ルーシの恩返し
「……そうだよな。殴っても撃っても解決しねェ。だが、一応オマエは若い女だ。おれも女になってからすこし思うようになったが、やはり男どもがこちらを2度見する感覚が快感であり苦痛でもある。男娼やっていたころも男女問わずこちらを見られ、ケツの穴に粗末なモンをゴムもせずに挿れられたものだ。そのあとはひでェ下痢になって……ああ、話がそれた。おれが言いてェことわかったか?」
ヘーラーは頭をかしげ、きょとんとした目つきだった。ルーシは気にせず会話を続ける。
「正直、おれはオマエが大嫌いだ。人生で一番の恥辱を繰り返すかのような姿にしたオマエを、できれば殺してェと思っている。まだ試したことない拷問でな。だが、同時におれをこの街へ転移させてくれた恩人でもある。そこで妥協案を考えた。聞け」
「なんですか?」
「……ああ、歯磨きだけしてこい。ゲロの臭いでこっちまで吐きそうだ」
これはルーシなりの優しさである。正直、25歳の女性に口臭がひどいと指摘できる人間がどれほどいるか。たとえ親友であろうとも、何10年と付き合いがあろうとも、「口臭」と「体臭」はなかなか咎めて改善する方針へ持っていけないからだ。
「て、て、天使は口臭くないって何度いえば──!!」
「あのな、おれも天界なんて詳しくは知らねェし、きっとこっちの常識が通用しねェのはわかる。しかし、ベッドの汚れみればわかるぞ。寝ゲロしたんだろ? 酒をいままでろくに飲んだことねェんなら、そういうミスをしてしまうのは仕方ない。おれだってガキのころはそうだった。だが、現実として数メートル離れていても臭せェんだぞ? オマエ、ポンコツ以前に病気なんじゃねェか?」
「そ、それは……」
「とにかく、病気だとしてもなんだとしても、1分で良いんだ。ちょっと黄ばんでいる歯をきれいにしてこい」
ルーシはわかりやすく、そして冷静に、現実を伝える。実際問題、臭いものは臭い。小便が臭いように、大便が臭いように。匂いは人……いや、天界人の印象をも180度変えてしまうのだ。
ヘーラーはすこし涙目になりながら洗面所へ向かっていた。ルーシはひとりでつぶやく。
「最初はただのアホだと思っていた。幼女にされたとき、殺意しかなかった。たかが人間であるおれへボコボコにされたとき、心底哀れに思った。同情はソイツを狂わせるのにな。酒におぼれているとき、昔のおれを思い出した。このままだとクスリに手を出すことも覚悟しなくてはいけなかった。だが……こんな捨てられるだけ生ゴミのほうがマシなヤツでも、ロスト・エンジェルスに転移させてもらったことは感謝しなきゃならねェ。だったらどう恩を返す? ……決まっているよな?」
ルーシは義理堅い。狂っているように見えて、いや、実際狂っているのだが、なにかをもらったらなにかをお礼にわたすように、ルーシはしっかり彼女への礼節を考えていた。
そう、彼なりのお礼を。
「ルーシさぁん……きれいにしてきました……歯磨きってマジめんどい……」
「ご苦労。さて、この汚ねェ部屋におれがわざわざ来た理由、わかるか?」
「さあ。死んでいるか心配になったとか?」
「オマエは酒くらいじゃ死なねェよ。そんなことはわかりきった話だ。おれはオマエを更生させに来たんだ」
「更生?」
「そう。頭は悪リィ、シャワーは浴びねェ、歯磨きもしない、酒におぼれて仕事もしない。これじゃダメ人間とかわりがない。おれの知っているダメ人間よりダメなヤツだ。だから、オマエの道は決まっている。隠す必要もねェからいうが、オマエは学校へ入れ」
ヘーラーは言葉の意味を1瞬考えているようだった。おそらく、なにをいっているのか理解しきれていないのだろう。彼女の年齢は25歳。25歳相応の老け方というのもおかしいが、すくなくとも学生服を着て高校生ごっこを楽しむほど肌も潤っていないし、体型にも限界がある。
そして、ヘーラーは1瞬の途切れを遮り、いう。
「……なにいっているんでしゅか? 私はこの家でお酒が飲めれば満足だし──」
「あ?」ルーシは呆れ気味に、「酒買うのにだって金がいるんだよ。今回はクールの子分が持ってきたから良いが、おれは自分の分しか買わないし、余ってもオマエにはあげねェぞ?」しかめっ面になりながら、「だが、学校に行ってしっかり生活するんなら小遣いもやるし、それをどう使おうがオマエの自由だ」心底億劫そうに、「まあ、天界人にはカネって概念はないのかもしれないが、言葉くらい聞いたことあるだろ? それをやるかわりに学校行けって話だ」
正直、なんで年上に小遣いを渡さなくてはならないんだ、という話ではある。ルーシの現年齢は9歳か10歳。実年齢18歳。たいしてヘーラーは自分で話したように25歳。女から金をもらったことはあっても、金を渡したことのないルーシからすれば、はじめての経験に加えて年上へ酒代を渡すという意味不明なことを経験することになる。
しかし、それ以外にヘーラーがまともになる方法はない。これはルーシなりの恩返しなのだ。
「……ま、仮にオマエがおれを男のまま転移させていたら、普通に小遣いをやっていたかもしれねェ。だが、オマエはおれを銀髪碧眼幼女の姿で転移させやがった。だから妥協だ。条件付きで金はくれてやる。わかったな?」
「えー……。私もう25歳だし、高校生っていうのもよくわからないし、学校にいたらお酒飲めないんですよね? ルーシさんはなんだかんだ優しいから私にお小遣いくれると思うしなぁ……」
「次、どこ撃たれたい?」
「あ、あ、あ……わかりました‼ きょうから私は高校生です‼ だからもう撃たないで!!」
迫真である。そんなに痛いのだろうか。
「納得してくれてなによりだ。おれは完全給付で入学するが、オマエは一般入試だな。人間の世界の試験くらい楽勝だろ? 別に学校へいる分にはおれも文句つけねェ。そっからの生活は自由だ。ま、酒飲める機会は減るがな」
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