05
それからの時間は、行きあたりばったりに流れていった。
全てはレナの興味を惹くものに釣られるがまま。
ゲームセンターで一つ一つゲーム機を物色し、全フロアを制覇した。けれど結局、レナの食指を動かすほどのものはなく、なにもやらず終いだった。
オタクグッズの専門店に入った。色んなオタクグッズに囲まれ、それだけでレナは楽しそうにしていた。途中、とあるアニメのマスコットキャラのぬいぐるみと、レナはにらめっこを始めた。
「欲しいなら買ってやるぞ」
「んー……ちょっと惹かれますけど、こう大きいのはちょっと。スペースや掃除のことを考える、と」
悩みながらもそう応えた。遠慮でもなんでもなく、考えた末の結論だった。その道筋が完全に主婦のそれである。
そうやって大型雑貨店や衣料品店、中古本屋などあっちこっち出入りしたが、お眼鏡に適うものがなかったのか、なに一つ買わず。けれどどの店も、出ていくときの顔は満足げであった。
クリスマスらしさなんてものはそこにはない。けれどレナにとって、今日は十分に非日常を謳歌しているのだろう。
陽の光の下、対人の憂いなく、自らの足であちこちを見て回る。それがレナにとって、ずっと久しかった特別なことなのだ。それこそ特別な日に相応しいと呼べるほどの。
なにもしていないようでしている内に、あっという間に夕暮れ時。
今日の予定で、レナは訪れたいスポットは二つある。
一つは家電量販店。あれはもう午前中に消化した。
だからここが、今日の予定にあった最後の場所となる。
「まさかおまえが、水族館なんて行きたがるとはな」
そう、水族館。
真っ先に決まった予定であり、レナにとって本日の目玉である。
「意外でしたか?」
「ああ、意外だ。女の子趣味すぎて、おまえに似合わん」
「酷い言いようですね。これでも女の子らしく、思い入れがあるんですよ?」
「水族館にか?」
「はい。……いえ、正確には水族館そのものじゃないですけど」
レナは今日一日握りしめている手を引いてきた。
進む先は館内ではなく屋外エリア。グルっと左回りに館内を進んでいく。カワウソやアシカなどには目もくれず、その足取りは目的の場所まで止まることはなかった。
それは開放感溢れる水槽だった。ガラスの向こう側にあるのは、都会のコンクリートジャングル。その光景はまるで水没都市のようだ。大きくオーバーハングした水槽は、空を見上げればまたそこも水の世界。まるで重力に逆らったようであり、だからこそ本来飛べないはずの鳥が、空を自由に羽ばたいているのだ。
「ペンギンか」
丸い頭とずんぐりむっくりのなで肩の二足歩行。生まれたときから可愛い可愛いと、生きているだけで尊ばれる。それは成長し、大人になってからも変わらない。よちよち歩きで行進するだけで、女子供からキャーキャー言われるのだ。老衰まで水族館のアイドルであり続ける。
これが人間の大人なら、キャーキャーの意味合いが変わってくる。往来をヨチヨチ闊歩しようものなら、それこそ通報される案件である。同じ二足歩行のずんぐりむっくりでも、ペンギンとはえらい違いである。
そういう意味ではペンギンは、人は見た目で差別するを象徴する生物かもしれない。
「そんなに好きだったのか?」
「一番思い入れのある動物です」
そっと微笑を浮かべながら、レナは空を羽ばたくペンギンを見上げている。
一番大好きではなく、思い入れるのある動物。
その顔は楽しそうでありながらも、過去に馳せながら憂いを帯びていた。
「そっか……だったら、ショーとかやってなくて残念だったな」
そこまで思い入れがあるのなら、ペンギンショーの一つくらいあったら、もっと楽しい日になっただろうにと、少し残念に思った。
「いえ。むしろこれでいいんです」
けどレナはかぶりを振った。
「だって、もしこの子たちがショーをやったら……きっと、完璧なものを求められちゃいますから」
そんなことにならなくてよかった。その顔はそう物語っていた。
「そりゃ、金を払った人前でショーをやるんなら、ぐだぐだしたもんは見せられんだろ」
「そのぐだぐだしたものを見せるペンギンショーが、この世にはあるんです」
「どんなペンギンショーだよ」
「言うことを聞かないペンギンショーです」
「それはまた、凄いショーだな」
よどみなくもたらされたものがおかしくて、思わず噴き出した。
「冗談だと思ってますか? 実在するペンギンショーなんですよ」
調べてみるよう促されたので調べてみたら、本当にあったので目を丸くした。『言うことを聞かないペ』までスマホで打ち込むと、検索候補で出てきたのだ。
「どんなショーだよ、マジで……」
「ジャンプ台から飛ばなければ、ハードルは横切るし、階段は上らない。滑り台からなんて、よちよちとゆっくり歩いて下りるんです。最後の集合なんて、一匹しか集まらなかったり、とにかく飼育員の言うことを聞かないんです」
「すげーグダり具合じゃねーか」
「ええ、凄いグダグダなんです。言うことを聞くかどうかは、その日によってのペンギンの気分らしいです」
「言うこと聞くかどうかが博打とか、凄いショーだな」
「でも、それがあそこの名物なんです」
レナはとてもおかしそうにしている。
「言うことを聞かない前提だから、やり取りがコントみたいでおかしくて。そんなペンギンたちに飼育員だけじゃなくて、観客皆で喜んで……そのほのぼのした雰囲気が、とても温かいんです」
空を飛ぶペンギンをレナは目で追った。
「あんまりにも面白かったから、来年もまた三人で来ようねって……約束、したんだけどな」
頬を綻ばせながらも、レナの目元はどこか水っぽい。
かつて交わした家族との約束。それは反故されたのではなく、果たす機会を第三者によって永遠に取り上げられたのだ。
「ずっと……わたしはあの水族館のペンギンになりたかった」
だからその願いは、幸せを失ったことにより胸に宿ったものだろう。
「できなくてもいい。無理をしないで、いつだってそのときの気持ちに寄り添ってほしかった。人前の前でやりたくないことを、求めないでほしかった。完璧なショーを演じる場で、訓練をしろって言わないでほしかった」
残された唯一の幸せ。
いつしか最後の一つも見失い、唯辛いものに変わっていた。
「大好きだったから……甘えさせてほしかった」
その言葉に強い感情を乗せることはなく、淡々と失われたものを語っていった。
俺にはレナの気持ちがわかるなんて、とてもじゃないが言えない。同情や共感もできやしない。
でもそれは、レナがどうでもいい他人だからではない。経験がないことを、知った気でわかると言いたくないからだ。
レナには幸せな時代があった。父親はどれだけあれでも、家族の愛を注がれてきた。それこそその胸に、綺麗な花が咲くほどに。
しかしある日突然、幸せは取り上げられ、不幸のどん底に陥った。
その悲しみ、絶望はどれだけのものだったか。素晴らしい花が咲いたことのない身では、リアルには感じられない。
それでも、今その胸に抱えている辛さ、その苦しみくらいは読み取れた。
「レナ。知っての通り俺は、遵法精神なんざ尊んじゃないし、人の不幸を笑っちゃいけないなんてモラルはクソみたいだと思ってる。そんな社会に向かって中指立てた、ろくでもない大人だ」
突拍子もない話の転換に、レナは目をパチパチとさせた。
「でもな、ろくでもないなりに一人の大人として、この社会の在り方がどんなものかくらいは弁えている」
「例えば、どんなものですか?」
レナは意図を掴めないなりに、俺がなにかを伝えようとしているのを感じ取ったのか。曖昧模糊ながらもボールを返してきた。
「そうだな、例えば子供の問題ってのはな、乗り越えられるかを正しく見極めて、導くのが大人の役割だ。子供の自助努力だけで全てを解決させようっていうのは、絶対的な間違いだ。少なくとも、この国の社会規範ではそうなってる」
ゴクリと、喉を鳴らす音がした。なんの話をしているのかわかったのだ。
「だからおまえが抱えていた問題は、周りの大人が問題解決、その手段を模索するべきだった。それがおまえの周りの大人は、その役割を怠ってきた。ちゃんと問題に向き合えば、俺みたいな奴でも簡単に解決できたものをな。
結局、おまえの問題はそういう話だったんだ」
確かにレナの問題は、自身のメンタルの弱さが招いたものかもしれない。当人もそれは自覚している。それを自身でどうにかする気がないのは、誰だって見ればわかることなのだ。
だから社会規範に則るなら、自分の問題に向き合おうともせず、逃げ続けてきたレナが悪いのではない。こんな簡単な問題を放置し続けてきた、周りが悪かった。
「っ……!」
ギュッと、繋がれた手に力が入った。
足元をただ見下ろすその横顔は、悲痛なものに満ちていた。
唯一向き合い続けてくれた相手が、始まりからずっと同じことしか繰り返さない。世界で一番想っているのを知っているからこそ。なんで自分のことをわかってくれなかったのか。そんな簡単なこともわかってくれない現実が、ただただ辛いのかもしれない。
「そしておまえの姉は、ただの子供にすぎなかった」
「あ……」
だからレナが忘れていた現実を突きつけた。
「偉そうな教師に社会とはなんぞやと語られる場所で、真面目にやってきただけの子供なんだ。社会をまだ知らない未熟者に、子供を導けなんて流石に酷な話だろ」
「あぁ……」
レナの喉が震えた。
「社会で生きていく上で大事なものを知りながら、お勉強さえできればそれでいい。おまえがこうなったのは、そうやって放置してきた大人の責任だ。」
ポン、と。空いた手をその頭に置いた。
「だからな、レナ。おまえが辛くて苦しかったのは、全部親と社会が悪いんだよ」




