08
『今回のことで、姉さんに泣きついても無駄っす。優しくはしてもらえますが、最後には学校へ行くよう諭されるだけ。アレルギーは治る。少しずつでいいから。ちょっとずつならしていこう。貴女のためを思って言っているの。大丈夫、絶対に良くなる。だって貴女は私の妹だもの、って』
それは実際言われてきたことなのだろう。
自分のことをわかってもらえない憤りか、はたまた悲しみか。
『姉さんは優しくても甘い人じゃない。辛いかもしれないけど、皆そうやって生きているんだってロジハラしてくるんすよ。人生甘ったれている自分に、優しくしかしてくれません』
姉への想いは憎しみか、はたまた諦念か。
どちらにせよ、キーボードくんに八つ当たりするかのように、その打音は激しかった。
『家では親に怒られて、姉さんを頼れば優しくされる。相反したことのようで、求められることは同じなんすよ。いいからアレルギーを食べて克服しろ、ってね。いや、もう無理っすね。自分が一番悪いのがわかっているのと、できるのはまた別ですから。
センパイ、自分はもう、人生詰んでるんすよ』
また、同じ言葉を繰り返す。
人生詰んでいる。
自暴自棄に追い込まれるほどに、レナの心はすり減っている。顔も知らぬ男にしか心が開けず、現実逃避がしたいとすがってしまうほどに。
レナは覚悟を決めて会いに来たのではない。逃げ場がない現状に追い込まれて、覚悟を決めねばならなかっただけなのだ。
『巨乳JK美少女なんて驕りこそありませんが、巨乳JKとしての誇りはありました。だからセンパイに初回特典を差し出して、現実逃避に付き合ってもらいたかったんす』
現実逃避のためならば、もうなりふり構っていられない。自らが持つ価値ある対価を切り売りして、尊厳すらも貶めて、現実から逃げ出し夢の世界を耽りたかった。
夢が覚めた先に救いなどなくてもいい。
現実に戻った後のことなど考えてすらいない。
付き合いはたった五年。されどレナにとって人生の三分の一。
一閃十界のレナファルトは、人生のセンパイにその場しのぎの支援要請を求めたのだ。
『それが攻城戦無期延期と言われたら、マジで自分は迷惑かけるだけの存在っすね……』
成人男性のもとへ、女子高生が転がり込む。
いくら攻城戦の事実も、整備員としての業務がなかったとしても、表沙汰になれば俺が辿る末路は決まっている。我がご尊顔と真名がお茶の間デビューし、ネットでは羨ましい妬ましいとこぞって叩かれるのだ。
正しくレナはそれを受け止めている。だから俺の迷惑を、攻城戦や整備員として買収しようとしたわけだ。
今回の家出。レナは人生を賭けたのかもしれない。
直前になって俺と連絡を取り、それでダメだったならそこまで。大人しく姉のもとへと転がり込み、予定調和の詰んだ人生のレールへと戻る。
だが俺と連絡がついてしまった。こうして家まで上がりこんでしまった。
なら当初の目的通りレールを外れて、唯一心を開ける相手のもとで現実逃避を行う。
どちらにせよ、待っているのはろくな未来ではない。
レナの賭けは、行き止まりの道で終わりを待つか、堕ちるとこまで堕ちて終わりを迎えるかの違いだ。レナは後者のほうに、希望ですらない一時の夢を求めたに過ぎない。
ハッキリ言おう。俺にレナを救うことはできない。
俺はいつだって楽なほう楽なほうへと流されて、向上心もなく現状維持で、買ってもない宝くじが当たるかのような幸運を待ち望む、模範的なだらしない社会人だ。
人生のセンパイだなんて慕われているが、レナに新たな道を示し、導き、自らの足で未来へと歩んでいけるようにはしてやれない。
できるのはただ、その望みを黙って叶えてやることだけ。
一緒に問題から目を逸らし、未来のことなど考えず、無責任に甘やかしてやることだけだ。
一時しのぎでその心を癒やしてやることはできても、長い目で見れば、決してレナのためにはならない。
そんなことはわかっている。
「ま、乗りかかった船だ。いたいだけいたらいい」
なのに自然と出てきたのはそんな甘えであった。自己保身に走ることにおいて他の追随を許さない俺にしては珍しく、誤った方針だ。
ふすまの向こうから「えっ」なんて声が漏れ出した。呆然としてたように軽い打音は短く鳴った。
『でも』
レナは今、どんな顔をしているのだろうか。息を飲むような、そして躊躇うような静けさが漂ってきた。
ここでふすまを開け、その頭にポンと手を置いて『今まで辛かったな。大丈夫だ、俺だけはおまえの味方だ』なんて無責任なイケメンっぷりを発揮したら、この胸元にはたわわな果実を押し付けられるかもしれない。抱擁の果てに二人は幸せなキスをして終了、ハッピーエンド、完。
なんて行動を移せる胆力があれば、今頃年収百万アップだ。ふすまを開いた先で煙を浴び、ジジイにジョブチェンジしても困る。
「その代わりだ。俺のことは絶対バレないようにしてくれ。嫉妬に狂ったネット民の玩具はマジ勘弁だ」
ここはグッと堪え、安定の保身に走ることにした。
『勿論です。センパイを売るくらいなら、無敵の人としてこの名を世間に轟かせるっすよ。家族親戚田中もろとも道連れだ!』
「田中が理不尽すぎる」
いつもの調子でネタを挟むレナ。それを笑いながら丁寧に拾って返す。
『センパイ、ありがとうございます。やっぱりセンパイは、自分にとって大きな存在です』
そして返ってきたのは、真っ直ぐなまでの感謝の想い。
『こんな自分を受け入れてくれてほんと感謝。そんな貴方にガチで感謝。こんな友にマジ感謝』
ネタを挟まなければ死んじゃう病に侵されているレナは、すぐにまたネタに走った。これは発作なのか、はたまた照れ隠しなのか。
「ラップの感謝率は異常」
『センキュー! センキュー!』
「今どんな顔してんのか見にいくわ」
『ノーセンキュー!』
立ち上がる気配を察したのか、ガタッ、という物音と共に「ひゃ!」という小さな悲鳴。それがおかしくて、つい笑ってしまった。
「後はあれだ。家事くらいはやってくれ。それだけでだいぶ助かる」
『お手伝いさんありきのパラヒキニートに家事ができるとでも?』
「ケッ、クソ雑魚ナメクジかよ」
『そこはご指導ご鞭撻お願いっすね。ラーニング速度は神童なんで、ゼロが一にさえなれば、後は戦いの中で成長していく系っす。そのままメイド属性を獲得する予定なんで。メイド王に俺はなる!』
「対人恐怖吃音症パラヒキニートクソ陰キャ処女メイド巨乳JK美少女の誕生である」
『我が事ながら属性過多すぎてマジ笑う』
ふすまの向こうからも、クスリという音が鳴らしていた。
とんでもない決断をした気もするが、そんなことはまるでない。なにせ決断なんてなにもしていない。
ただただいつものように、無責任な方向へと流れだだけだ。
楽なほう楽なほうへと、未来の自分に責任をぶん投げたにすぎない。
『センパイ』
本人同士の同意の上でも、これは決して褒められたことではない。あらゆる詭弁を弄そうとも、これが表沙汰になればこぞって社会は牙を剥く。
我がご尊顔と真名は日本中に知れ渡り、嫉妬に狂ったネット民に叩かれる未来が待っている。
そんなリスクを背負ってしまったが、胸の内に湧き上がる思いはただ一つ。
『貴方に会いに来て良かったです』
ま、なんとかなるだろう。
楽観的ないつものそれだ。
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