュー卿が何かに気づくとリシュリュー卿に呼びかけ二人はこちらに向かって歩き出した。
「ジョー」
リシュリュー卿が笑顔でジョゼフ卿を呼ぶ。その後ろをアンドリュー卿がついてきていた。
「遅かったな」
「そうかな、僕的にはジョーが早すぎる気がするんだけど。どうせ軽食目当てでしょ」
「うまいぞ、これ」
「はいはい」
親しそうに話す二人を尻目に給仕係から受け取った飲み物に口をつけるするとふと隣に誰かが並んだ。
「マリオン公爵家のアルバ様ですね」
隣を見るとアンドリュー卿の姿。真っ直ぐにこちらを見つめる目は嘘すら隠せないほど綺麗な目で落ち着かない。本当の自分を暴かれてしまわれそうな恐怖を感じた。
「初めてご挨拶申し上げます。第一等級騎士、アンドリュー・ライオネルです」
恐怖からか僅かに泳いだであろう目を見逃さなかったのかアンドリュー卿は私をやっぱりな、と言うような目で見つめる。貼り付けたように心の込もらない笑みが私の心臓をキュッと掴むようだった。冷ややかなその笑みに背筋が凍る。嘘偽りのない真っ直ぐな人の視線は私にとってはとても怖いものだった。自分には一生持てないであろう穢れのない純な魂。
「アルバ・シリウス・ドゥ・マリオンです。宜しくお願い致します、アンドリュー卿」
私の言葉に彼は笑みを浮かべるだけだった。自身の主君の為、私を警戒しているのだろう。
「アルバ卿、ご挨拶遅れて申し訳ございません」
不意に目の前から声をかけられる。アンドリュー卿から向けていた目を声の主に移すとそこには先程ジョゼフ卿と話していたリシュリュー卿の姿。
「卿は第二王子殿下のサルバナイトでいらっしゃいますね」
笑みを浮かべそう言うと目の前の彼も同様笑みを見せる。
「はい。テオドア王子殿下にお仕えしております。リシュリュー・グレイス・S・アルベルトでございます」
「ご挨拶ありがとうございます。アルバ・シリウス・ドゥ・マリオンです。どうぞ宜しくお願い致します」
互いに礼を尽くしてお辞儀をする。リシュリュー卿は一切笑みを崩すことなくこちらを見ていた。信用する訳がないというようなその態度にまたしても息が詰まりそうだった。居心地の悪いその雰囲気に逃げ出してしまいそうになった瞬間、会場の扉が開いた。
「王国の純然たる月、」
純然たる“月”。その単語が聞こえた瞬間、目の前から小さな舌打ちが聞こえた。ちらりと音の出処を見ると僅かに眉を寄せ不満そうな表情を見せるリシュリュー卿の姿が見えた。リシュリュー卿の隣に並ぶジョゼフ卿も納得いかないような表情を見せていた。扉に視線を戻す際見えた私の隣に立っていたアンドリュー卿の表情は悲しそうな表情を浮かべていた。第二王子殿下を慕う三人が同様に彼のことを深く思っていることがその表情からひしひしと伝わってくる。
何故か、それが酷く羨ましく思えた。
「テオドア・ウィリアム・ジャン・ノア・クラリス・S・フォン・サルバドール第二王子殿下、御入場です!!!」
一歩、一歩、彼は前へ進み階段を降りていく。淡く光り輝く美しい金髪は束ねられ、その純白の騎士服は光を纏うように彼を更に高貴なものへと見せていた。この世のものとは思えないほどの美貌は人々の目を奪う。
どんなに悪意ある噂で彼を覆い隠そうとその高貴さは穢れる様子など微塵も見せず今目の前にあるものが真実なのだと知らしめる。
縁起の悪さを感じさせる白の騎士服も、彼が身に纏えば祝福を捧げるものに成り下がっているようだった。
ホールの真ん中までやってきた第二王子殿下は王太子殿下を前に一礼した。
「兄上、ご無沙汰しております」
誰もが静かに二人の王子の会話に耳を澄ませていた。
「……此度は王国の為、出征することお祝い申し上げる。皆の者、我が弟、そして四人の勇敢な志願者の為に祈りを捧げてくれ」
王太子の言葉に貴族達は拍手を捧げる。その拍手の音を私は他人事のように聞いていた。