09
十二月二十四日。
クリスマスとそのイヴ。それらの違いを正しく認識することに、果たして意味があるのだろうか。そう首を傾げてしまうほどに、この国のクリスマスは宗教色が薄味だ。
結局、大切なのは中身ではなく形。特別な日を特別に飾り付けて、楽しみたいだけである。
偉そうにしながら、それを愚かだと主張したいわけではない。なにせ毎年、十二月二十四日という日を、特別に飾り付けて楽しんできた。本来の意義を今更持ち出すほど無粋なつもりはない。
ただ、今年は特別な日として飾り付けたい、と積極的になれないだけ。それでも無視できない付き合いがあり、飾り付けた笑顔の裏では、なぜ放っておいてくれないのかと眉根を寄せるのだ。こちらの事情も伝えないでおいて、身勝手なものだと自虐的な息を漏らした。
ようはクリスマスパーティーのお誘いを、無下に断れなかったのだ。
去年は素直に楽しめたイベントだが、今年はそうはいかない。このような場で楽しむのは後ろめたさすら感じる。
楓は今頃、どうしているだろうか。
飾り付けた笑顔の裏で、そればかりが脳裏を駆け巡る。
逃げ出した先で、元気でいるだろうか。いいや、そもそも楓のような子供が、親族を頼らず居場所を作る方法を考えると……胸が苦しくなる。そして帰るよりマシだと、その方法を取り続けている。はたまた、帰る選択ができない状況に陥っているのか。
どちらにせよ、暗雲が立ち込めたこの気持ちが、楽観的に晴れることはなかった。
これまでの日常を営む。そう折り合いをつけたつもりだが、いつしか息苦しさに限界を迎えた。まどかとの時間以外、楽しいだけの時間に耽られないのが、後遺症のように引きずっている。
一時間もいれば相手の顔を立てることもできたであろうと、体調不良を理由に会場を辞した。
十二月下旬の夜気は、呼気こそ白く染めるが、頬を痛めつけることなくひんやりする程度。夜に出歩くのが辛くないのは、地元と比べた東京の利点だ。ただし外出時の屋内は寒い。温かい服装をしていないとコートが脱げないのが難点。一長一短、いいとこ取りはできないのであった。
冬の夜。七時を過ぎているというのに、外は眩いくらいに明るい。
上京を一度も果たしたことがない者でも、名前を出せば「ああ、あの街ね」と通ずる東京を代表する繁華街。立ち並ぶ建造物によって空は狭く、溢れんばかりの光によって空の輝きは失われている。
クリスマスイヴということもあり、辺り一帯はイルミネーションに満ちていた。
特別な日へと飾り付けた街並みには溢れんばかりの雑踏。前に進むのにも一苦労で、ゆったりとしたまでの足並みを強いられた。
恋人たちがよく目につくのは、クリスマス効果だろうか。必ず一組以上が視界に入る。これが今日の正しい在り方だとばかりに、仲睦まじく寄り添いながら手を絡ませているのだ。
どこを見てもそんな二人たちだらけ。
羨ましいとも、いつかは自分もこんな風に、と思うほどの興味はない。今日はそういう日だと改めて確認するだけの、イルミネーションのようなもの。数秒後にはどんな形であったかも思い出せない雑多なものだ。
そんな雑多にある景色の一部に目が止まった。
心が奪われるほどに理想的な光景だったからではない。後ろ姿しか見えていないのだから、点数はつけられない。
だが、目に止まった。
寄り添っている両人にではなく、片割れの女性にだ。
ベージュのダッフルコートにプリーツのガウチョパンツ。フードを被っているので、後ろ姿からはどんな髪型かはわからない。背丈は男性より頭一つ分小さかった。
そんな面白みを見いだせない、景色の一部に目を奪われたのは、既視感を覚えたからだ。
かつて私が選んだ服。その背格好にまとわれているだけで、珍しくもないはずの姿が、唯一無二に見えたのだ。
楓の後ろ姿に。
たった二歩先にそれはある。
信号は赤。横断歩道を前に二人は立ち止まっていた。
無言でありながらも、気まずい沈黙ではないのだろう。寄り添い、手を絡ませながら、後ろ姿ながらとても幸せそうに見えた。
だから自らに言い聞かせるかのように、かぶりを振った。
他人の空似だ。こんな偶然、あるわけがない。
無理に追い抜いて確かめてみたいという衝動すら湧かなかった。
カッコー、ピヨピヨ、と青を告げる音がする。
向かう方角が一緒なら、その背を追うような形になる。追うなんて言葉に当てはめてしまう辺り、楓であったらいいのに、と未練たらしく思っている証拠だ。
追い抜いて確認しないのはきっと、ガッカリしたくないから。期待するだけ期待して、裏切られるのが嫌なのだ。
一年半以上も行方を眩ました先で、こんな幸せそうに出歩いているわけがない。
このように幸せであってほしいと願う傍ら、本当に楓であったのなら、それはそれで複雑だ。
信号を渡った先は、足並みを強いられるほどの雑多さは薄れていた。
街中に何十もある駅構内への出入り口。
彼女たちはその階段を下るようだ。決して釣られたわけではなく、目的通り私もそこから駅構内へと下ることを選んだ。ただし階段ではなくエスカレーターだ。
一人分ほどの幅しかないエスカレーターは、下りだけではなく上りもある。ただ故障中なのか動いていない。そんな上りの向こう側に階段があった。
彼女たちが階段を下る速度より、エスカレーターのほうが早い。すぐに横並びとなり、意図せず追い抜く形となった。
期待なんてしていない。
けれどもつい肩越しに振り返り、フードの中身を覗いてしまった。
「え……」
その音は、私が漏らしたものではない。もしかしたら、最初からそのような音など鳴っていなかったのかもしれない。
でも本当の音であれ、幻聴であれ、その口元は確かにそのように動いたのだ。
真っ直ぐと、この目とその目はあう。
ずっと追い求めていた、懐かしすら感じる顔。
世界で一番大事な家族のものだったのだ。
「姉、さん……」
音が届くことはなかった。それでもわなわなと震える口元は、そのように動いていた。
目は見開かれ、顔はこわばり、その色は一気に青ざめていくようで……
わかってはいた。
楓が私に抱く想い。
ウォーリーを探さないで。そこにすべて込められていた。
それでも私は、楽観的だったのかもしれない。
顔を突き合わせさえすれば、手を伸ばしてもらえる、と。
だからこそ、咄嗟にその名を呼べなかった。
だってそれは怖いものを目にして、恐れる姿そのものだったのだから。
躊躇した時間。エスカレーターが二段ほど下ったくらいだろうか。
身を翻した楓は、階段を駆け上っていった。寄り添っていた男を取り残すことなく、固く握りしめた手を引っ張って。
楓が恐れているのなら、男は狼狽えていた。
階段を上っていく楓に逆らい、留まろうとすることはない。けれど真っ直ぐとその顔は、私を捉えていた。
青年、と呼べるほど若くはない。かといって三十代ということはないだろう。身なりは小綺麗でこそあるが、これといって特徴的な容貌ではない。街ですれ違ったところで記憶にも残らない、どこにでもいる社会人といったところだ。
だがこの瞬間、私から顔を逸らすたった一秒にも満たない時間にも関わらず、その顔は深く記憶に刻まれた。
あっという間に二人の姿は視界から消えたところで、私はハッとした。
「待って……」
楓の後を追おうにも、これは下りのエスカレーター。一人分の幅しかなく、後ろには人が立ち並んでいる。押しのけて逆走することができなかった。
下りきるまで十数秒か。
今までの人生で、一番惜しくありもどかしい時間である。
届くことはないのはわかっている。
それでも衝動を抑えきれず、
「待って、楓ッ!」
そう叫ぶしかなかったのだ。




