04
レナはくすっと微笑んだ。それはどこか安堵したようなものであり、照れくさそうでもあった。らしくない話をしたことにではなく、改まってこんな話をしたことが面映ゆかったのかもしれない。
「センパイは、どうだったんですか?」
「どうだったって、なにがだ?」
「えっと……」
だからこうして話題を変えようとしたのは、照れ隠しのそれだったのだろう。後先考えず口に出たものだから、そこに中身はなかったのだ。
「家族で外出したとき、楽しみだった――あっ……」
レナはパっと口元に手を置いた。意図せぬ失言をもたらしたものを封じるように。
ばつの悪そうに、レナはしゅんと肩を落としている。
なぜこんなにも気まずそうにしているのか。
「そんな風に気を使うな」
「でも、嫌なことを思い出したら……」
「俺の中じゃとっくに割り切ってることだ。あんなクソみたいな親もいたな、ってな」
俺が両親にどのような思いを抱いていたか。それを知っているからだ。
母親はもういないし、父親とは決定的な溝ができている。でも小学生くらいまでは、家族揃って外食をすることもあれば、年に一回のペースで旅行もしていた。
家族との思い出を作るイベントがあった、どこにでもある普通の家庭だ。
「ただ、どこを探しても素晴らしい家族の思い出、なんてものがないのは確かだな」
ただし、俺にとってはその全てのイベントが、楽しいものではなかっただけだ。
「ま、向こうは楽しいものだったとして、昇華してるんだろうけどよ。それは全て、俺の努力と我慢で成り立っていたものだ」
「……なにか、させられていたんですか?」
「させられていたというよりは、せざるえなかっただけだ。親に恥をかかせる真似はしない、行儀のいい子供役をな」
やれやれとわざと肩を落とす。
「あいつらの性格は、前に話した通りだ。箸一本落とすだけでも、落ち着いて食べろとギロリと睨む。コップを倒す真似なんてもっての外。その場その場のマナーを守るのに必死で、家族での外食に気の休まるときなんてなかったな」
フライドポテトの容器を傾け、口の中に流し込む。それこそこんな無作法、あいつらの前では許されなかった。
「家の飯も、今日の夕飯はなんだろな、なんて楽しみを覚えたことはなかった」
「家でも……そんなに厳しかったんですか?」
「外食のときほどじゃない。奴らもテレビを垂れ流しながら、ペチャクチャ言うのに忙しかったからな。俺が箸を一回転がすまでに、百回は転がしてるんだ。人のことを言える身分じゃないって分別くらいはついてたんだろ」
こうやって振り返れば、まさに人の目を気にする生き方を地でいく奴らだった。
「ま、外食ほど気を張らないとはいえ、家での飯はそれはそれで気が滅入っていたがな」
「気は張らないけど、気が滅入る?」
「ああ。なにせあいつらは、いっつも怒ってるんだ」
「怒ってるって……この上なにを、センパイは怒られていたんですか?」
「いいや、怒っているのは俺にじゃない。社会に向かってだ」
レナは意味を図り損ねてきょとんとした。
「子供の虐待死やイジメを苦にとか。居眠り運転が突っ込んだり、ひき逃げが捕まってねーとか。企業が談合したり改ざんしたりインサイダーしたり。政治家の金銭トラブルから問題発言、芸能人の飲酒運転や不倫みたいなくだらねースキャンダルまで。
毎日のようにテレビで流れる、この社会で起きるあらゆる悲劇や不条理、問題にいつも怒ってるんだ」
あれは今となっては鼻で笑える光景だ。
「けしからん、許せない、なんてことだって。自分たちに関係ないことなのに、まるで当事者のように憤る。そのくせ面白いことめでたい話には、つまらなそうに鼻を鳴らすんだ。むしろはしゃいでいる奴らを、こんなことで大げさだって小馬鹿にする始末だ」
コーラを一口飲んで、喉をしめらせた。
「胸が苦しくなるほどの心が痛んだとか、悪を許せないって正義感あるならまだ救いはある。でもな、あれにはそんなものはない。そんな素晴らしい精神があるなら、この悲劇を忘れるなとか、不条理を許すなとか、問題を解決しようとか、行動に移すだろ? でも、そんなことは一度もない。ボランティアどころか、自発的に募金すらしやしない」
「……センパイの両親は、なにが許せなかったんですか?」
「気に入らないものにヘソを曲げる子供と一緒。ただ自分たちの機嫌を損ねるものを許せないだけなんだ」
この結論を曖昧ながらも胸に宿すも、言語化するのに二十年かかった。ならあんな親だから考えるだけ無駄な存在だと、無関心にすら達していた。
「機嫌を損ねるとわかってるものに、目を逸らすどころか光らせる。機嫌を損ねて怒ることこそが、自分たちの使命だとばかりにな」
「なんで、そこまでして……」
「あれはもうクセだ。そんな習性の生き物なんだよ。最初は本気で怒ってたのかもしれんが、テレビをつけてりゃ人の不幸は日常茶飯事。それが習慣になった結果、怒ることが目的になったんだろうな。
なにをそんなに必死になって、自分の機嫌を損ねてるんだこいつら……って。ガキんときは不思議でしょうがなかった」
こうなった今なら割り切れる。そんなバカな生き物だから仕方ない、と。
「奴らにとっちゃ、それが生き甲斐、使命なんだからいいけどよ。毎日決まった時間に、ガミガミガミガミ、グチグチグチグチ聞かされるほうは溜まったもんじゃない。俺に向けられたものじゃないとわかっていても、気分が滅入るってもんだ。さっさとその場から立ち去りたいだけの飯時だった。
だからさっさと飯を掻っ込んだ。味なんて気にしちゃいないし、不味くなければそれでよかった。おふくろの味なんてものは、まるで覚えちゃいねー」
味にこだわり出したのは、自分で飯を作るようになってから。なにも気にせずゆっくりと食える環境を享受したおかげである。
「ま、そんなわけでテレビってのは好きじゃなかったな。クソ田舎だからろくなアニメも入らんし、一人のときはゲームや漫画漬け。だからパソコン……ネットとの出会いは神だった。好きなものだけを選んで、色んなものを見られる機械。自分の世界が一気に広がった気がした」
今どきパソコンくらいは使えなければと、ある日突然、父親のほうがパソコンを買ってきた。店員の前で見栄を張ったのが、勧められるがままのものを買った。ワードとエクセルしか使う気がないのに、こんなスペックいらんだろ、という品だ。
そこでネットを契約し、さあパソコンを覚えるぞと挑んだのも三日坊主。俺が手を出さなければ、超高級なタイピング機器としてその役目を終えるところだった。あのときばかりは、見栄っ張りに感謝したものだ。
どうやら俺は、小学生ながらパソコンを使いこなしているように見えたらしい。だから好きなだけやらせてくれた。延々とネットサーフィンをしているだけだというのに、ブラインドタッチでカタカタしている姿、その形が良かったのだろう。
ネットの世界にドップリ浸る土壌は、こうして生み出されたのだ。
「そんな広がった世界で、うちの親がマシな類だと知った。なにせネットには、人の不幸に脊髄反射で飛びついて、気分を損なったって怒り散らす。そんな当たり屋のような連中がうようよといる」
ネットに繋がるパソコンが、一家に一台あって当たり前ではない時代。今の時代と比べると、まだあの頃は平和と言えたかもしれない。それでも当時子供であった俺は、それこそ頭を鈍器で殴られたような衝撃、新たな価値観を得たのだ。
「はてにはこの気持ちに同情共感できない奴は人非人。悪だとばかりに噛み付いてくる始末だ。こういうのはそれっぽい形を整えた、声の大きい連中に軍配が上がるからな。たとえ同情や共感ができなくても、そいつらにくだるしかない。
そうやって人の不幸を、皆一緒になって気分を損ねる真似をする。……ほんと、バカみたいだ」
なにが楽しくて、そんな真似をしなければならないのか。あまりにも滑稽であり……けれど、そうしなければならないのだ。
「でも、これがこの国の美徳なんだからしょうがない。中身なんてなくていいから、形くらいは取り繕わんといかん。……そうやって形から入った結果、うちのモンスターみたいなのが生まれるんだろうな」
あれはまさに、いい反面教師だった。
「俺は絶対にああならない。どうでもいい奴の不幸に、同情も共感もしない。機嫌を損ねるだけの不幸に、興味を向けない抱かない。そう心に決めたんだ」
そういう意味では、俺の人間性はただあの親のもとで育ったからではない。
ネットという世界。匿名だからこそ吐き出せる、ろくでもない人の本音。本質を知る機会を、幼い時代に得られたからだろう。
「だから人の不幸ってのは、笑えるくらいが丁度いいんだよ。笑ってるうちは、機嫌が損なうことはないからな」
どうでもいい他人に恵んでやる、博愛主義者にだけはならない。不幸になるのは勝手だが、俺の見えない聞こえないところでやってくれ、っと。
フライドポテトを口にしたが、すっかり冷めてしなびていた。レナではないが、どうやららしくないことを喋りすぎたようだ。
声に出すのは、一つの呪いである。
なぜなら感情が乗る。それに引っ張られるから。
「えっと……」
こうして人に伝播する。
レナはどう自分が応じるべきか迷っている。きっと手を動かすのなら、この状況をネタに落とし込めるのだろうが。この空気を茶化す能力は、まだその喉には備わっていないようだ。
「ま、話は大分逸れちまったが、『今日の晩飯はなんだろな』なんて今みたいな楽しみはなかったわけだ」
淀んだ空気を払うように、おどけたように歯を見せた。
笑える話、着地地点としては悪くないだろう。実際、これは一つの本音である。
「今日はそんな楽しみを提供してくれる社員に、羽を伸ばしてもらおうという粋な図らいなわけだ。だから遠慮はいらん。なんでもしてやる」
レナもそんな思惑を見抜いたのか。
それでも自らの行いの評価には、社交辞令はないと受け止めて、
「今、なんでもって言いましたか?」
人の言葉尻を捉えて、おかしそうにニマニマと笑うのだった。
当作品は作者の主張、メッセージ性を込めることは一切ありません。
劇中で語れる全てはキャラを作り上げる設定であり、物語を進めるプロセスであります。
犯罪の教唆や幇助をするものではありませんので、それだけのご理解をお願いいたします。




