12
今回の話はまどかにとっても、降って湧いたような話である。気持ちを割り切るなんて簡単にできることではない。それでもまどかは、自分の立ち位置をハッキリさせた。
恋ではなく、友情を取ってくれたのだ。
「ええ。ありがとう、まどか」
全幅の信頼を置ける味方が自分にはいる。
それだけで気持ちは軽くなる。
気持ちに倣うような足取りは、目的の場所を前にして止まった。
一見の客を拒むような、中の様子を伺える小窓一つない。店先の明かりはついていない。扉横の看板は『CLOSED』と示している。
まどかは扉に手をかけながら、私に顔を向けた。逡巡しながらも、私は黙って頷いた。
気持ちはまさに、悪の根城に踏み込むかのようだ。かといって、私たちを出迎えたのはわかりやすい形をした、悪の親玉ではない。ハッと目を奪われるような、妙齢の美女である。
カウンターの向こう側で、私たちを待っていた彼女が、まどかが慕ってきたマスターなのはすぐにわかった。
余裕ある優雅なまでの面持ちは、一度まどかへ向けられる。そのまま視線は私に向けられると、微笑が浮かんだ。
営業時間外の客に向かって、差し出されたのは客商売の挨拶ではなく、
「タマを呼んでほしいのね」
すべてを察した私たちの用向きであった。
「マスター……」
まどかの声は、それ以上は続かない。
この現実は覚悟していたことだ。今日まで差し出してきた信頼が裏切られていた。わかりやすい現実として突きつけられ、声には悲哀の色が塗られていた。
奥歯を噛み締めながら、私は彼女を睨みつける。
まどかの信頼を裏切っておきながら、悪びれようともせず、涼しい顔を浮かべているのだ。
それが許せなかった。『よくもまどかの信頼を裏切ったな!』と食ってかかりそうになった。
一過性の衝動を必死に抑える。
本来であれば、憤り食ってかかるにせよ、悲しみで泣き崩れるにしろ、まどかが感情を発露させたいはずなのだ。場を壊さないように、まどかはそれを堪えているのだ。
すべてはすべて、私のために。
そうやってまどかが我慢によって支えられている場所を、私の衝動で滅茶苦茶にするわけにはいかない。
促されるがまま、入り口より一番近い、カウンター席へと並んで座った。
マスターは電話をかけると、
「今から店に来なさい」
一方的にたった一言だけ告げたのだ。
「すぐに来るそうよ」
電話はそれで終わり。こんな簡単に呼び出せるのかと、疑わしいほどの気軽さだった。
私たちは感謝を述べることも、頷くこともせず、無言で報告を受け取った。
そしてその男は、確かに言葉を違うことなく、すぐに来たのだった。
「いきなり呼びつけて、なんの用だガミ?」
店に入ってきた第一声は、不快感もなければ迷惑そうなものではない。あんな一言で呼び出されながらも、不思議そうにもしていない。
二人の仲からもたらされる普段どおりの日常か。
はたまた、なにかを察していたのだろうか。
どちらでも構わない。
大事なのはただ一つ。昨日この目に焼き付き、描きあげた顔だった。
向こうも私の顔をしっかりと見たのだ。薬にも毒にもならない存在であれば忘れられていたかもしれない。だがらこそ昨日の今日で、私の顔を忘れたなんてことはないだろう。忘れたなんて言わせない。
昨日よりも近い距離で、私たちはこうして相対した。
その顔は、どんな風にこわばるだろうか。
その口は、どんな言い訳を吐き出すのか。
自らの立場はよくわかっており、相応のリアクションがあるはず。
「昨日ぶりだな、クソ姉」
「なっ……!」
なのに顔色を変えないどころか、罵ってくる有様に唖然としてしまった。それこそ立場が逆だったのかと錯覚してしまいそうなほどの、堂々とした佇まいだ。
社会的に私は間違っていない。間違っているのはこの男のほうなのだ。
「援護は欲しいかしら?」
「いらん。そんなものより一杯くれ」
なのに負ける要素なんて一つもない。そう確信している口ぶりであった。
目にする価値もない。私たちを横目にすることなく、入り口より一番遠い席へと腰を下ろした。
どこからその自信は湧いてくるのか。
まどかからもたらされた父さんの対応。それを知っているから、警察沙汰にならない自信でもあるのか。だがそれだけとは思えない。
差し出されたビールを一気に飲み干したことで、男はようやくこちらを向いた。
「さて、これでも社会人だ。自己紹介くらいはしてやる」
傲岸不遜たる態度は、結果のわかっている勝ち戦に臨むようだ。
「俺は田町創」
清廉潔白な人生。
胸が張れないものがそこになければ、社会を味方につけられる。
私はそんな大義を背に置きながら、
「テメェの大好きな妹の就職先だ」
あまりにも無力であることを知ったのだった。




