02
「だってすごい殺し文句が出るんだもの。……あーあ、椛が男だったら、わたしの恋の遍歴に黒歴史は生まれず、素晴らしき青春を送れていたはずなのにな」
今度は小さなため息をつきながら、まどかは残念そうに両肩をすくめた。どうやらあったかもしれない幻想を惜しんでいるようだ。
もし私が男であったら、自分たちは付き合っていたはず。
親友相手になかなかの発言だが、これがお酒の席というやつか。まだ二杯目だがどこかのぼせたような、ふわふわとした高揚感。
だから、なにをバカなことを言っているんだ、と笑うところを、
「それは私が男である以上に、あんたを好きになる前提じゃない」
バカみたいな可能性を推し進めてしまった。
「だってわたしの可愛さは罪だって言ったのは椛でしょ? 性格の相性だってこんなにいいんだもの。椛が男に生まれたら、わたしのことを好きにならないわけがないのよ」
まどかのしたり顔は、そんなこともわからないのか、と笑っているようである。
「それに楓ちゃんの引きこもりも、すぐに解決したかもね」
「楓の問題も?」
「椛の男版なんて、女の身勝手な幻想と欲望を、そのまま形にしたようなものだもの。そんな兄を持った日には、『わたし、兄さんのお嫁さんになる』って言うくらいのブラコンにならないわけがないじゃない。不登校になっても、椛から逃げ回らずベッタリね」
「話し合う余地が、いくらでも生まれたってわけね。それなら確かに、ギリギリまで問題を引きずらずに済んだかもしれないわね」
「椛が男というだけで、わたしや楓ちゃんは簡単に幸せになれたはずなの。真面目に生きて、罪一つ犯してこなかった椛だけど、違ったようね。女に生まれてしまった。それが椛の罪であり、わたしと楓ちゃんの不幸なのよ」
「成人の日に、とんでもない罪を被せてくるわね。おまえが女に生まれたせいで、自分は不幸なんだって糾弾される日が来るとは思わなかったわ」
「ま、そのくらい椛のことが大好きってことよ」
にんまりとまどかは言い切った。
億面もなくここまでのことを言われるのは素直に喜ばしかった。けれども正面から受け止めた弊害は、照れという形で表現しそうになる。それを誤魔化すようにグラスの中身を空にした。
めざといまどかは、そんなグラスに三杯目を注いでくれた。
「だからそんな椛に、もうちょっと余裕を持って生きてくれたらな、と思ってるのよ」
「あら、私って、そんなに余裕のないように見える?」
「切羽詰まってるとか、そういうのじゃなくてさ。例えばこうやって、私がお酒を飲んでるような真似をしたりとか」
「車通りもない場所での赤横断くらい、してもバチは当たらないぞ、って?」
「そうそう。ルール違反なのはわかってるけど、皆やってることじゃない。皆が楽しんでる横で、椛一人が我慢しなくてもいいんじゃない?」
「まるで悪い蛇の囁きね」
「あの果実は食べても死ぬことがない上に、とても美味しいのよ。さあ、椛も我慢せずにお食べ」
まどかは胡散臭いまでのしわがれた声を出す。悪い蛇の真似のつもりなのだろうが、これではまるで、毒りんごを進める老婆である。
親友を悪い道へと誘う。世間から見ればまどかの行いは、褒められたものではないだろう。皆がやっていることだからとはいえ、義務や規則を蔑ろにしろと勧めているのだから。
でもそれは百パーセントの善意であり、まどかなりに慮った友情なのだ。
「私のことを考えて、悪い道へと唆してくれるのは嬉しいわ。でもね、まどか。私は皆が言う真面目だから、バカ正直に義務や規則に従ってるんじゃないの。これが一番楽だから、この生き方に準じているのよ」
だから今日まで放置してきた勘違いを正すのに、いい機会かもしれない。私はまどかが信じているほど、立派な人間ではないということを。
「長い付き合いだけど、まどかは私のことを誤解しているわ」
「誤解?」
「私が目指しているものは覚えてる?」
「弁護士でしょ? 椛らしい将来の選択ね」
「弁護士のなにが私らしい?」
「曲がったことや差別とかしない、弱い人の味方なところとか」
「そこを誤解しているのよ」
くすりと笑ってしまった。そんな尊敬できる人間性だと捉えられていることに。
「弱い人のためになにかをしたい。そんなこと、考えたことないもの」
「……え?」
あっけらかんと私が言うと、まどかはポカンと口を開いた。
「見ず知らずの他人のために、無償奉仕なんてごめんだわ」
口に続いてまどかの目は見開かれた。まるでここにいる人物が、文野椛なのかと疑うかのように。
「もちろん、目の前で落とし物をしたら拾ってあげるし、迷子がいれば手を差し伸べるわ。見返りなんて欲しいと思わないし、情けは人のためならず、なんて言葉を持ち出すつもりもない。目の前の人助けを渋るほど、人生に余裕がないつもりはないわ」
「で、でも……無償奉仕はごめんだとまで言ったじゃない」
「私はね、触れ合った縁は大切にするわ。でも無縁のために動きたいとは思わない。神が死んだ世界で、聖人ごっこなんてしていたら身が持たないもの」
「神が死んだ世界?」
「神の教えに則り排斥されてきた人々。彼らに類する存在が、情報社会の発達で結びつき、一致団結して声を上げられる時代になった。自分たちの生き方を社会モラルに組み込もうと、新たな勢力が次から次へと台頭してきているわ」
「ま、今はそういう時代よね」
「聖人ぶって、そんな人たちに手当たり次第、手を差し伸べ認めてみなさい。すぐにパンクするわよ」
「……確かにああいうのって、キリがないものね」
「私たちが考えなければならないのは、彼らの生き方がモラルに組み込まれた時点で、どう許容し受け入れるか。社会がそれを多様性と認めた時点で、排斥行為は差別になるからね。逆に言えば、認められない内はただの異端。わざわざ進んで、受け入れる義理はないってことよ」
私は肩をすくめる。
「面倒なのは、おまえたちの活動に興味がない、なんて気軽に言える時世じゃないってことね」
「なるほど……わたしが椛を誤解し続けてきたのは、そういうことだったのね」
得心がいった顔を浮かべるまどか。どうやらすぐに、言いたかった意味を受け取ってくれたようだ。
「自分さえよければそれでいい。こんな本音、人前で主張することじゃないもの。例え多数派の本音であろうとも、建前で上手く隠すのが、真面目な生き方の一つよ」
偉そうな教えを説くように人差し指を立てた。
今日まで私は、まどかの前でいい子ちゃんぶってきたつもりもない。ただ聞こえの悪いことを、わざわざ口にする必要もなかっただけ。今日はいい機会だから、まどかの前で建前を取っ払ったにすぎない。
自分さえよければそれでいい。それの一体なにがいけない。赤の他人のことまで考えていられるか、と。
「後は……そうね。私たちの身近なもの。女性の権利向上の活動。ああいうのって、興味ないのよ」
「興味ない?」
「私は今の社会で女であることに困ったこともないし、大きな損をしたこともない。むしろ都合がよかった機会は多かったし、得だって沢山してきたわ。だから自らの待遇に、不満を覚えたことってないのよ」
人間見た目じゃないとは言うが、これは綺麗事である。
いい意味で私は、目に見えて違う対応を取られることが多い。これは異性相手に限らず、同性からもそうだ。隣に置く者として認められ、ときには羨望を向けられたりと、見た目がそのまま格差となるほどに重要な要素を占めている。
私は自らの容貌を、誰よりも美しいという自負もなければ、誰よりも綺麗でありたいとも願っていない。けれど周りがどのような評価しているか。その客観性に対して、主観性のズレは然程大きくないはずだ。
この容貌が平凡、もしくはそれ以下であれば、まどかの親友の立ち位置にいることに、いらぬ陰口すら叩かれるだろう。私だけではなく、まどかすらも攻撃の対象となるほどに。見た目が釣り合っていないというのは、同性異性問わず、それだけで後ろめたいものがある扱いされるのだ。
私は未だに、恋も愛もわからぬまま生きてきた。けれど常識的な態度を取るだけで、それを向けられる機会は多々あった。それで嫌な目にあったこともあるけれど、その何十倍もの人たちが味方してくれて、恩恵を受けてきた。
そのくらい社会にとって、見た目は武器となる。それで男をたらしこもうなんて気はさらさらないが、問題にならない程度の役得は享受していた。そこに能力という中身を伴っているところを発揮すれば、欲しいものは簡単に手に入ってきたのだ。
家族の問題を除いて、私の人生は順風満帆なのである。
難しい顔を見せながら、まどかは喉を唸らせている。一口お寿司をパクリとし終えた先で、
「この話を聞かされたら思うだろう多数派の主張。それを口にしたほうがいいところ?」
あくまで自分の意見ではないが、なんて顔をした。
「ええ、いいところよ」
「それはおまえが恵まれてるからだ」
「そうなの。私って、凄い恵まれてるのよ」
嫌味でもなんでもなく、自覚していることを口にした。




