09
駅構内の立ち食い蕎麦屋が、期間限定メニューを更新した。
燻製のり弁ピリ辛グリーンカレー蕎麦という、七百円の大台に乗ったその一品。中々にキワモノ臭あふれているが、その中身は名前通り。のり弁に入っている揚げ物を燻製して、ピリ辛グリーンカレー蕎麦にトッピングしているだけだ。
絶対注文したら後悔する。不味いからという意味ではない。まあこんなもんだよな……、となるのがわかり切っていたからだ。
七百円の大台でそんな気分になるくらいなら、その半値以下のざるそばこそが、正義でありジャスティス。お財布にも心にも優しく、悶々とせずその日を終えられるというもの。
食後、後悔をこの胸に秘めながら、日常と非日常の境界線たる重厚な扉をくぐり抜けたのだ。
元美男子の美女に無言で出迎えられ、勝手にその定位置へと腰を下ろす。
おしぼりより先に差し出されたそれを受け取り、
「おつかれ」
「おう、サンキュ」
ねぎらわれた後、一気にそれを呷ったのだった。
今日は金曜日。
この一週間溜めてきた愚痴、ああでもない、こうでもない、なんてくだらない話を始めるのだ。
というわけではない。
かつては野口を生贄に捧げ続けてきた金曜日だが、今は誰の犠牲も必要としない。顔を出す目的の習慣が、定例会という形に名を変えたのだ。
「もう、あれから一年経つのね」
グラスから口を離すのを見届けたガミは、ポツリとそんなことを漏らした。まるで過去を懐かしみ、つい情感が溢れてしまったかのように。
「早いもんだな」
そんなガミに同じ思いをまた抱く。
今は五月。かつてのヨーロッパの結婚解禁日まで、残り二週間と差し迫っていた。
一年前、新たな非日常の扉が開く一報が届いたのだ。
『センパイ、オフ会しましょう』
一閃十界のレナファルトからのオフ会のお誘い。
五年の付き合いである、ネトゲで知り合ったコーハイ。名前も顔も年齢も、そして性別すらわからなかった友人。
その正体はなんと、巨乳JK美少女であった。
飛行機の距離を家出してきたレナは、自宅警備員として雇って欲しいと願い出た。人生積んでいるから現実逃避がしたいと、俺と共に戦場を駆け抜ける覚悟までしてきたのだ。
満足したら姉のもとへ行くからというレナを、俺は受け入れた。
人生最大級のリスクを背負ったあの日から、丁度一年の時が経とうとしていた。
「まさか未だに抱え込んだままでいるなんてね。ほんと、タマらしいわね」
「我が事ながら、よくここまで流されたままでいるな」
一閃十界のレナファルトは、未だに自宅警備員として我が家で活躍していた。
そう、一年。一年もの間、巨乳JK美少女を自宅警備員として雇用し続けたままでいる。かつてはただの家出娘であったレナは、行方不明者へとクラスチェンジを果たしたのだ。
マジでシャレになっていない。
レナいわく、ネットで自分の名前を検索かけても出てこないようだ。
どうやらレナの親は、近々政界へと進出を狙っているらしい。だから一番大事なのは世間体。娘が家出した上に、失踪しただなんて醜聞、世間へと晒せるわけがない。もしかしたら、行方不明者届すら出していないのではないかという始末だ。
もしそれが本当なら、ろくでもないことこの上ない。
娘が失踪し放置し続けてきた事実。それが公となったとき、さて、世間へどう弁明するつもりなのか。
シングルファザーとレナのコミュ障っぷりを全面に押し出し、そして長女がいかに出来た娘であるかを語る。そんな長女の側にいたいと向かったのだから安心していた。男親一人では足りないところを、長女に任せっきりで甘えていたのだ。せめて娘たちを不自由ない生活を与えられるように、仕事人間であったことの不甲斐なさを反省した素振りを見せる。娘たちとの時間をもっと大切にしていれば、と泣いた姿すら演じるだろう。
上手くいくかはさておくとして、そうやって辻褄が合せながら乗り切るつもりらしい。
そういう親なんすよ、とレナは最後にそう締めくくった。爆速タイプで迷うことも考え込むこともなく、未来の台本を読んできたかのごとく。
レナにとっての父親への想い、その関係性が、そこに全て詰まっているのだろう。
「一年前、自宅警備員を雇用することになった、って言われたときは笑ったわね」
「しかも巨乳JK美少女だ、って続けたら腹を抱えてたな。ツボに入ったかつての笑い方、そのまんまだったよ」
カッコイイ美女が腹を抱え、カウンターを何度も叩く姿を想像するといい。ガミの本質を知らぬ者が見れば恐怖体験そのものだ。
一年前の金曜日。その次の日。
約束通りガミに、全てを打ち明けたのだ。
「こんな面白そうなことになってるなんて、やるなタマ! 見直したぞ!」
なんてかつての美男子が、美女の中に蘇った。
一通りギャハハと笑った後、話を全部聞かせろと根掘り葉掘り問い詰められた。店なんて開けてる場合じゃないと、ガミも一緒になって飲み始めたのである。
そのときの心理描写を含めて赤裸々に語ると、愉快痛快とばかり両手を打つ。それこそチンパンジーのごとく、
「バッカだな、食っちまえばいいのに。タマは童貞こじらせすぎなんだよ」
と逐一大爆笑してくれるのだ。
「遵法精神って知ってるか?」
「そんなの運転免許と一緒だ。持たずに運転しても、バレなきゃ捕まらないんだよ」
なんてハッキリと切り捨てる。
「そもそも無免許運転してる奴に、そんなくだらんもん問われたくねっーつーの」
まさにその通り、返す言葉もない。
そうやって一通り語り終えた後、
「あー、笑った笑った。こんなに笑ったのいつぶりだ」
ご満悦のようで、まさに素晴らしい酒の肴となったとばかりだ。
ガミがこんなに爆笑しているのを見たのは、妖怪人食い唐揚げが世を騒がせた高二以来か。
東京を恐怖のどん底に陥れた、まさに現代のABC殺人事件。聞くも涙語るも涙の真相に、吐きそうなほどにガミは抱腹していた。過呼吸となったガミを保健室に運んだのは今でも忘れられない。
巨乳JK美少女を自宅警備員雇用したことは、ガミの道徳観を持って許されることであり、面白い話の種に過ぎないのだ。
「こじらせ童貞が、箱入りヒッキーと一つ屋根の下なんざ、困ることも出てくるだろう? その辺りの面倒は見てやっから、今後金曜日は定例会な。週にあったことは全部吐き出せ。いいな?」
と、ガミの命令によって、金曜日に定例会が発足したのだ。『こんな面白い話をしてくれんだ、金なんて取れねーよ』と、ゼロ円飲み放題プランも開始したのだった。
人の抱え込んだリスクや問題を笑い話にするのはどうかと思うが、ガミのサポートは正直助かっている。
清らかな戦乙女の白昼夢と監獄に囚われている男には、決して知り得ぬ女の裏側。わかっていても男では立ち入れぬ聖域、ガミはそこへと踏み込める。物理的に必須なものなど全て用意してくれるのだ。
男よりそれをもたらされることを、レナがどのような煩悶を抱えているかは知らない。表面上はいつもの一閃十界のレナファルトを貫き通していた。
「ほんと、タマも変わったわね」
「変わった?」
「そ。一年前と比べて、見違えるほどにキリっとしっかりしてるわよ」
男前でもなく、イケメンになったでもなく、キリっとしっかりしている。
それがどういう意味を指しているかわからぬ俺でもない。我が事ながら、その辺りの変化は実感している。
レナを自宅警備員雇用してから、私生活が日に日に向上していった。
お手伝いさんありきのパラヒキニート。家事スキルは一切ゼロ。
それが今やハウスキーパーもビックリな高みまで登っていた。
頼みたかった家事回りを教えた当時は、本当に今まで何もやってこなかったのかと実感した。何事もわからぬことばかりであったようだが、一度教えたことは二度と聞くことはなかった。
そうやって二週間後。俺がやっていたことは一通りできるようになっていた。
頼まずとも全てこなしてくれるその様は、まさに守破離の守を忠実に守り続けたのだ。
一ヶ月後。俺が教えたレシピ以上の料理が出てくるようになった。知らぬ間にワイシャツのアイロンがけがされていたり、アルミサッシのレールが綺麗になっていることに気づいた。
守破離の破の段階へと到っていたのだ。
三ヶ月後。朝はコーヒーしか飲まない俺が、ホットサンドなんて齧りながら、弁当片手に出勤するようになっていた。ブラッシングされたスーツと、糊のきいたパリっとしたワイシャツ、そして黒光りする革靴を装備しているその様は、まさにできる社会人そのものだ。疲れて帰れば風呂と共にタオパンパが用意されている。
守破離の離の境地へと辿り着いていたのだ。
圧力鍋、スキレット、低温調理器、ハンドブレンダーなどといった、料理動画に影響され買っては腐らせてきた数々を、完全に使いこなしている。
キッチン周りも水垢から油汚れなど見当たらない。昭和のクソトメみたいに意地汚く、あっちこっち人差し指でなぞろうとも埃なんてつきやしない。
身にまとったものを次着るときは全て洗濯済みであり、寝具は常に柔軟剤の匂いを漂わせていた。
座敷わらしとかブラウニーなんて、そんな下等種族どころではない。
『そこはご指導ご鞭撻お願いっすね。ラーニング速度は神童なんで、ゼロが一にさえなれば、後は戦いの中で成長していく系っす。そのままメイド属性を獲得する予定なんで。メイド王に俺はなる!』
前言を違えることなく、レナはまさにメイド王となったのだ。
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