13
かくして私は、その家屋を前に立ち止まった。
お世辞にも綺麗とは呼べない外観。かといってなにかの拍子で崩れ落ちる、そんな心配をするほど朽ち果てているわけではない。ただの古びた一軒家。心を動かすほどのなにかを見いだせるほど、面白みは見受けられない。
だからおどろおどろしさを感じ、足を止めてしまったのは、外観ではなく過去にあった。
四十人という命が失われた事故物件。関わってきた者たちに不幸をもたらしてきた凄惨な記録を知っているからだろう。夜の帳が落ちていることもあり、なおさら増長している。
心霊現象に関しては、肯定派ではないが否定派でもない。今の人類には科学的に解き明かせないだけの、未知の事象と捉えている。
わからないからこそ恐ろしい。
あるかもしれないから怖い。
ここで引き返したいという思いが浮かぶほどに、見えないなにかに飲まれてしまった。
でも私がその選択を取ることはない。
扉を抜けたその先に、私が追い求めてきたものがある。
楓。
一年半以上もの間、この屋根の下で暮らしてきた。今も家主の帰りを待っているのだ。
だから今から出迎えることになるのが、私であることは楓にとって思いがけぬことであり。田町創の姿がここにいないのは、あってはならない現実だろう。
胸が張れないものがそこになけれが、社会を味方につけて戦える。
負けるはずのない絶対的な立場だと信じてきた。
いざそういう局面に立ったとき、結果はどうか。
戦いにすらならなかった。
一方的に糾弾をするつもりが、一方的に責め立てられた。攻撃される側になると思わなかった私の手には、身を守る術が備わっていなかったのだ。
なにも楓のことはわかっていなかった。
楓がどんな想いであの男に縋ったのか。
無知であることがどれほどの罪であり悪であったか。
暴力のように現実を叩きつけられ、ろくに言い返すこともできなかったのだ。
だからこの結果は、最後で逆転勝利を収め、勝ち取ったわけではない。
試合に負けて勝負に勝ったわけでもない。
どうしようもないほどに惨敗であった。
なのにこうしているのは、
『テメェに話し合う機会をくれてやる』
見下され、嘲笑われながら、貧者への施しのように恵んでもらったものだ。
一緒に向かえば楓は必ず田町に縋る。それだと話し合いにならないだろうからと、そのまま店に残る余裕すら見せてきた。
鍵一つを与えられ、
「怖気づいたかしら?」
店のマスターである明神さんが、先導役を担ってくれたのだ。
怖気づいたといえば、そのとおりかもしれない。おどろおどろしい事故物件だけにではない。今から改めて突きつけられる現実に。
「今ならまだ、引き返せるわよ?」
明神さんは柔和な笑みを向けてきた。挑戦的に、そんな選択肢もあるんだぞと。
「いえ……」
私はかぶりを振った。
ここで引き返せば、現実を目の当たりにし傷を負うことはないだろう。その代わり、一生ものの後悔を背負うことになる。
辛く苦しい現実は待っているが、まだ折り合いをつける段階ではない。
「楓とちゃんと向き合って、話し合います」
痛みを受け入れる。その覚悟を示すように、鍵を差し込んだ。
あっさりと開かれた扉は、まるで大口を開ける怪物を連想させた。そんな口の中に飛び込むのに、もう躊躇はなかった。
くぐり抜けた先は、なんの変哲もない玄関だ。廊下は照明が点いていない。それでも廊下を見通せるのは、室内扉の一つから光が漏れているからだ。
迷いなどもうなかった。
光が漏れ出した扉、その向こう側の世界。
リビングであることなど一目瞭然の間取り。なのに家具と呼べるものは一つもない。代わりにリビングの隅に、祭壇が主張高らかに設置されていた。
カルト宗教に毒されたような空間。こんなものに出迎えられようものなら、普通なら目を奪われずにはいられないだろう。
でも今の私にとって、そんな視界の端に映る光景は些事にすぎなかった。
「あぁ……」
視界を満たす姿に、思わず吐息が漏れ出した。
大学進学の際、家を出る前に見た最後の姿。髪型から室内着にいたるまで、あのときのままだった。身体的に変化があまり見受けられないのは、成長的に果たして喜べばいいのか。悩ましいところだ。
そんな中、大きな変化は確かにあった。
喜びに満ちた優しい微笑み。
かつて描こうとし、ついぞ浮かばなかった幸せの形。
母さんが亡くなって以来、長らくこの目にすることのなかったものが、今こうして目の前に差し出されたのだ。
でもそれは、私のために生み出されたものではない。
「え……」
だからその幸せの形は、すぐに崩れ落ちることとなった。
「姉……さん」
わなわなと震える口元。あのとき届かなかった音が耳朶を打った。
見開かれた目と、こわばった顔。明かりに照らされたことにより、青ざめていく様をより際立たせた。
昨日の再現。幸せを脅かす、恐ろしい存在と出くわしたものだ。
これが楓が抱く想いであり、私に差し出すに相応しい感情であった。
突き刺さるような痛みが胸に走った。
わかってはいたこと。これがまだ序の口であることも。
第一声は、なんて声をかけようか。色々と考えてきたはずなのに、
「帰りましょう。楓」
自然と出てきたのはこれであった。
今度こそ正しい形で、時間をかけてでもやり直したい。
だから帰ってきてほしいと。
「や……」
楓は小さくかぶりを振る。胸元で両手を組みながら、一歩後ずさった。
そんな楓に追いすがろうとすると、
「嫌……ッ!」
悲鳴を上げたのだ。
こんな声量を上げられる力が、楓に備わっていたことに驚いた。生まれてこの方、これほどに叫んだことはない。
見たこともない姿を持って、私を拒んだのだ。
「なんで……なんで」
慌てふためくその様は、理解できないものに出くわしたようだ。
「……姉さんが、なんで……」
それは私にもたらされた疑問ではない。
ここにはいない者に向かって乞うてるものでもない。
目の前にある現実が受け入れられず、なにが起きているのかもわからず、パニックを起こしたのだ。
まとわりついた嫌なものを振り払うように、楓は小刻みに身体をゆすっている。小さく小さくゆっくりと、相対した猛獣から逃げるように後ずさる。
『いいか、クソ姉。よく覚えておけ』
店を出る前にかけられた言葉を思い出した。
そんなことはない。
そう思い、はたまた願って、私は近づきながら手を伸ばすと、
「楓、お願い話を――」
「やっ!」
乾いた音が響いたのだ。
遅れてジンジンとした痛みが走った。心ではない。伸ばした手だ。
楓に手を振り払われたのだ。
ああ、本当に私は甘かったのだと改めて思い知った。
楓と相対する機会さえに恵まれれば、ちゃんと話を聞いてもらえる。自分を受け入れてもらえる。
だって私たちは姉妹だから。
『もうレナにとってテメェは――』
楓の目からは涙と共に、苦しい嗚咽が漏れ出した。
「助けて、センパイ……」
楓にとって私はもう、血が繋がってるだけの敵なのだ。
以上、否融通社会軌条ノ機関者はこれにて閉幕です。
え、と思われる方も多いとは思いますが、ここまでを第一部。
以降を第二部として進めたいと思っております。
方針につきましては活動報告のほうでさせて頂いております。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1426905/blogkey/2815158/
第二部になりましたらようやくレナが出ずっぱりになりますので、今しばらく第二部をお待ち頂ければと。




