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センパイ、自宅警備員の雇用はいかがですか?【コミカライズ版2巻8/28発売!】  作者: 二上圭@じたこよ発売中
レールの切り替わる音がした

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03

 センパイが家を出てから、一時間ほど経った。


 楽しい日々だからこそ、いつもならあっという間に過ぎ去る時間。それが今や、薄く引き伸ばされたようであり、一秒が十秒、十秒が一分、そしてそれが一時間のようにも感じた。


 その原因は二つある。


 一つは、センパイが出ていったときの宣言。昨日超えられなかった一線。それを『次会うときは戦場で会おう』と言って、ムードもへったくれもなかった。それがセンパイらしくて、どんな甘い囁き、綺麗な飾り付けよりも嬉しかった。


 今度こそは……と。楽しみと喜びと、そして乙女の恥じらいが、そのときを待ち遠しいと言っている。


 そして、もう一つは不安。


 センパイが呼び出された要件。それを察していた。


 逃げ切ったと思っていた現実が、すぐそこに訪れている。センパイは今、姉さんと対峙しているのだ。


 センパイはどこまでも自信満々に、憂いなく家を出た。決して強がりでも、空元気にも見えなかった。だから……大丈夫だという信頼を寄せながらも、社会の正しさ一つその手に持たぬ身で、どう姉さんと戦うのか。それがわからぬからこそ、胸が締め付けられるような不安を拭い去れずにいた。


 ぎゅっと、胸元の衣類を抱きしめる。


 センパイが着替えて残していった、部屋着のシャツ。その匂いに倒錯した思いではなく、安心を求めていた。


「大丈夫……センパイなら……大丈夫」


 そうやって何度も自分に言い聞かせながら、牛歩のように進む時間を、やり過ごしていた。


 身体が発する音がうるさいほどの静寂。


 そこに、待ちわびた音が訪れる。


 玄関の扉が開いたのだ。


 バッと立つと、わたしはリビングへと駆け出した。玄関へ繋がる扉が、今まさに開かれようとしたのだ。


「あぁ……」


 扉を開いた主は、そんな吐息を漏らした。


 わたしはそこに、大好きな人を求めていた。


 愛する人がその扉を開けてくれることを、ずっと待ちわびていた。


「え……」


 でも待っていたのは、


「姉……さん」


 昨日逃げ出したばかりの、受け入れがたい現実だった。


 血の気が引いていくのを感じる。昨日の再現をするかのような……いや、あれよりも酷い負の感情に飲み込まれた。


 姉さんが見せたのは、間違った道を歩んだわたしへの、怒りでもなければ悲しみでもない。幼い頃から変わらない、わたしを慮った優しさ。どこまでもわたしの身を案じ、無事を願い続けてくれた心からの安堵だった。


 今はその顔がこの屋根の下に現れたことが、どんな悪鬼羅刹よりも怖かった。


「帰りましょう。楓」


 そして優しさに満ちたその声音が、幾万の呪詛より恐ろしかった。


「や……」


 恐怖に当てられたわたしは、一歩後ずさった。


 その距離を詰められようとしたことに、


「嫌……ッ!」


 悲鳴を上げたのだ。


 こんな機能が備わっていたのか。そう驚くほどの声量だった。いいや、身の丈にあわぬ力を発揮したのだ。


「なんで……なんで」


 だから喉が裂けそうなほどに痛いのだ。


「……姉さんが、なんで……」


 それは姉さんに投げたものでもなければ、自問自答でもない。ここにはいないあの人に向かってのもの。


 吹雪の前に晒されたように、この身体は小刻みに震える。小さく、小さくゆっくりと、わたしは後ずさった。ここで背中を見せてしまったら、もう取り返しのつかないことになると信じているのだ。


 でも背後に逃げ道なんてものはない。


 だからその手が伸びてきたことに、


「楓、お願い話を――」


「やっ!」


 精一杯抵抗するようにこの手で振り払った。


 ジンジンとする痛みが、この手に走った。でも、そんなもの心に苛むものと比べれば大したことはない。


 昨日、取り除かれたはずのものが、再び胸を襲ったのだ。


 わたしがずっと抱えていた辛苦。その真の正体は、大好きな姉さんを嫌いになっていくことで生まれたものだ。わたしのことを想ってくれているのに、理解してくれない。心に寄り添ってくれないことに、いつしか恨み言を吐くほどになっていた。


 センパイがそれは仕方ないことだったと教えてくれた。姉さんも結局、ただの子供だったから。それしかやり方を知らない。それ以外の術を、正しいを全うしているだけの子供に宿るなんて、酷な話だったと。


 わたしたちの関係がこうなったのは、自分のせいでもなければ、姉さんのせいでもない。親と社会が悪いでいいんだと、言い聞かせてくれた。


 だからもう、わたしは姉さんを恨んではいない。本当はやり直したい。また、昔のように仲良くしたい。


 でも、それはもう無理なのだ。


 だって姉さんは、正しい人だから。この幸せ(みち)を選んだわたしを、絶対に認めてくれない。


 そうしたらわたしは、また姉さんを嫌いになってしまう。それがどれだけ辛くて苦しいかは、嫌というほどに知っている。


 だからわたしは現実社会に戻れない。


 あんな思いはもうしたくないから……大好きなままでいたいから……もう二度と、姉さんに会いたくなかったのだ。


 あまりにも辛くて、苦しすぎて。その痛みに耐えきれなくて、熱くなった目頭が映す世界が歪んでいった。


 姉さんがここにいることは、センパイはきっと……


「助けて、センパイ……」


 そう思いながらも、助けを求めずにはいられなかった。


 この身を支える足元から力が抜け、ペタンと座り込む。現実を直視したくないと、ただ顔を俯けた。イヤだイヤだ、と。まるでダダをこねる子供のようにかぶりを振った。


 嗚咽を噛み殺しながら、受け入れられない現実を遮断しようとした。


 そこに、


「予想通りの展開ね」


 聞き慣れぬ声が届いたのだ。


「ぇ……?」


 予期せぬ第三者の登場に唖然とした。


 現実から背けた顔を上げると、姉さんの後ろから女性が顔を覗かせた。


 とても綺麗な人である。立ち居振る舞いには大人の女性のカッコよさがある。年齢は、多分センパイくらいで……


「ガミ、さん……?」


 それに思いいたり、縋るように声を出す。


「ええ、そうよ。こうして顔を合わせるのは初めてね、楓ちゃん」


 満足そうにガミさんは頷いた。


「それとも、一閃十界のレナファルト。レナと呼んだほうが、ここはよかったかしら?」


 その問いに、わたしは首肯した。文野楓に戻りたくないという、強い思いが突き動かしたのだ。


「……センパイ、は?」


「今頃店で、お酒を好き勝手飲んでるわよ。可愛い女の子を隣に置いてね」


 ガミさんは朗らかなまでの声音。今この雰囲気において、あまりにそれが似つかわしくなく、


「安心なさい。結果はタマの圧勝よ」


 わたしが抱いていた負の感情を、吹き飛ばすかのような光だった。


 姉さんを一瞥すると、顔を俯けていた。奥歯で苦々しいものを噛み締めているかのようだ。


 その顔が楽しかったわけではないが、それでも喜びを抑えきれずにいられない。


「でも、じゃあ、なんで……」


 頬を伝う水滴を拭いながら、疑問を差し出した。


 主語が抜けた曖昧な言葉。


「タマからの伝言よ」


 ガミさんはそれをすぐに解読した。


「『辛くて苦しい真似なんて、したくないのはわかってる。でも、ここが幸せを得るための踏ん張りどころだ。ちょっと話し合ってこい』」


 ガミさんはすらすらと伝言を告げる。その背中にセンパイの影が見通せた。


 ホッとした安心感を抱くも、不安は拭い去れない。


 ちょっと話し合ってこい。それはここで話し合えということではない。一度姉さんのもとへ戻れという指示だろう。


 センパイがいない場所で、姉さんと二人きり。そうやって話し合ってこいと。


 自分を信じられないからこそ、それが不安でたまらなく、


「『大丈夫だ、今のおまえなら、ちゃんと話し合える』」


 こんな自分を信じてくれる、センパイを信じたのだ。


「『後。おまえを正規雇用したときの約束は、ちゃんと守る。それだけは絶対に破らんから安心しろ』。以上が、タマからの伝言よ」


 全ての伝言をもたらされ、目頭が再び熱を帯びた。


 それは先程とは違う熱。苦しみやら辛さが生み出したものではない。


「……わかりました」


 安心と、信頼と、そして未来への希望がもたらしたものだった。


 現実なんてものとは向き合いたくない。ただ最後まで目を背け続けた先で、楽で楽しいだけの幸せを得たかった。


 辛くて苦しい思いなんてしたくない。……でも、この幸せの先を得たいのなら、それに立ち向かわなければならなかった。


 これがわたし一人の幸せなら、身勝手なだけの望みなら、この顔は俯いたままだっただろう。


 でも今のわたしは、自分の幸せだけがほしいんじゃない。わたしを背負ってくれた人。センパイにもまた、幸せになってほしいのだ。わたしなんかで与えられるものなら与えてあげたい。そのためなら、辛くて苦しくても頑張ろうと奮い立てる。


 だって、その結果足元が崩れ去ろうとも、堕ちるときは一緒だから。そこに恐れも慄きもなかったのだ。


「ちゃんと、姉さんのもとで話し合ってきます」


 姉さんと話し合う、向き合う覚悟が決まった。


 複雑そうでありながら、姉さんの目には希望が宿っていた。大好きだから……わたしの手で、


「でも、これだけは忘れないで、姉さん」


 それを曇らせるのがとても心苦しかった。


「わたしは……恨みつらみは絶対に忘れない。もし、センパイになにかあったら……」


 それでもわたしは……わたしたちの幸せのために、線引きをしなければならない。取り返しのつかないことが起きる前に、しっかりとわたしは宣告したのだ。


「絶対に許さない」


 そしてわたしは、初めて姉さんと戦う道を選んだのだ。

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百合の間に挟まるな! ~脅迫NTRもの展開を阻止した結果、百合の間に挟まれた件~
推しの百合営業系Vチューバーの間に男が挟まったばかりに、脳破壊された主人公が子供時代にタイムリープした話。
本編とその前日譚まで完結しておりますので、よろしければこちらもご一読ください。



コミック版が3月28日に発売、予約受付中!
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『センパイ、自宅警備員の雇用はいかがですか?』書籍版、発売中!
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― 新着の感想 ―
[良い点] とてもいいですね とある作品を読んでいて感じた「これって結局未成年者略取だよね」というのに真っ向から挑んでいるのがすごく素敵です
[良い点] 山場になってきましたね。 ワクワクしますね。 [一言] 書籍買いました! 恋愛小説として読みやすかったですし、追加ストーリーもラブコメも尊くて最高でした。 次巻待ってます!
[一言] 盛り上がって参りました!
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