さすらいの異世界職人
私の名は千夜狐零人──
菓子職人をしています。
人は私の事を「さすらいの異世界職人」と呼びます。
ちょっと気恥ずかしいですが、ありがたいです。
その異名の通りあちこちの異世界を渡り歩いては、その土地その土地の特産品でお菓子を作っています。
いつもは気の向くままに旅するのですが、今回は珍しく先方からのお誘いで出向く事になりました。
目的地はレス・トラーン大陸の首都ビフエ。
人族と獣人族が仲良く暮らす交易都市です。
そこの国王、マ・カロン王から招待を受けたのです。
《マスター、味見をお願いします》
助手のシロップから思念波が飛んできました。
四本腕の多肢族の娘で、たまに自分で作ったお菓子の味見を私に依頼してきます。
ただ、これがちょっと問題でして……
とりあえず調理室に行くと、台の上で仰向けになったシロップがいました。
驚くほど豊かな胸にリンゴが一個のっています。
「……一応、念のために聞くけど何やってんの」
私は眉をひそめて尋ねました。
「あ、マスター。【アップル・パイ】を作ってみました。リンゴと私の胸と両方一度にご賞味頂ける自信作です」
「いや、それパイの意味違ってるだろ!ただリンゴのってるだけだし」
「あ。これは私としたことが……」
声を荒げる私にシロップは頬を赤らめてリンゴを外しました。
「マスターはリンゴは皮をむいて食べる派でしたね。うっかりしてました。では私の胸だけどうぞ。レシピを【○ッパイ】に変更します」
「いやいや、おかしいだろ!それピーだろ。てか、もはや食べ物じゃなくなってるし」
私はひたすらツッコむしかありませんでした。
そう、いつもこんな調子なのです。
天然なのか、ふざけているのか、助手になって久しいですがいまだに理解不能です。
「シロップ、そんな事より今からビフエに行く。出発の用意を頼むよ」
「分かりました。マスター」
シロップは飛び起きると、そそくさと部屋を出て行きました。
私はため息をつきながらその後に従いました。
港に着くと早速迎えが待っていました。
クッキと呼ばれるトカゲの引く馬車に揺られること一時間。
ドーム型の大きな宮殿に到着しました。
美しい装飾類を鑑賞する間もなく、追い立てられるように玉座の間へ案内されました。
「おおっ!待っておりましたぞ、職人殿」
部屋に入るなり毛むくじゃらの大男が走り寄ってきました。
マ・カロン王です。
有無を言わせず頭の二本のツノを私の胸に擦り付けます。
この国の獣人の挨拶です。
「お、お初にお目にかかりまひゅ……お、おうひゃま」
顔面を上下するツノにむせながら挨拶を返しました。
「こちらは助手のシロップです」
「よろしくお願いいたします。王様」
腰を屈めるシロップにもツノを向けましたが、見事な胸の膨らみを目にして動きが止まりました。
「【アップル・パイ】です」
王の視線に気づきシロップが胸を張ります。
「と、ところで今回お呼び頂いたのは……」
胸にリンゴをのせようとする助手を押し留め、私は慌てて話題を変えました。
「おおっそれじゃ!とにかく一緒に来てくれ」
我に返ったカロン王はそう言うと、せわしなく私たちを誘導しました。
長い階段を上り最上階の部屋に着きます。
「シュマロ、職人殿がおいでになったぞ」
綺麗な彫刻の施された扉越しにカロン王が声をかけます。
かちゃりと扉が開き若い娘さんが顔を覗かせました。
小さなツノの生えた綺麗な方です。
どうやら泣いていたらしく目が真っ赤でした。
「どうぞ」
通された部屋には可愛らしい家具が並んでいました。
「娘のマ・シュマロと申します」
エレガントな所作でお辞儀をされますが表情は沈んでいます。
「良かったな娘よ。これで菓子が作ってもらえるぞい」
「ダメよ!」
嬉々とした王の言葉をシュマロ姫は厳しく遮りました。
「し、しかしお前の望みは……」
「私の望みはただ一つ」
そう言って姫は私たちの顔を見回しました。
「自分の手でチョコレートを作ることです」
事の次第はこうでした。
シュマロ姫はチョコレートが作りたかった。
それもどうしても自分の手で作りたかった。
何度か挑戦しましたがそのたびに倒れてしまいました。
どうも味見をした事が原因のようです。
基本的に獣人族は植物しか食べません。
肉や魚を始め植物以外を口にすると体調を崩してしまうのです。
ご存知の通りチョコレートにはカカオが使われます。
カカオはカカオ豆が原料で、しかも植物です。
獣人族からすれば何の問題も無いように思われます。
しかし実際は作った後に味見をした途端、具合が悪くなってしまったのです。
宮廷料理人にも相談しましたが理由は分かりません。
シュマロ姫は思うように作れず悩む日々が続いているという訳です。
「なるほど。では姫は作るだけにして、味見は誰か他の方にしてもらってはいかがですか」
私はふと思いついて提案しました。
「駄目です!」
シュマロ姫は即座に否定しました。
「それでは駄目です。私が味見しなければならないのです」
言いながら俯く目には涙が溜まっていました。
それをみて私は何か理由があると察しました。
その時扉がノックされました。
「入れ」
カロン王の威厳に満ちた声を受け、一人の使用人が入って来ました。
「失礼いたします。毛布の交換をさせて頂いてよろしいでしょうか」
使用人は人族の若い男性でした。
「……どうぞ」
シュマロ姫は俯いたままぎこちなく応対します。
よく見ると頬に赤みがさしていました。
ははぁ……
その時私にはピンと来ました。
「分かりました。何か方法を考えてみます」
力強いその返答に姫は顔を上げると私の手をとりました。
「ありがとうございます……」
──────────
「今日は二月十日か」
宿に戻った私は壁のカレンダーを見て呟きました。
「それがどうかしましたか?マスター」
荷物を整理しながらシロップが尋ねます。
「いや、あと四日でバレンタインデーだなと思って」
「…………!?」
目を丸くしたシロップが慌てて部屋から飛び出ようとします。
「な、なんだ!急にどうした?」
「……私とした事が……その手があるのを忘れてました。すぐにチョコレートを買って来ます」
その言葉に私の背筋に冷たいものが走りました。
「一応……念のために聞くけど買って来てどうすんの」
「それは当然、新しいレシピを……」
「まさかとは思うけど、胸に塗って【チョコレート・パイ】なんて言わないよね」
「チッ!」
「いや、チッじゃないし!いい加減パイから離れなさい!」
ふてくされるシロップを放置し、私はシュマロ姫との約束に集中しました。
姫があの人族の男性使用人に好意を寄せているのは確かです。
チョコレートも恐らくバレンタインデーに渡そうと思っているのでしょう。
味見に執着するのは出来栄え確認の意図もありますが、ひょっとしたら彼と一緒に食べたいのかもしれません。
だから作れても食べれない自分に対して落ち込んでいるのです。
できれば何とかしてあげたいものです。
「それにしてもなぜカカオがダメなんでしょうか」
「ああ、それについてはもう察しはついてるよ」
私の即答にシロップは目を丸くしました。
「一応確認するのでカカオ豆の成分表を送ってくれないか」
「イエス、マスター」
返事と共に頭の中に成分表が送られてきました。
多肢族はとても記憶力の発達した種族です。
シロップの頭にはあらゆる食品の成分表が記憶されているのです。
「何々、炭水化物、脂肪、鉄分……か。ふむふむ……なるほど。やはりそうか!」
「どういうことです?マスター」
大きく頷く私にシロップが問いかけました。
「ポリフェノールだよ」
「ボリスカーロフ!?」
「そりゃ昔の怪奇俳優の名だ。ポリフェノール……ほとんどの植物に存在する苦味や色素の成分だよ」
私は首を傾げるシロップに説明しました。
「種類も色々あり、その効能や作用も千差万別なんだ。たいていの植物を口にする獣人族がなぜかカカオ豆にだけ拒絶反応が出た。それはこの豆にしかない成分にアレルギーを起こしたからだ。それがこの豆特有のポリフェノール……カカオポリフェノールだ。最初に話を聞いた時にそれしかないと思ったよ」
「さすがです。マスター」
シロップが器用に四本の腕で拍手しながら絶賛してくれました。
「さて、原因はいいけど問題なのはここからだ。カカオ豆からポリフェノールだけを抜き取る方法なんて知りやしない。でもチョコレートは作らなきゃならん……こいつは難題だぞ」
アゴに手を当て暫し思案した私は、おもむろに懐から一冊の小さな手帳を取り出しました。
「マスター、それは?」
「伝家の宝刀さ」
シロップの問いに笑顔で答えると、私は手垢でよれよれのそれをめくり始めました。
何を隠そう、これこそ我が祖父・千夜狐民斗が遺した宝物。
生前お爺ちゃんが世界をまわり、ありとあらゆる食べ物の作り方を記した究極のレシピノートなのです。
名付けて『ミンくんのグルメガイド』。
これまでも難問にぶつかった際には何度もこれに救われました。
「さて、答えが見つかればいいんだけど……」
私は夜が耽るのも忘れ答え探しに没頭しました。
それから二日後、ちょうどバレンタインデーの前日に私たちは再び宮殿を訪れました。
部屋に入るとシュマロ姫が期待に目を輝かせて待っていました。
「職人様、いかがでしょうか?」
私はニッコリ微笑むとシロップに目配せしました。
シロップは頷き、姫に小さな箱を渡しました。
「開けてみてください」
私が促すと姫は蓋を開けました。
中には一口サイズの黒い正方形の物体が入っています。
「これは?」
「召し上がってみてください」
私の言葉に姫は恐る恐るそれを口に運びました。
すると途端に驚いた顔になりました。
「こ、これは……チョコレート!?」
慌てて吐き出す器を探そうとする姫を私は手で制しました。
「大丈夫です。決して体調を崩されることはありません。どうぞ安心してお食べ下さい」
自信に満ちたその言葉に安心したのか、姫はゆっくりとそれを飲み込みました。
「……美味しい。」
その顔に至福の色が表れます。
「でも、どうして……?」
不思議そうに見つめる姫に私は笑いながら説明を始めました。
「まずはチョコレートが食べられなかった理由から説明いたします。結論から言うと、それは原料であるカカオ豆に含まれるカカオポリフェノールが原因でした」
私は宿屋でシロップにした説明をここでも繰り返しました。
「さて、豆からポリフェノールが抜き取れない以上、他の手段でチョコレートを作るしかありません。私は秘伝のレシピノートと一晩中にらめっこをしてやっとその答えを見つけました」
私はそこで一旦話を止めると再びシロップに目配せしました。
助手は持っていた袋の中から二つの物体を取り出しました。
一つは瓶に入った黄色い液体で、もう一つは植物の球根でした。
「液体は大豆から抽出した大豆油と呼ばれるものです。そしてもう一つはユリの球根のユリ根です。あなたが今お食べになったチョコレートはこれを使ったんですよ」
それを聞いたシュマロ姫の目が大きく見開いた。
「そんな、まさか!?大豆と……ユリ根……?」
「私の祖父が昔、二ホンという国へ行った際手に入れたレシピです」
私は懐から『ミンくんのグルメガイド』を取り出し続けました。
「二ホンではカカオ豆が輸入禁止となった時期があったそうです。当然その間チョコレートは作れません。しかし当時の菓子職人たちは諦めませんでした。なんとか今あるものでチョコレートを作れないか試行錯誤したのです。そして最終的に考案されたのがこの二つの食材を使った代用チョコレートでした」
私はシロップから二つの食材を受け取りました。
「姫もご存じのようにチョコレートはココアバターとカカオマスによって成り立っています。これらを焙煎や摩砕、練り込むことによりあの独特の食感が得られます。二ホンの職人はこのココアバターの代わりに大豆油を、カカオマスの代わりにユリ根を使うことで、限りなく本物に近い食感を出すことに成功したのです」
私は手にした二つの食材をシュマロ姫に渡しました。
「あくなき探究心が不可能を可能にしました。同じ菓子職人として私は彼らを誇りに思います」
シュマロ姫は感慨深い表情でそれを眺めていました。
「これはあくまで代用品です。でも大事なのはそんなことではありません」
私は姫の前にひざまずくとその顔を真正面から見据えました。
「これは世界中であなたしか作れない、あなただけの愛情のこもったチョコレートなのです」
姫はその言葉にハッとしたように顔を上げました。
その目には涙が溢れていました。
「ありがとう……ありがとう。職人様」
私は大きく頷き姫の手をとりました。
「さあ、今からレシピをお教えしますので頑張って作りましょう!」
──────────
自宅に戻って暫くしてからシュマロ姫から手紙がきました。
あの後無事チョコレートが完成し、例の使用人にも渡せたようです。
その際告白したのかどうかは書かれていませんでしたが、それは聞かない事にしました。
後のことは二人の問題です。
でも彼はとても喜んだらしいので、きっといい方に向かうと思います。
だってお菓子好きに悪い人はいないのですから(笑)。
《マスター、味見をお願いします》
シロップの思念波が飛んできました。
「……一応聞くけど、何作ったの?」
私は半ばげんなりしながら尋ねました。
《……【ローズヒップ・クッキー】です》
ローズヒップとはバラの果実のことです。
お茶やお菓子の原料として使われますが、シロップがまともに作ったとは思えません。
【ヒップ】という単語に一抹の不安を感じながらも、私は調理室に向かいました。
いつになったら安息の日が訪れるのでしょうか……
私の名は千夜狐零人。
人は私の事を「さすらいの異世界職人」と呼びます。